戦争と平和、その161~会議六日目、夜⑧~
「ミランダ様、あの男は信用できるのですか?」
「さてね。ただ約束を違えるような男ではないはずだし、ティタニアの捕縛が何より優先なのはその通りでしょうよ。一族の中で戦える者は全て連れてきているようだしね」
「? なぜそうだと? いえ、そもそもどこでミランダ様は彼らのことを?」
「どこで知ったかは秘密よ。だけど、私が何の勝算もなくあんな危険な男に声をかけると思う? あの男がその気なら、私の首から上は一瞬ですっ飛ぶわよ。あなたは生き残れるかもしれないけど、無傷ではいられないはずだわ。あの男の間合いをわかったうえで、私がその無防備に範囲内で座ったから、あの男は私を一応は信用した。相当緊張したけどね。
あと、奴らの里は人を手配して押さえてあるわ。もし妙な動きをしたら、即座に彼らの一族を始末するか、人質にするわ」
恐ろしいことを冷静に言い放ったミランダに対し、アルベルトは表情にこそ出さないものの凍り付くような恐ろしさを覚えた。それが駆け引きの一端だということはわかっている。だが今のミランダの発言は、本当にやりかねないような冷たい響きがあった。いつからこの人はこんな冷たい考えをするようになったのか、アルベルトはミランダの変化に気付けていなかった自分を恥じていた。
そんな感情を抱いていることを悟られないように、アルベルトは背筋をつたう汗を感じながらも、先ほど出された茶を拙い手つきで片付けていた。
***
「いかがでしたか、ベルゲイ様」
「タウルスか」
深緑宮から出ると、そこにはタウルスがいた。人目につかぬように建物の陰にはいるが、この巨漢の男は気配を消してもそれなりに目立ってしまう。アルネリアと会談したことは誰にも悟られたくないと考えているベルゲイだが、自分の跡を継ぐとしたらこの男しかいないとも考えているから、できれば色々な経験を積ませておきたかった。どうもこのタウルスは時に素直に過ぎるからだ。実力は申し分ないが、後を任せるにそれだけが不安だろうかと考えている。
ベルゲイはタウルスと並んで歩きながら、口に手を当てて迂闊に声を出さないように促した。夜道で人通りは少ないとはいえ、アルネリアの勢力圏では誰が耳をそばだてているかわからない。
指定された道を通り、門で番兵に通行証を見せると無言で開けてくれた。深夜だが、例外ということらしい。門を出たところで、タウルスがふぅと息を吐く。
「後をつけてきていた見張りの気配が消えましたね」
「気づいていたか」
「それはもう。最低三人はいましたが、全員手練れだ。それに、我々の見張りとは別に、定点で観測している者たちが何人か。聖都アルネリアとはよくいったものです。あのくらい腕利きの連中が見張りをしているなら、うかつな犯罪など起こりようがない」
「ふん、魔都アルネリアに改名した方がよさそうだがな」
ベルゲイはちらりとアルネリアの方を振り返ると、タウルスに語った。
「先ほど会った大司教アノルンとやら、まっとうな人間ではない。おそらくは不死者の類だ」
「なんと。では大司教が魔物だと?」
「そうとは限らんが、軽く威圧してやろうと思い首から上を飛ばすイメージで殺気を放ったが、こともなげに俺の間合いに座った。防御する素振りもなく、だぞ? 殺気に気付かぬほどのボンクラだとは思えなかったし、こちらを信頼する姿勢を見せるにしても、反射的に死を避ける姿勢はとるものだ。それが一切なかったということは、あの女は首から上を飛ばされた経験があるということになる。それで生きているということは、まぁ不死者だろうな。
気配その者は人間にしか思えなかったが、いかなる理由で不死になったのか。後ろの騎士も獣の匂いがしたし、地下には得体の知れん化け物が複数いるようだ。これが魔都でなくてなんだというのか。なぁ?」
「はぁ」
タウルスはよくわからないと言いたげに返事をしたが、ベルゲイは自分たちの塒に向けて歩みを進めた。
