戦争と平和、その151~邂逅①~
ゼホの敗北に観客はざわめいたが、審判がレイヤーの勝利宣言をすると、まばらではあるが拍手が起きていた。イェーガーの仲間を含め、多くの者はタヌキかキツネに化かされたかのように釈然としない顔をしていたが、何名かの者はレイヤーの準備の入念さを称賛する。
「したたかね」
「ああ、武術大会の意図には反するだろうけどな。総括がミランダだから許可された方法だろう。例年なら駄目だと一蹴されたろうな」
「それでも勝ちは勝ち」
「その通りだ。まぐれだろうがなんだろうが、ミュラーの鉄鋼兵の隊長に土をつけたんだ。名前は売れるだろうな」
無表情の中に少し得意気なルナティカを見ながら、ラインはにやにやしていた。おそらくはレイヤーの望まない方向に物事が進んでいくのだろうと考え、いつレイヤーがその仏頂面を崩すのかと楽しみにしていた。あれほどの才能が世に名前が出ないはずがないと、ラインは密かに期待をしているのだ。
だが当のレイヤーは名誉を誇ることすらせず、さっさと控室に戻っていった。本日の最終試合のため、控室にはもう誰もいないはずだった。夜遅い試合は注目されるから嫌だと考えていたが、誰もいない控室は静かで心地よい。準備の時もほとんど誰もいなかったので、存分に集中できた。相手が相手だけに、レイヤーも相当集中していたのは間違いない。
控室に戻ると、大きく息を吐いて緊張をほぐした。実力を悟られず、なおかつ強敵に勝たねばならず、ぎりぎりの駆け引きをレイヤーは行ったつもりである。さすがにその緊張感から解放される時間がほしかった。誰もいない控え室はもってこいだと思っていたが、レイヤーは背後に立つ気配を感じ取り、突然立ち上がって木剣を向けた。会場内に危険はないと考え、供も付けていないことからシェンペェスを持ってきていないのが悔やまれた。
だがそのレイヤーの肩を優しく叩く手があった。
「中々面白い試合だったわ」
「――――ッ!」
レイヤーは心臓をわしづかみにされたような錯覚に陥った。置かれたのが手ではなく、問答無用で心臓を刺されていたら死んでいる。後ろの相手に殺気はない。だが隠しても隠し切れない、尋常ではない威圧感だけがそこにあった。
レイヤーは人生で背後をとられたことはほとんどない。最近ではいかにルナティカが気配を消そうが、背後に立たれることはなくなった。それだけの緊張感を持続しているし、目にも止まらぬ速さなどというものも実感したことがない。集中していれば、ヤオの体捌きですらゆっくりに見えることがあるからだ。
だがこの相手は次元が違った。最初は気配を感じていなかった。だが気配に気付いた後、この相手は間違いなく高速で自分の後ろに回り込んだのだ。レイヤーの剣を握る手に汗がしたたる。そんなレイヤーを見かねたのか、相手はゆっくりとレイヤーの正面に回り込んできた。
その顔を見ると、異性に興味のあまりないレイヤーですら美しいと思う女性だった。浮世離れした、現実味のない白い肌に流れるような銀の髪。同時に誰かに似ているとも思う。相手はくすりと笑うと、レイヤーに問いかけた。
「ごめんなさいね、脅かすつもりはなかったのだけど。どの程度の反応を示すのか見てみたかったの」
「・・・誰?」
「私が誰かはさしたる問題ではないわ、少なくとも今現在のあなたにとっては。私が来たことをあの子にさえ伝えてくれればいい」
そう言って相手は懐から首飾りを取り出した。銀でしつらえた、月を象った紋章である。女性は首飾りをしていないが、短い髪からのぞいた耳飾りが銀製であることに、レイヤーも気付いた。意匠はまるで違うが、なぜだか同じものに見える。
女性はレイヤーの手を取ると、しっかりと首飾りを握らせた。これにもレイヤーはまるで反応することができなかった。抵抗しても無駄なことがはっきりとわかる。女性の目がレイヤーを見つめたが、無機質にも見えるその瞳に吸い込まれそうになった。
「渡せばわかる、我々が来たと」
「なぜ僕に?」
「一番あの子と親しそうだから。匂いが強いもの、それに性質も。あの子にも良い人がいるようだけど、そんなものは関係ないわ。要は魂の問題」
「自分で渡せばいいじゃないか」
レイヤーの言葉にふっと女性は笑った。
「すぐに出会うわ、あと二回勝てば私にあたるから。その時につまらない舞を見たくないの。それまでに自分を高めておくようにと、この首飾りはそういう意味もある」
「レイヤー? 入ってもいいかしら?」
不意に外からエルシアの声がした。レイヤーは我に返ると、入り口の方を見た。今エルシアが入ると何をされるかわからない。レイヤーはこの女性をなんとかしなくては考えたが、一瞬視線を切っただけでその女性はもういなくなっていた。女性が移動したことがわかるようにほのかに控室の空気が動き、闘技者たちが残した汗の匂いが鼻についた。
――確かに伝えなさい、あの子に――ルナティカに――姉たちが迎えに来ると――
その言葉だけがレイヤーの頭の中に残り、呆然としたところをエルシアがレイヤーの肩を叩いた。
続く
次回投稿は、4/22(日)21:00です。