ルキアの森の魔王戦、その1~魔王の軍勢~
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ザクッ、ザクッ
森の中を歩く4人の足音が聞こえてくる。ここはカラム地方にあるルキアの森。ロートの村の目と鼻の先にある森であり、同時に魔王の存在が確認された森でもある。森としては若い森で大木もあまりないが、人が立ち入ることも少なく、雑草まみれの獣道がかろうじてある程度である。人の手が入らないのは、資源に乏しいからかもしれない。
まあ人跡未踏、とまではいかないが、整地された地面はなく、背丈が膝くらいの草が生い茂っている森である。
「日差しはそこそこに入ってくるね・・・視界はボチボチ良好か。リサ、どのくらい感知できる?」
「気合を入れた状態でも半径50mに届きません。もっとも多少その半径も前後しますが。現在まで敵らしき気配はありませんが、慎重に進むことをオススメします」
「うん。アルフィ、リサと背後は任せたから」
「わかってるわ」
ルキアの森に入ってから既に1刻近く。森は徐々に深くなるが、敵の気配は全くない。早朝に村を出たから徐々に日は高くなってくるはずなのだが、薄暗い印象は拭えない。
「イイ感じはしないわね・・・」
「おそらく、闇属性の魔物による結界ではないかと。森もたいして深くないのに、日が強く当りません」
「わかってるわよ、アルベルト。いっそ歌でも口ずさんだら、向こうから出てきてくれないかな?」
「やってみたら? 止めないわよ、アノルン」
アノルンの軽口に、調子を合わせるアルフィリース。アノルンも負けじと切り返す。
「アタシが歌うと、敵が皆聞き惚れて戦闘が起こりゃしない。アルフィが歌った方がイイね」
「なんでよ?」
「だってさあ、アンタ覚えてないの? アタシ達が2回目に会ったとき、アンタをアタシがしこたま飲ませて潰したでしょう? あの時アンタは寝てるって思ったら、いきなりむくっと起きてさ。でかい声で酒場中に聞こえるように『もりのオオカミさん』歌ってたんだよ? 覚えてないんでしょ」
「・・・ウソ?」
「本当さ。しかも替え歌もご丁寧に」
「替え歌ってっていうと・・・」
「そう、下ネタ満載の、×××が歌詞にいっぱいのアレさ」
「も、もう私お嫁にいけない・・・」
アルフィリースが半べそになる。替え歌は実はウソだが、あまりにも大きい声だったのに加え音痴だったのでさすがに周りが止めようとしたのだが、こともあろうにアルフィリースが片っ端からぶん投げたのである。
結局アルフィリースが再び眠りにつくまで歌は収まらず、店主が悲壮な顔をしながら働いていたのを覚えている。アノルンもたまらず耳栓をしたうえで、アルフィリースが酔い潰れて寝るまで酒場でちびちびやりながら待っていた。
アノルンにしたらとても傑作な話だが、ここでわざわざその話を出したのは、経験不足なアルフィリースが緊張しているのではないかと案じてのことだったが、その心配は必要なかったのかもしれない。アルフィリースは鈍いのか肝が据わっているのか、普段と変わっていなかった。アノルンとしては頼もしい限りだったが、アルフィリースが普通に振舞えるだけの根拠を何か持っているのかと気になった。そんな風に世間話をしながら歩くうち、空気がふと変わったことにリサ気が付いた。
「・・・皆さん、おかしいです」
リサがささやく。
「・・・ああ、静かすぎるね」
「先ほどから小動物や、鳥すらいなくなりました」
「来る、か?」
「どこからでも・・・こいってね」
全員の顔から遊びの表情が消える。それぞれ武器を構えながらアルベルトは右に、アノルンは左に展開し、アルフィリースとリサはやや下がる。アノルンは何かを咥えているようだ。
「アノルン、なにそれ?」
「口金。アタシこれつけてないと、踏ん張りすぎて歯が割れちまうんだ」
何か言おうとしたアルフィリースだが、その余裕はもはやない。
「リサ、敵の気配は?」
「まだありません・・・でも視線は」
「ん。私もびんびん感じてるよ」
「気をつけなさい、アルフィ・・・背面以外の全方位から来ると思います・・・」
アルフィリースは矢をいつでも放てるように構えている。対応を早くするように、呼吸がやや早く、浅くなる。自分の心臓の音が1段階早くなったのが、アルフィリースにもわかる。
「アルフィ! 下です!!」
リサが叫んだ。が、それとどちらが早いか。アルフィリースは弓を投げ捨て様剣を抜き、地面から出てこようとしていた巨大ミミズのような魔物に突き立てる。
「土虫だ!」
言うが早いか四方八方から敵が襲い来る。アルベルトの頭上からはゴブリンが、アノルンの周囲からは土虫が同じく襲いかかる。さらに左右からはオークたちが奇声をあげながら襲いかかってくる。魔物の種類が実に多種多様である。
「これが魔王の軍勢・・・!」
「フンッ、ザコが!」
アノルンがメイスを一振りすると周囲の土虫が一瞬で薙ぎ払われる。そのままオークに向き直り、
「せー、の!!!」
アルフィリースの元まで、バリバリとアノルンが歯を食いしばる音が聞こえそうだ。その勢いで、ハンマー状のメイスをオークのどてっぱら目がけて振り回すアノルン。オークも手持ちの棍棒で受けようとするが、
ボンッ!