「アルネリアと共闘関係は取る。剣帝を打倒するために、確率は少しでも上げておきたい。だが信頼はするな。ティタニアだけではなく、奴らに対しても警戒を忘れるなよ?」
「それはもちろん」
「それから大魔王ペルパーギスの件についても話しておいた。だがティタニアが魔術士ということは話していない」
「え? それはどうして」
タウルスの言葉に、ベルゲイは苦々しく答えた。
「ティタニアがどんな魔術を使うかもわからないのにか? 我々もティタニアと対峙するのは初めてだ。口伝では、奴が何らかの魔術を使ったと言われただけだ。だがこれ以上厄介な話になると、アルネリアがティタニアの捕縛ではなく、始末を優先する可能性がある。だからペルパーギスの話をしたのだ。うかつに攻撃すれば、大魔王が復活するぞと脅しをかけてな。
我々の目標は、ティタニアが保管している武器の奪取も兼ねている。それらを永遠に失うわけにはいかん。もちろんアルネリアに渡すわけにもいかん。それはわかっているな?」
「もちろんです」
「加えて確認するが、ペルパーギスの件は最悪ウルスに犠牲になってもらう。そのために連れてきたのだ。それもわかっているな?」
「はい」
タウルスはできるだけ無感情に返事をしたが、自分の今の表情は平静ではあるまいと想像できた。ベルゲイの言うことは理解している。そもそもウルスが生まれた時から、可能性の一端として覚悟していたことだ。だがいざ現実が追いついてくると、さすがに躊躇する気持ちが強かった。生まれた時から世話をしてきた我が子の成長が思い出されるが、それらは頭を振り払うことで思考から締め出し、タウルスは歩き始めた。
その仕草を見て、ベルゲイが言い放った。
「剣帝に仕掛けるのは、明後日の夜半とする。仕込みはできているか?」
「はい。まずは適当な連中を雇って仕掛けさせ、ティタニアをおびき出します。我々に有利な場所に誘い出したところで、一斉に取り囲んで仕留めます」
「ティタニアが無抵抗だったら? あるいは指示に従わなかったら?」
「無抵抗ではいられますまい。なんのかんのと、奴も女です。襲撃する連中にはそこまで言い含めておきます。ティタニアも競技会でレーヴァンティンを奪取するつもりならうかつな反撃が難しくなるはずですから、少なくとも人気のないところまでは出てくるかと。
念のため、こちらの手の者も二人ほど紛れ込ませておきます」
「仕掛けは任せる。レーヴァンティンの奪取の件も含めると、我々も競技会は勝ち抜けておく必要がある。襲撃の邪魔にならぬ程度に、競技会には力を入れろと伝えておけ」
「はい、長」
彼らは宿につくと、タウルスは一礼して離れていった。外ではウルスが瞑想しているのが見えたし、まだ他の者も起きているのだろう。
ベルゲイは自分たちのことを思い出す。今まで地獄のような研鑽をつんできて、修行の途中で死んでいった幼馴染も少なくない。女たちは次代を産む役目があるから適齢期になると戦いは免除されるが、男は一様に命を落とした。実戦で死んだ者は一人もいないのに、里でベルゲイと同い年の男は皆とうの昔に死んでしまった。全員がティタニアを倒すための修業の中で死んだのだ。
記録ではティタニアと拳を奉じる一族の戦いは、200年前が最後とされている。里にはティタニアと直に戦った者はもはや誰も生きておらず、ティタニアなる者が本当に生きているのか、いやそれ以前に本当に存在していたかどうかも疑わしいのではないかと囁かれるようになっていた。里に蔓延している厭戦気分の中、ベルゲイと共に修行を続けた者がどのような心境で修業に取り組んできたか。
ベルゲイとて平和を好まぬわけではない。だが一族の悲願のために死んで行って者の無念を思うと、もはや退くという選択肢はありえなかった。
「(いかなる犠牲を出そうとも、ここで剣帝を仕留める。覚悟しろ、ティタニア)」
ベルゲイもまた、来たるべき戦いに向けて夜空の月を見つめながら再度覚悟を固めていた。
続く
次回投稿は、5/12(土)20:00です。