戦争と平和、その144~統一武術大会二回戦、リュンカvsウルス③~
「なぜ倒れない? 人間が受けて意識を保てるはずがない!」
「・・・答える義理があるか? だがさすが獣将、体が『ずれた』のは久しぶりだ。私もまだまだ修行が甘いということだな。これだけでも出場した甲斐がある」
「お前、人間だろうな?」
「ふん、お前たち獣人が雑なだけだ。練り上げた人間の肉体と技術を舐めるな!」
ウルスがここで初めて構えをとった。腕を上げたガードを下げ、あえて急所を全て晒す。拳は握り込んでいるが、直立不動で打ってこいと言わんばかりの構えにリュンカは怖れも忘れ、頭に血が上るのを感じた。
「貴様、愚弄するか!」
「愚弄かどうかはすぐわかる――動かざる事、山の如し――『不動』」
ウルスの挑発ともとれる姿勢に、リュンカが再度突撃する。ただし今度は一切の手加減なしの、殺すつもりの全力攻撃。もはや普通の人間には目ですら追えない速度に、ウルスの反応も間に合わない。この速度についてこれるのは、リュンカの知る限りロッハとチェリオなど一部の獣人だけのはず。
当然のように、ウルスの防御は間に合わない。だがウルスの急所を蹴り飛ばしたリュンカの足に残ったのは、まるで巨木を蹴ったかのような分厚い感触のみ。一瞬呆気にとられたリュンカだが、薄く笑い続けるウルスの表情のせいで怒りが再点火する。
リュンカの頭の中では、この状況を冷静に分析しろという声が響いていた。だが一方で、今までの研鑽の日々が意地でも目の前の人間を打倒しろと叫んでいる。人間すらも力づくで打倒できないようでは、いつか誓った高みに到達できるとは思えなかった。
だがどれほど蹴り込んでも、ウルスは微動だにしない。そしてリュンカの呼吸が途切れそうになる直前、リュンカは禁じ手ならぬ禁じ足技に出た。相手の目の前をかすめて蹴りながら、足を引き戻す時に後頭部に一撃を入れる。戦場ならともかく、相手に重篤な後遺症を残しかねない技を手合せでは使わない。その戒めを、リュンカは自ら破っていた。
リュンカの足がウルスの後頭部に入る。そしてウルスの体が前に倒れ、リュンカは一瞬しまったと思っていた。頭に血が上って、相手に取り返しのつかないことをしたと考えたのだ。リュンカの手が思わずウルスを抱きとめようと動く。その一瞬をウルスは逃さなかった。
「――ぬるい!」
「はっ?」
リュンカの手を掴んだウルスは、その場で軸足を払って宙にリュンカを一回転させた。宙を舞う中でリュンカが見たのは、殺気立つウルスの表情と、その構え。掌を猛獣の口のように構え、リュンカを捕えていた。
リュンカは悟った。この体勢では逃げようがなく、猛獣の口に差し出された獲物と同じ運命を辿ると。
「――あ」
「疾きこと、風の如し――『風車』」
ウルスの言葉が聞こえると、リュンカの体は衝撃と痛みを伴い場外に吹き飛んだ。風船が全て割られたわけではなかったが、リュンカは場外に落とされ、衝撃でしばらく動けなかった。ウルスは、正面から獣将リュンカを破ったのだ。
「勝者、ウルス!」
「うおおおおお!」
会場が今日一番の盛り上がりを見せた。獣将を正面から素手で倒す人間がいるとは、目にした彼らも信じられないのだろう。ウルスは歓声に一度だけ手を上げて応えると、静かな表情で会場を後にした。さも当然の結果だと言わんばかりに。
一方でリュンカには救護班が駆け寄ったが、しばしの後起き上がって自力でその場を去った。大きな怪我はないようだったが、全身に刃物で斬ったような傷ができていた。まるで風の刃にさらされたかのように、流れる血の痕が痛ましい。その背中をヤオとニアが呆然と見送っていた。
「今のはなんだ・・・?」
「素手で刃物のように斬ったり、攻撃が通じなかったり。いったい何が」
「なるほど、拳を奉じる一族か。随分と久しぶりに見たのぅ」
ニアとヤオの傍にいつの間にか立っているのは、五賢者ゴーラだった。気配もなく突然現れたその姿に、二人は驚いて思わず一歩飛びずさってしまう。
「ゴーラ様?」
「なぜここに?」
「まぁ落ち着け。あまりワシの名を呼ぶ出ないぞ、どこぞで誰かが聞いていたら少々面倒になるかもしれんからの」
「面倒・・・?」
ヤオは首をかしげたが、なんとなくニアは事情を察してヤオを目で制した。五賢者の名を知る者がそうそういるとは思えないが、気付かれれば質問攻めにはされる可能性があるからだ。
そしてゴーラは語る。
「たいていの人間や獣人はワシを見て教えを乞うものじゃが、昔一人だけワシに本気で挑んできた人間がいた。ワシの顔面に渾身の一撃を入れた人間よ」
「え?」
「そんなことをできる人間がいたと?」
ゴーラはほっほっほと笑う。
「現獣将ですら無理なのじゃが、大した人間じゃったよ。奴は心底人間の可能性を信じていた。ワシが教える体術は、所詮獣人のもの。良いところは取り入れるが、人間は人間として強くなる方法が必ずあると信じていたのじゃ。
しばし共に暮らしたが、奴は自分の道を究めると言ってワシの元を離れた。もう千年も近く前の話じゃ。その後胤たちが奴ら『拳を奉じる一族』――ティタニアの親族だよ」
「剣帝の?」
「それはたまたまじゃったろうがな。やや、しかし年月をかけて技術を伝え、見事に練り込んだものじゃ。感心、感心。
ヤオよ、あの女を破るのは容易ではないぞ?」
「承知の上。強敵の出現は望むところです」
「うむ、その意気や良し」
腹をさすりながら微笑むゴーラの傍で、ヤオは闘志を燃やしていたのである。
続く
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