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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第一章~平穏が終わる時~
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魔王の工房、その13~敗北~

「止まれ、ポチ」


 その瞬間、ケルベロスだけでなくエルザもピタリと動きを止めた。頭上から降り注ぐ豪雨のような殺気。先ほどの女剣士に勝るとも劣らない圧迫感。陽気な調子とは裏腹に腹の底に響くような重さを持つその声が、理性をなくしかけたポチの動きすら止めてしまった。


「お座りだ、ポチ」


 再び聞こえた命令にポチはイライザの上から飛びのき、くーんと悲しそうな声を上げて座り込んでしまった。ポチはイライザの方へ残念そうに鼻先を向けるが、命令には絶対服従らしい。

 一方でエルザは頭を上げることができずにいた。それほど頭上の声には力があったのだ。戦闘中に敵から目を離すことなど本来あってはならないが、エルザは上からの圧力にもはやその場で立ちつくすのみが精一杯だった。


「(上を・・・上を向けないっ!)」


 エルザが上からの圧力を跳ね返そうともがく。だがエルザが葛藤をしている最中に、声の主はすうと地面に降りてきた。どうやら浮遊の魔術でも使っていたらしい。そして視界に入ったのは、エルザが散々殴り飛ばしたアノーマリーと同じ顔の男。さらにその後ろにはさきほどの黒髪の女剣士、ティタニアがいた。


「やあ、お姉さん。また会ったね」

「・・・」


 相も変わらず軽妙な話口。なのに、一言一言に呪詛でもこめたかのような圧力を感じる。エルザは理解した。目の前の個体こそが本体なのだと。

 そしてふとアノーマリーの体が消えたかと思うと、エルザの目の前に出現する。


「!」

「あれれ、どうしたの? そんなに驚いた顔して」


 短距離転移は簡単ではない。転移は通常術式を組んだ二点間で行う魔術。そうでなければ転移した先がずれてしまうため、土の中に埋まったり、悪ければ他人と重なって転移する危険を伴う。そのため、転移の魔法陣には本来魔法陣を描いた者にしか入れない様な仕掛けが施してあるのだ。そこまでの改良がなされるのに先人たちがどれほどの苦労をし、そして単独で扱うことの危険性を認識させるために、単独での使用は禁止されることがほとんどだ。

 さらに幸いなことに、転移で使う術式は非常に難しく、また使用する魔力も非常に多い。そのため個人が転移を用いることは稀であり、エルザのように簡易に使うことはさらに希少なケースなのだ。天賦の才を持つエルザでさえ、特殊な魔術道具と常人の何倍からの魔力を持って初めてできる芸当だ。もちろん危険性は常に意識しているため、そういつも使うわけではない。

 なのに目の前のアノーマリーは、超短距離の転移を術式もなく苦もなく使う。これはエルザの知る限り転移の理論を無視した出来事だった。倫理観が当てはまらないとしても、その才も実力も圧倒的であることが転移魔術一つでわかってしまう。


「今、転移を・・・」

「何? 無詠唱の短距離転移は初めて見たの? 理屈さえわかれば簡単なんだけどね」

「そんな馬鹿なっ! そんな理論は存在しない!!」

「なければ作ればいいんだよ。こいつは精霊への語りかけじゃない、理論の範囲だ。正しく魔術を理解して構築すれば、本来誰にでもできる芸当だ」


 あっさりと言い放つアノーマリーに、絶句するエルザ。確かにその通りだが、そんなことができるのか。だがエルザの疑問はわかっているといわんばかりにアノーマリーが言葉を続けた。


「まあ口では君には勝てそうもないけどね。女に口では勝てないってのは真実だと証明できただけでよしとしよう。だけど、こと魔術理論に関してはボクの右に出る者はこの世にいるかな? まあボクは天才だから生物学、医学、薬学と、何でも出来ちゃうけど。でもエリクサーだけは無理だったけどねぇ。素材はわかっても比率や工程にあたりをつけないと、今となってはあんな貴重な材料では、最低限のパターンさえも試せやしない。素材に恵まれた時代ゆえの産物だね、あれは。おっと、転移の理論が知りたいんだっけ?」


