戦争と平和、その145~獣将の誇り~
闘志を燃やすヤオとは対照的に、リュンカは呆然自失で引き上げていた。油断していたつもりはなかったが、敗北がいまだに受け入れられない。怪我は大したことはないが、受けた衝撃が大きすぎて足元がふらついていた。その行く先には、同じ獣将のロッハとチェリオが待っていた。
「・・・見事にやられたな、リュンカ」
「――はい」
「油断したのか?」
「いえ、実力で負けました。油断は――していないつもりでしたが」
リュンカに油断がなかったことはロッハもわかっている。むしろ全力でやれば相手を殺しかねない獣人の彼らとしては、ある程度加減をしようとは決めていた。何といっても、これは祭りなのだ。祭りで死人や重傷者を出すわけにはいかない。特に人間世界で微妙な立場にあるグルーザルドの軍人としては、ことさらその点に配慮している。
だが相手は手加減をするような領域の戦士ではなかったし、途中からはリュンカも完全に本気だった。リュンカの最後の一撃の意図も、ロッハは見抜いていた。瞬間的ではあるが、リュンカはウルスを殺すつもりで戦っていたと。それでもなおウルスが上回ったのだ。
このような結末を予測しておらず、ロッハもまた次の言葉に困っていた。比較的世長けたロッハとはいえ、口下手であることには変わりない。その二人に業を煮やしたのか、チェリオが口を挟んできた。
「ったく、とんだ恥さらしだな。リュンカさんよ。獣将の名が泣きますよ」
「・・・返す言葉もないな」
「そんなことだから、ミレイユとやらをとり逃すんでしょうが」
「!」
「おい、チェリオ。言いすぎだ!」
リュンカがさらに青ざめ、ロッハが唸る。だがチェリオが口調を弱めることはない。
「いいや、言わせてもらう。いいか、リュンカさんよ。俺たちグルーザルドの獣人は、いつも強さをその身で証明していなければならない。大戦期、人間が獣人を滅ぼさなかったのはなぜだ? 俺たちの爪と牙を、その戦闘力を恐れたからだ。
だが時は過ぎ、人間は数が増え俺あちにも対抗しうる武器や戦術、魔術を作り出した。正直、今の獣人の総力と、人間世界の総力じゃあ桁違いだ。もし人間が獣人を排除し、その土地を占拠しようとしたらグルーザルドでも滅亡は免れないだろう。
獣人が負けるのはいい。だが単純な武芸大会で、獣将が無様な負け方をするのは論外だ。獣将は獣人を勇気づけ、彼らに誇りを与えるためにも勝ち続けなきゃならん。そうでなけりゃ、獣人はいつか畜生以下の扱いを人間から受けることになるだろう」
「・・・」
「負けたり無様を晒すくらいなら戦うな。俺たちは勝てる戦いだけすりゃあいいんだ。肝に命じておいてくれ。でなけりゃあ俺がなんのために獣将に――」
「そのへんにしておけ、チェリオ」
ロッハが今度は唸るのではなく、チェリオを窘めた。チェリオの言い分はロッハも頷くところで、普段何を考えているのかよくわからなかったチェリオが獣人の将来を真剣に考えていたことに感心もした。
チェリオはまだ何かしら言いたそうにしていたが、会場から彼の名を呼ぶ声が聞こえ、会場へと進んでいった。
ロッハはチェリオがいなくなるとリュンカに声をかけた。
「リュンカ。チェリオの言い方は厳しいが、俺も同じ考えだ。たとえ祭りの余興とはいえ、俺たちが人間にたやすく負けるのは許されない。まして素手ならなおさらだ。相手が強かったのは認める。だがお前にはこす狡さ、戦いに至るまでの課程に問題があると俺は考えている」
「問題、とは?」
「お前はよくも悪くも正直すぎる。戦いとはそれまでにどんな準備をしたかで決まる。修行、鍛錬はその最たるものだが、下準備というものは大切だ。
チェリオは鍛練嫌いとして知られているが、実は違う。奴は温厚かつ臆病で知られる青鼠族の出身だが、奴がまだ軍に入隊したてのころは血気盛んな若者として有名だった。気性の荒さではヴァーゴを上回るほどだ。
それが出世するに従い気性の荒さを押さえ、学問に取り組んだ。そして獣将を拝命するやいなや、鍛錬は目立たぬところで行い、獣人同士での手合せを滅多にしなくなった。万一にも奴が部下に負け、その名を落とすことがないようにしたのだろう。獣人はそれを逃げ腰と揶揄するが、確かに戦わなければ負けないというのは一つの真理だ」
「ですが、それでは獣将の務めは果たせません。戦うのが我々獣将の使命ではないのですか?」
「違う、リュンカ。俺たちの使命は勝つことだ。ヴァーゴの奴も勘違いしているだろうがな」
ロッハはあっさりとリュンカの意見を否定した。
「チェリオの獣将になってからの戦績は、大小の戦を問わず全て勝利している。奴は戦わないのではなく、勝つ確信が得られるまで戦わないのだ。
今回の大会でも、自分の組み合わせが発表されるやいなや、会場を駆けまわって対戦相手の情報を収集していた。夜には、次の相手を想定した訓練をしていたよ。
それにこちらに来てからは、グルーザルドで手に入らない書物を買いあさり、情報収集している。お前はそこまでやっていたか?」
「・・・いえ」
「そのことをチェリオは指摘したのだ。確かにミレイユの一件は俺にとっても汚点だ。獣将をなぎ倒して部隊を脱走した獣人がいるなど、他国に言えるはずがない。ましてや、それが人間に敗北して傭兵となったと知れたら、グルーザルドの名声は地に落ちかねん。お前が一番手酷くやられたろうが、俺もヴァーゴもミレイユにどつかれたクチだから、大きなことは言えんがな」
「はい――私ももっと心して日々に臨みます」
「ああ、互いにな」
ロッハはリュンカの肩に手を置くと、会場の方に足を踏みだした。
「さあ、次のチェリオの相手はどうやらウルスとやらの仲間らしい。チェリオは何かしら準備をしていたようだが、どうなるか見てやろうじゃないか」
「はい」
ロッハとリュンカは連れ立ってチェリオの試合を見物に向かったのである。
続く
次回投稿は、4/10(火)22:00です。