という破裂音と共に、先頭のオークの上半身が完全に吹っ飛び、なくなってしまった。それどころか、そのオークが持っていたハンマーが後ろに吹っ飛び、後ろのオークたちをなぎ倒している。やや遅れて、吹っ飛んだオークの上空に舞い上がった残骸と血が雨のように降って来た。そこまでしてからやっとのことでオーク達は我に返り恐慌状態になったが、時、既に遅し。
「おせぇ!」
アノルンが叫びながらメイスを振うたび、オークの頭が、腕が、防ごうとした武器をお構いなしに吹き飛ばしていく。
オークという生物は人間より体格が大柄で、力が強い代わり知能がかなり低い。頭の中には戦闘か、睡眠か、生殖行為しかないと言われており、一度戦闘に入れば興奮状態のあまり我を忘れて死ぬまで敵に突進すると言われているが、今やそのオークが逃げ出し始めていた。知能が低いだけに本能は発達しているらしく、自分達の目の前にいる女が半端な相手でないことがわかったのだろう。オークたちの返り血を浴びながら突進していくアノルンの方が、よっぽど魔物らしい。その時、突進するアノルンが突然何かに躓いた。
「危ない!」
トレント(木人)の根にアノルンが躓いたのだ。そのままトレントの枝がアノルンに巻きつこうとする。
「こりゃやっかい、だ・け・ど! アルフィに出没してるって聞いてるからね、対策はしてるよ?」
アノルンが何かの小瓶を投げつける。その瞬間トレントが急に苦しみ始めた。
「除草剤さ。ただし、大木も枯らすほど強力だけどね!」
そのままメイスを持ち直してトレントに一撃。メリメリという音が聞こえ、縦にひびがはいる。
「もう、いっぱぁぁぁつ!」
さらに勢いをつけて渾身の一撃をお見舞いすると、トレントは半程から裂けて粉々になってしまった。
「アノルンすっごぉぉい! ・・・は、アルベルトは!?」
向き直ったアルフィリースが見たのは、さらに驚愕の光景だった。
ヒュンッ!
アルベルトが剣の血糊を振り払う。その足元には、数えるのがおっくうになるほどのゴブリンの死体の山。既に30は超えているだろう。
さらにゴブリンが数十はいるかと思われるが、どれもアルベルトに飛びかかるのを躊躇している。それを素早く見てとると、間髪いれずゴブリンの動きを待たずしてアルベルトが斬りかかる。そこからは凄まじい戦い。いや、虐殺にも近い光景だった。
アルベルトの一振りでゴブリンが3~4体ずつ倒れ、いや消し飛んでいく。ゴブリンは人間よりやや小柄なくらいだが、それでも戦うために生まれたような種族なので、人間より俊敏で力も強い。なかでも驚愕だったのは、木の陰に隠れようとしたゴブリンを木ごと切断した時だった。アルフィリースが抱きついても半分にまで手が回らないくらいは太い木だったようだが、とんでもない剣士だ。
こちらも大勢は決しており、ゴブリンが逃げ出し始める。その時、一体のゴブリンが何かに頭をつかまれ握りつぶされた。
「あれは一目巨人!?」
「いや、それの上位種のギガンテスだね。サイクロプスは馬鹿すぎて武器が使えないが、あれはちゃんとハンマーを持ってるだろう?」
既に左側を片づけたアノルンが戻ってきている。
「加勢しなきゃ」
「いらないと思うよ? ラザール家は伊達じゃない」
「で、でもあんなに体格が違うよ?」
ギガンテスの体格はゆうに3mを超えている。手に持つハンマーが既にアルベルトより大きい。
「まあ見てなって。ラザールの奴らはどれも普通じゃない。なんせ初代は単独で魔王の軍勢を全滅させて、魔王まで狩ったって剣士だからね」
「本当?」
「まあ多少は誇張かもしんないけど、奴隷上がりの剣士が神殿騎士団の近衛隊長になったんだよ? しかもほとんど満場一致の採決だったそうだ。あの頭の固い教会の連中を動かしたんだから、そのぐらいは本当にやってても驚かないね。
しかも、アルベルトはその歴代の中で最強の呼び声が高いんだそうだ。今回私たちが近くにいなかったら、単独でこの任務をこなしたかもしれない。だから心配無用だよ」
そのアノルンの話が切れた瞬間、2体が動く。どちらも上段から獲物を振り下ろし、互いの獲物が交差する――が、アルベルトが振り下ろした剣はギガンテスのハンマーの柄の部分を完全にへしゃげさせ、そのままギガンテスの腰のあたりを切り裂く。たまらずギガンテスが膝をついたその一瞬に飛びこみ、下から上に切り返す剣でギガンテスの首と胴を切り離した。
返り血がアルベルトに飛び散る。
「体重を乗せてない剣であんなことができるなんて・・・」
「お見事だね!」
だが、まだアルベルトは気を抜いていない。その様子を見てふと他の面子も警戒心を引き戻す。瞬間、アルフィリース達は同時に飛びのいた。
派手な爆発音と爆風と共に、アルフィリース達がいた場所に火の手が上がる。火系の魔術だ。どこから撃ってきたのか。だが考えるより早く、アルフィリースが矢を番えながら敵の位置を探る。
「そこぉ!」
アルフィリースが魔法で強化した矢を放つ。目標は50mほど先にいた。頭に角を生やした悪魔のような格好のモンスター。どうやら指揮官の役割をしているのだろう。魔物は木の陰に隠れてアルフィリースの矢をやり過ごそうとする。この時代の平均的な矢の殺傷能力は20m程度だし、直線的にしか飛ばないので普通はこんな遠距離から当たらないが、アルフィリースの矢は風の魔法で強化してある。
空中で矢がクン、とありえない方向に曲がり魔物に襲いかかる。魔物は面喰ったようだが、さすがに鋭い反応を見せ、腕を盾代わりにし致命傷を避ける。
「やっぱこの距離だと、一発じゃダメか」
だがアルフィリースがそう言う間にも、アノルン、アルベルトが既に魔物に向かって距離を詰めていた。魔物もアルベルトに向けて構えなおそうとしたその瞬間、
ズンッ!
