戦争と平和、その111~会議四日目、夜③~
「あなたが合図をくれた方ですか? 身分と姓名、それに状況の説明をお願いいたします」
楓が責任者としてハミッテに尋ねる。ハミッテは最初こそ救援を心強く思ったのだが、楓の姿形を見た後、一瞬はっとしたように顔をまじまじと観察し、その直後感情を悟られぬように俯いていた。
楓からはハミッテの表情は見えなかったが、ハミッテの表情が草原に広がる野火のごとく憎悪に燃えていたのを、楓は知らない。
ハミッテは俯いたままで答える。
「グローリアの救護教官ハミッテです。この状況ですが――」
ハミッテは事務的に状況を説明した。楓はそれらを書き取りながら聞き、時折周囲に的確な指示を飛ばしていた。ハミッテは気付く。この年齢でこの立場ならば、新しい梔子候補の一人ではないだろうかと。
さきほどカラミティの虫たちを一瞬で倒した方法といい、明らかに恵まれた才能と力。ハミッテは鎮火する火事とは裏腹に、憎悪の炎がますます強くなるのを感じていた。
そして一通り聞き取りを終えると、楓は報告書を閉じていた。
「ご協力ありがとうございます。これで任務は終わりですので、後始末は我々にお任せを」
「そうですか」
なおも俯いたままのハミッテに対し、楓は純粋に彼女を気遣った。
「もし、どこか具合が悪いようでしたら自宅までお送りしますが?」
「いえ、結構です。さほど疲れてもいませんので、自力で帰宅します。それでは」
ハミッテは気付かおうとした楓の手をするりと躱すように、その場を後にした。去りゆくハミッテを見ながら、楓の背後から他の口無したちが話しかける。
「あの方はどなたですか? 相当な手練れに見えましたが」
「私も一瞬見えただけだけど、相当の腕前だった。襲撃してきたのはカラミティの分体でしょうけど、3体の内2体までを自力で屠っている。おそらく話に聞く杠様だと思うけど、私は面識がないから梔子様に確認しないとわからないわ」
「杠様――ああ、かつての梔子最有力候補だったけど、怪我で一線を退かれたという」
「曖昧な噂はよしなさい、それよりも任務に集中を。まだ全ての脅威が去ったかどうかはわかりません」
楓が周囲を一喝しそのまま自分の作業に入ったところ、ハミッテは憎悪に燃えながらその場を去っていた。久しぶりの命がけの戦いに勝利したばかりだというのに、高揚感もなければ開放感も達成感もない。あるのは新しい才能に対する暗い怒りだけだった。
グローリアの緊急時には深緑宮への連絡方法があることは知っていたが、いち早く来るのは口無しだろうと想像はしていた。口無しが救援にくるだけでも嫌だったのに、よりにもよってあんな女が来るとは。全てが過去を思い起こさせる。もう過ぎ去った、苦い青春の日々を――
ハミッテは油断をしていなかったつもりだったが、久しぶりの激闘の後で開放感があったことは否定しない。そして意識は過去へと飛んでおり、感情は怒りと後悔に支配されていた。だから、後から口無しの一人が追いかけてきた時も、思わず生返事をしたのだ。
「ハミッテどの」
「ん? ああ、口無しの――ええっと」
「名前は結構です。それより忘れ物ではありませんか?」
「忘れ物、すみませ――」
反射的に手を伸ばしたハミッテだったが、それが既に致命的であることを理解したのは、胸にめり込んだ短刀を見た時だった。正確に心臓を突いたその短刀は、丁寧に刃を寝かせて差し込まれており、肋骨の間を貫通してハミッテの心臓を正確に貫いていた。
激痛よりも、心臓を刺された衝撃で言葉を話せないハミッテ。何事かを口にしようとした時に既に口から血が溢れ、意味のある言葉は口から出ず、間抜けにも聞こえる空気の音だけが漏れた。
「な、――――ひゅぶぅう」
「お前みたいな女に、人生を狂わされてたまるか」
ハミッテが必死に相手の顔をつかむと、その顔の皮が剥げる。口無しだと思っていた女の正体は、マスカレイドだった。マスカレイドはカラミティが確実にハミッテを仕留める瞬間を見届けるため、カラミティの分体の襲撃に合わせて密かにグローリアに潜入していたのである。
カラミティを最初に見て以来、マスカレイドはその対策を考えていた。スコナーの薬学の知識には、虫よけの薬草を調合する方法もある。それらを駆使して、虫に気付かれないような匂いを纏い、適当な女の顔に化けて潜入していたのだ。
そしてカラミティが敗れた今、マスカレイドは口無しの衣装をちらりと見ると咄嗟にそれらしく変装し、戦闘後の隙をついてハミッテの心臓を突いたのである。戦闘技術で大幅に劣るマスカレイドにとって、これは賭けだった。ハミッテが油断していても、短刀を弾かれる可能性は十分にあった。
変装を解いたマスカレイドは、大量の冷や汗を拭いながらとどめに入った。相手は元口無し。どんな攻撃手段を残しているかわからないからだ。
地面を這いずるハミッテに対し、その両手をさらに串刺しにし、間髪入れず背中からも刺した。血が飛び散るが、お構いなしに刃を抉って息の根を止めた。ハミッテは大量に流れ出る血から自分が死ぬことを察したが、怒りの言葉も後悔の言葉ももはや出ぬことを察し、空を睨みながら事切れた。
ハミッテが死んだのを確認すると、マスカレイドはようやく大きく息を吐き出した。
「や、やった・・・やってやった。これで私は安泰――これで私を脅かす者はいなくなった。ふふ、ふふふ・・・ははははは」
マスカレイドは静かに、だが心から笑っていた。数ヶ月自分を脅かした存在はもういない。カラミティという障害はあるが、これで一つ懸念事項が消えた。カラミティも分体3体を失った。あとはどうにかして残りの本体を始末すれば、もう自分を脅かす相手はいなくなる。そう考えると、自然と笑いがもれずにはいられなかった。
だがそんなマスカレイドの肩を突然叩いた者がいた。反射的にびくっとなったマスカレイドの頭上から、男の声が聞こえてきた。
続く
次回投稿は、2/1(木)11:00です。