 アノーマリーが得意そうに熱弁を振るうのを、黙ってエルザは聞いている。


「転移っていうのはね、本来はもっと簡単に行えるものなんだ。だけど転移の魔術は非常に危険が伴う。転移先がちょっとずれれば大惨事だし、こんなものを一般人がほいほいと使ってしまうと世の中大混乱だよね。それにあまり上手く使われ過ぎると、個人の自由もへったくれもありゃしない。暗殺だって容易に行えてしまうだろう。だからこそ最初に転移を人間に、いやその前はエルフか。に伝えた『真竜』の一族はわざと転移の術式を難しくし、運用能率コストパフォーマンスが悪くなるようにしたのさ。まあただ術式を教えられた人間ごときではあの術式の真の意味を理解することは不可能だろうし、使用方法を知っているだけでも御の字だろうよ」

「・・・ぺらぺらとよく喋るわね」

「あっはは。まあ君が稀な転移を使用しているからつい興奮しちゃってね。それに瞬間的とはいえ、ボクより頭が回る人間に会ったのは久しぶりの事だから。頭が良い人間は男女問わず好きなのさ」


 愉快そうにアノーマリーが笑う。どうやらエルザとの出会いには心底感謝しているらしい。一方でエルザは不快感を露わにした。もっとももはや魔力も空、フィストも壊れかけのエルザには、そういった敵意を向けることが精一杯の抵抗だった。

 そのことを知っているからアノーマリーも余裕なのであろう。だがアノーマリーがさらに何かを言いかけた時、さらに彼の後方から現れる者がいた。


「アノーマリー、これはいったいどういうことです?」

「ああ、サイレンス。来たんだね」


 いつの間にかティタニアの横に立っている紅顔の美青年。物静かなその様子と美しい容姿に思わずエルザですら見惚れたが、その彼の目を見た時に勘違いに気付く。何も感情を浮かべない無機質なその目は、まるでガラス玉のよう。彼はエルザたちを見はしたが、決して人間を見ているわけではない。せいぜいが、羽虫を認識した程度の事だろう。間違いなくアノーマリーと同種の人間――少なくともエルザの印象はそうだった。

 ならば実力も推して知るべし。もはやどうやっても逃げられないことは確定的だった。全てを投げ出してその場に崩れたかったエルザを押しとどめたのは、破けた衣服をひっかき集め、小さく丸まって震えるイライザの存在だった。彼女に対する責任感が、エルザをなんとかその場に立たせていたのだ。

 そんなエルザの必死の葛藤もむなしく、彼女を無視して会話を進めるアノーマリー達。


「早かったね、サイレンス」

「ええ、仕事が思ったより早く片付いたので。それよりこれはどういうことです? 工房が壊れているようですが。まさかそちらの方々が?」


 サイレンスが何の感情もない目でちらりとエルザを見る。エルザはびくっと身を振わせたが、逆にその仕草でサイレンスは全てを悟ったようだった。


「・・・違うようですね。まあこの程度の輩では無理でしょう」

「私が斬りました。もちろんアノーマリーの許可は得てますよ?」


 ティタニアが事務的に答える。さも当然のことをしたと言わんばかりだ。対するサイレンスも特に驚かない。


「なるほど、それならば納得です。しかし肝心の拠点を潰してもよかったので?」

「いいんだよ。どうせもう古かったし、引越しの準備は済んでたしね。どのみち君たちが合流した後、潰すつもりだったから。そこのシスターの魔術も手伝ってくれたから余計に楽だったけど」

「ということは新しい工房が?」

「そうそう、新型の工房がもうすぐ完成するから、そっちに移住の予定がある。ああ、お姉さん?」


 アノーマリーがくるりとエルザの方を振り向く。エルザはそのアノーマリーを睨みつけた。


「そんな怖い顔しないでよ。ここまでやった御褒美にいいこと教えてあげるから。ボクたちの魔王を生産する工房は、ここ以外にも実に10を超える。これらがフル稼働すれば、千を超す魔王をあっという間に製作することが可能だ。今さらあがいた所で遅いとは思うけどまあせいぜい頑張りなよと、ミリアザールに伝えてくれるかな?」


 そういって得意げにアノーマリーはふふん、と鼻で笑う。ここまで言ってよいのかとティタニアもサイレンスも顔を見合わせたが、工房の責任者としてここはアノーマリーに分があるので黙っておいた。