という肉を裂くような音と共に、魔物の頭に新しい角が生えてきた。いや、よく見れば木の陰から出た刃物のようだ。
「誰が・・・え、リサ??」
「おいしいところ、イタダキです」
魔物の背後にはいつの間にかリサが立っていた。アルフィリースがその事実に気付くのと、ドサッと魔物が倒れるのは同時だった。
どうやらリサの盲目を示す白い杖に刃物が仕込んであったようだ。だが彼女はいつの間に背後に回り込んだのか?
リサが血糊を葉で拭きながらアルフィリース達の元に帰って来る。
「アルフィリース、私を見失っては困ります」
「え、でも、さっきまで私の後ろに・・・」
「センサー能力の応用だね?」
アノルンが感心したような顔でリサを見る。リサは小さく頷くと、
「はい。気配察知ができるなら逆もまたしかり。感覚を飛ばすのと逆に感覚を押さえこみ、極端に見つかりにくくしました」
と答える。アルベルトも納得したような顔だったが、アルフィリースはセンサーのことなど今まで何も知らなかったので、目を丸くしていた。
「そんなことができるの?」
「最初から指揮官がいると読んでいたんだね?」
「はい。魔物の襲い方があまりに統一されていたので、土虫が出てきた段階で最初に探って、こっそり後ろに回り込みました。幸いにして人型だったので、そのまま仕留めることができました」
「大したもんだ」
「お褒めに与り光栄です、お姉さま」
リサはアノルンにぺこりとお辞儀をして見せるが、アルフィリースには、あかんべーとやってきた。
「か、かわいくない・・・」
「この絶世の美少女であるリサをつかまえてなんですか、その言い草は」
「なんで私にはそんななのよぅ」
「さっき火球が飛んできたとき、アナタ、リサの位置を確認せずにかわしましたね?」
「そ、それはそのう・・・」
その通りなので、アルフィリースは決まりが悪そうだ。だがそんなアルフィリースの様子を見て、さらにリサが追い打ちをかける。
「リサが本当にただのか弱い女の子で、アナタにしがみついていたら2人まとめて今頃黒コゲです。デカい女が色々鈍いって本当だったのですね。ヤレヤレです」
「ぐぅっ・・・」
「とはいえ矢を放つのは良い間でしたし、狙いもよかったので今回は貸し借り無しということにしておきましょう。あの矢が無いと、さすがに後ろからブスリとはいけまんせんでしたから。寛大なリサに感謝なさい」
「なんで感謝しなきゃいけないのかなぁ・・・」
はぁ~とアルフィリースがため息をついていると、
「気を抜くな。この程度は前哨戦だ」
「そういうこと。この程度の相手だったら調査隊は一人ぐらい帰ってくるだろうし、魔王は結構な大物かもよ。配下に魔術を使うような高等な魔物がいたのですからね」
と、アルベルトとアノルンの2人が険しい顔をしている。リサもまたすぐに反応した。
「・・・そのようです。大きいのが、来ます。方位1時、距離70m」
「大将のおでましかい! 腕が鳴るね」
「アルフィリース殿は下がって。どうやら、かなり大きい」
「わかった。リサ、距離をとろう」
アルベルトとアノルンを前衛に残し、アルフィリースとリサは少し後ろに下がる。いくらもしないうちに、バキバキ、という木をなぎ倒す音が聞こえ始めた。何かが・・・大木をなぎ倒すほどの何かが、アルフィリース達に向かって前進してくる。
嫌が応になく全員の緊張感が高まるが、アルフィリースの直感は、今までで最大級の危険が迫ってることを察知していた。全身の毛が逆立ったまま治まらない。武者震いも多少は入っているのだろうか。そして、それはアルフィリース達の前に姿を現した。
続く