戦争と平和、その146~拳を奉じる一族~
対して、勝利したウルスの方はといえば。会場から引っ込むなり、一直線に自分の控室から世話役の仲間を伴い退散した。彼女の戦いぶりを讃えようとした他の競技者が声をかける暇もないほどの速足だ。その後人気のない道を選んでゆくと、そこが拳を奉じる一族の集合場所だった。彼女の弟であるマイルス、長ベルゲイもいる。その中で真っ先にウルスに声をかけたのは、痩身の男だった。
「やるじゃねぇの、ウルス。獣将をやっちまうとは」
「しかもほとんど風船を割られることもなく、決定的な一撃も入れられなかった。凄いことですよ、姉さん」
手の空いている者はウルスの戦いを見物していた。彼らとて仲間が獣将相手にどれほどやれるかは、注目していたのだ。ウルスの周りは彼女の戦いぶりをほめそやしたが、長ベルゲイを始めとした年長の数名は難しい顔をしていた。ウルス本人もその一人である。
ウルスは供をしていた仲間に全て荷物を持たせている。自らのことは弟以外には持たせたがらない彼女にも珍しいことだった。ウルス自身はベルゲイの前に進み出ると、膝をついて謝罪した。
「申し訳ございません、長ベルゲイよ。技を二つも見せてしまいました」
「――構わん。技も使わずに戦えるほど甘い相手とはこちらも思っていない。この大会は全体的に思ったよりも強者が多い。他の者も、技を使わなければ勝てない相手も出るだろう」
「その通りだ、ウルス。それに我々の体技は流派こそ同じなれど、型は一人一人異なるものだ。見られたとて、それが欠点になるとは限らない。気に病む必要はない。
それより際どい戦いだったな。腕は使い物になるまい、みせてみろ」
「――つっ」
ベルゲイの傍にいた男がウルスの腕をとると、ウルスの表情が痛みに歪んだ。男はベルゲイに診察の結果を報告する。
「・・・腕に細かいヒビが多数入っています。普通なら使いものになりますまい」
「やはりか。今日の試合、本来なら10回やって9回負ける相手だろう。最初の一回をうまく手繰り寄せたな」
「はい」
リュンカに対するウルスの戦術はこうである。リュンカが最初から全力で一撃離脱に徹した場合、ウルスはなすすべなく負けることはわかりきっていた。まずウルスがしなければならないことは、リュンカの冷静さを奪うこと。そして攻撃を単調にし、一撃でもいいから反撃を入れることだった。
腹に軽く押しあてただけのウルスの一撃。『釘』と呼ばれるあの一撃がリュンカの速度をいくらか奪い、ウルスの反撃を可能にしたのだった。ウルスの仕掛けが一つでも上手くいかなかった場合、ウルスの勝利はなかった。実に薄氷の勝利であることを、ウルス本人が一番わかっていたのだ。
「爪と牙があれば、私は容易く敗北したでしょう。また競技会に徹され、速度を生かして風船を割りに来られれば、おなじく何もすることなく敗北したでしょう。策が上手くいったにも関わらず、『不動』まで使いながら腕が使い物にならなくなりました。やはり獣将は恐ろしい」
「獣将に人間が単独で勝つなど無謀の極み。それをやってのける人間はいるだろうが、まだお前はその領域ではない。一度倒したとて、あまり得意にならぬことだ」
「はい、もちろん」
「その辺にしておけ、タウルス。娘にあまりつらくあたるな」
ベルゲイが止めたので、タウルスは頭を下げてこれ以上は何も言わなかった。ベルゲイがウルスを促し、アルネリアのシスターの元に治療に行かせた。ウルスも一礼して、その場を去った。
ウルスがいなくなった後で、タウルスが厳しい顔を崩し、一転心配そうな表情になる。
「ウルスの腕、治ると思いますか?」
「アルネリアの治療は大陸一だ。千切れた腕すら翌日には治すと聞く。明日には使えるだろう」
「ならばよいのですが・・・」
「お前はもう少し素直に娘の心配をしてやれ。あれはお前の妻程無謀ではなく、自分の実力をわかっている。無駄や無理な戦いはせんだろう」
ベルゲイはタウルスの肩に手を置いた。
「問題は次のガークの相手だ。今度の相手も獣将らしいな」
「なんだか自分の身分を隠して、予選から出場しているらしいですよ」
先ほどの痩身の男が答えた。その答えにベルゲイの表情が引き締まる。
「理由はわからんが、そういう相手の方が余程難敵だ。油断の一つもしてくれればいいのだが、ガークには無理をするなと伝えてある。そもそも我々の目的を忘れてはならん」
「ええ、あくまで我々の目標は剣帝ティタニア。そしてレーヴァンティン」
タウルスの言葉に一同が頷いた。
「我らの千年近くにわたる悲願をこの手で達成するのだ。このような好機に恵まれることはそうあるまい。なんとしてもここで決着をつける! たとえここで我々が全滅しようともな。
各自、後悔なきように過ごせ」
「「「「はっ!」」」」
ベルゲイの言葉に、それぞれが唱和していた。
続く
次回投稿は、4/12(木)22:00です。