 エルザもまた予想外の情報に少し面喰う。わざわざこんな状況で冗談を言うとも思えないし、アノーマリーの意図を測りかねるものの、肝心の疑問を聞いてみた。


「私たちを・・・殺さないの?」

「殺さないよ?」


 絞るようにして出したエルザの質問に、実にあっさりと答えるアノーマリー。拍子抜けするくらいの簡単な反応の仕方である。


「どうして」

「理由は2つ。まずは確実に今の言葉をミリアザールに伝えてもらわないとね。信頼のおける伝令役が必要だ。もう1つは、ボクがキミを気に入ったから。そっちの女騎士は、ボクはどうでもいいけど」


 エルザがはっとしてイライザを見る。イライザの方も急に話の矛先を振られてびくりとした。


「ティタニア、どうする? ポチにあげる? それとも殺す?」

「そうですね」


 つかつかとティタニアが歩いてくる。それを見てエルザがイライザを抱きかかえるようにかばうが、ティタニアには関係なかった。エルザを簡単に引っぺがし、イライザの顎を掴んでその目を覗きこむ。


「う・・・」

「ふむ」


 ティタニアはひとしきり覗きこむとぱっと手を離し、バランスを崩したエルザがどさりと倒れる。


「どう、その子は?」

「たかが魔獣に犯されそうになったくらいで心が折れたかと思いましたが・・・まだ目が死んでいません。この娘はまだ強くなるでしょう。今殺すには惜しい」

「そっか、なら生かしておこう。魔王の素体にするにも、活きが良い方がいいしね」


 たかがその程度の理由で人の生死を決める連中にエルザは心底腹が立ったが、どうできるものでもない。黙ってイライザを抱きよせ手を握り、連中を睨み据えるのが彼女の限界だった。イライザもまた抵抗する気が全く起きないのか、握られた手を見つめてじっと抱えられたままになっている。

 その様子を見て用は済んだと思ったのか、アノーマリーはティタニアとサイレンスに目配せしてその場を後にするように促す。そして2人が背を向けた時にアノーマリーが両手を広げてローブを掴み、道化のように大仰に礼をした。


「さて皆さん。非常に名残惜しいのですが、ボクも多忙な身。この辺でお暇させていただきます。またお目にかかる日を楽しみに、といきたいところですが、残念ながらそこのお嬢さん2人以外は生かす理由が見当たりません。そこでその他大勢の皆さんには、そのまま死んでいただきましょう」

「な・・・」


 その言葉にエルザが跳び上がりかけた瞬間、アノーマリーの手が突然ロープのように伸びてきて、エルザを拘束した。


「ぐぅっ! やめろ!!」

「ポチ、この2人以外は全員殺せ」

「わんっ!」


 その命令と共に、大人しく座っていたポチが弾けるように飛び出した。一転してその場は惨劇の場となり、元より展開についていけてなかった増援の騎士、シスターたちは抵抗もままならず、あっという間にポチに喰い殺されていった。

 その阿鼻叫喚の渦を、アノーマリーに拘束されたまま成すすべもなく見守るエルザ。あまりのむごい光景に目を閉じようとするが、アノーマリーがそれを引きとめた。


「しっかり見るんだよ、お姉さん。目を閉じればそこの女騎士も殺す」

「く・・・」


 エルザが悔し涙を浮かべながら仲間が死んでいく様を見つめていることをアノーマリーは感じとり、恍惚とした笑みを顔に浮かべる。


「ふふふ、いい顔だよ。あーあ、君にもっと力があればこの子たちも死なずに済んだのにねぇ? 力がないって悲しいことだね」

「貴様ぁ! 殺す!!」

「吼えるだけなら犬でもできる。ボクの腕一本で自由を奪われる自分の実力を知るんだね。なんなら、このまま絞め殺すことも犯すことも可能だ。それに戦争では殺し殺されるのは当たり前。恨むなんて筋違いだよ」

「どの口でほざく!?」

「この口だよ~」


 アノーマリーが自分の口をちょいちょいと指して見せる。そんな安っぽい挑発にも冷静さを欠いたエルザは顔を真っ赤にして怒るが、身動き一つ取れないのではどうしようもなかった。

 そんな中放心状態のイライザの足元に、騎士の手から離れた剣が転げてくるが、それを反射的に手に取ろうとした瞬間、ケルベロスがイライザを睨みつけた。



続く

ちょっと半端な終わり方なので、明日3/23(水)12:00に次話投稿します。



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