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呪印の女剣士【書籍化&コミカライズ】  作者: はーみっと
第五章~運命に翻弄される者達~
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戦争と平和、その113~会議五日目、早朝①~

***


 翌朝、マスカレイドが自室のベッドで目を覚ますと、既に夫は隣にいなかった。夫に仕込んだ睡眠香は短時間でしか作用しないものだったが、それでも自分よりも夫が目を覚ますのが早いのは珍しい。職人気質だが、真面目で威張ることもなく、ちょっと朝に弱い。そのため大抵はマスカレイドの方が早く起きる。

 昨日の緊張が響いたのかとマスカレイドが気を引き締め、いつもと違う朝に身支度を急ぎ整えて起きると、台所で既に夫が朝食を準備してくれているところだった。


「おはよう、アミル」

「・・・おはよう、旦那殿」


 珍しい光景を前にマスカレイドことアミルがやや呆けたように返事をすると、夫はやさしくマスカレイドの額に口づけをした。珍しい行為にマスカレイドの頭は一気に冴えたが、夫が食事を促したので大人しく席につく。


「今日はフェンナ様の随伴で、使節団のいくつかと会議をするのだろう? 連日会議続きだし、疲れていたようだったから私が朝食を準備してみたのだが。迷惑だったかな?」

「いえ、そんなことは」


 マスカレイドは朝ご飯を食べながら答えた。料理ができないわけではない夫だが、仕事程には器用にこなせないのか、野菜が不格好に切ってあったり、指に傷跡があったりと悪戦苦闘の跡が見られた。マスカレイドはそんな夫の指を微笑ましく見つめると、心からありがたく朝食をとった。


「思ったより疲れていたみたいだから助かるわ。今日からの交渉はかなり難しいものになるだろうから、帰りも遅いと思う」

「シーカーにとっても、種族の運命を左右するかもしれない数日だ。このくらいしてあげられないと、君の夫としての責務を果たしたとは言えないからね」

「そんなことを思ってくれていたのね。必ず成功させたいところだけど、正直あなたはどう考える? アルネリアを出て、行きたい土地はあるかしら?」


 マスカレイドは戯れに夫に聞いてみた。それまでも時に意見を求めることはあったが、あくまで不自然ではない程度に、最低限だけだった。本気で参考にしたことは一度もないし、そもそも夫は自らの意見をほとんど言わない。「よくわからない」、あるいは「なんとも言えない」がお決まりの答えだった。

 だから今日の答えには、不意をつかれたのだ。


「・・・今までは私の意見が君の仕事の先入観になってはいけないと思って何も言っていなかったが――やはり我々が暮らすのは、どこでも構わないと思うんだ」

「あら、結局一緒じゃない」

「違うんだ。アルネリアは住みやすい。何よりここは安全だし、アルネリアの人々は穏やかで流通もよく、衛生面でも利便性でもいうことがない。アルネリアは我々の誇りを損なわない程度の庇護と仕事を与えてくれるし、迫害の対象にならないように気を遣ってくれる。そのことにはとても感謝している。

 だが我々シーカーにとって最も重要なことは何か。それは我々がどこに暮らすということではなく、誇りとシーカーらしさを失わないことだと思う。森に親しみ、大地の声を聞く生活から離れてしまえば、それはやがて民族としての根幹を失くすと考えている。

 山や森が近ければ、我々はどこにいってもシーカーらしく暮らすことができると思う。私も時々山や森が恋しくなるんだよ。それを忘れるのが一番怖い」

「・・・」


 マスカレイドは黙って夫の言葉を聞いていた。夫がここまで自分の意見を話したのは、初めてのことだった。面白みのない男だと思っていたが、何も考えていないわけどころか、余程族長会議に出席する連中より、鋭いのではないかと思う。

 そして夫は続けた。


「だから君やフェンナ様は凄いと思うんだ。森や山を離れて、人の中でこれほどシーカーのために尽くせる。アミル、君は私の誇りだよ。だけど森や山が恋しくはならないのかい?」

「――私は」


 指摘されてマスカレイドは言葉を失くした。シーカーもスコナーも元は同じ一族だ。森や山に親しんで暮らすのがその本質。だが間諜として訓練されたマスカレイドは、そんな感覚をとうに忘れてしまっていた。訓練の最初の頃には、確かに森や山を懐かしむこともあったのに。

 最も大切なスコナーとしての気概をどこかに置いてきたのではないかと考え、マスカレイドは呆然としていた。スコナーの未来のためにと手を汚して働いてきたのに、いつの間にかスコナーですらない存在になっていたことに気付いて、戦いの意義が揺らいだのである。

 そんなマスカレイドを見て夫はどう思ったのか。朝食が終わったテーブルの上の食器を片付けながら、呆然としたままのアミルに話しかけた。


「そろそろ支度を急いだ方がいいんじゃないかな? 私も統一武術大会の会場で小物の修理などを依頼されているから、もう家を出ないといけないんだ」

「・・・あ、そうね。あなたも会場に向かうの?」

「昨日もいたよ? 言ったはずだけど、聞いていなかったのかい?」

「そ、そうだったわ。ごめんなさい、自分のことで頭がいっぱいだったみたい」


 マスカレイドはなんとか取り繕うと、再度夫の口づけを受けて準備を始めた。夫の言葉は頭に残ったままだったが、足だけは目的地に向いていた。

 そして予定通りの人と合流し、予定通りの業務を行う。習慣とは恐ろしいもので、これだけ心ここにあらずのマスカレイドでも、フェンナの補佐としての仕事ぶりにおかしなところはなかった。

 そしてフェンナの斜め後ろを歩いていると、不意に呼ばれる声にマスカレイドは我に返った。


「――、――ミル?」

「・・・」

「アミル!?」

「わあっ?」


 下から覗き込むフェンナに気付き、マスカレイドは後ろにこけてしまうところだった。ぼうっとしていたと勘違いしたのか、フェンナが口とんがらせて驚いていた。


「もうっ、アミルったら! しっかりしてよね、そんなに私の寄り道が不満?」

「いえ――そういえば、グローリアに寄り道をするのでしたか」

「そうよ」


 先ほど、朝一番の会議は延期になったとの連絡があり、浮いた時間でフェンナはグローリアに行きたいと言い出した。まだシーカーには許可が出ていないが、フェンナはシーカーの若者をグローリアに通わせることができるように、アルネリアと折衝を重ねている。人間に近しいところで生きていくには、まだ価値観の偏らない若者を学園に通わせるのが近道だと、フェンナは主張するのだ。

 成長速度も違う、偏見や差別、迫害は受けないのかどうかなどの細かい問題を詰めながら、早ければ来年か再来年には実現するのではないかとフェンナは主張する。やがてはシーカーが人間世界で迫害されずに生きていけるようになることがフェンナの目標である。遠い道のりだが、何事も一歩を踏みだすことが重要だと、フェンナはオルバストフ族長たちを説き伏せた。

 フェンナ自身もグローリアを刺激しないように査察を重ねているが、今回は不意の訪問を行い、あるがままの対応を見てみたいと言い出したのだ。グローリアは正規の授業は行われていない時期だし、早朝なら大騒ぎにならないだろうとフェンナは主張する。

 一つ間違えれば重大な問題になりそうだが、呆然自失に近いマスカレイドは二つ返事でフェンナの意見を肯定してしまっていた。

 フェンナは普段小言と反論が多いアミルの素直な態度に違和感を覚えたが、自分の意見が通ったのを幸いとばかりに、グローリアに足を向けていた。



続く

次回投稿は、2/5(月)10:00です。

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