魔王の工房、その12~追撃~
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「生きた心地がしなかったわね・・・」
「はい。よくぞ生きて帰れたものだと」
外に出たエルザとイライザは一息ついていた。予め『犬』に命じて応援を呼んでいたので、既に外には近くの支部から呼び寄せたアルネリア教会関係者が30人ほど待機していた。どちらにしても、工房から命からがら逃げ出した2人にはもう一歩も動く気力はなかった。
シスターに差し出された温かい飲み物を2人とも口にすると、ようやく少し緊張が解けた。今は一息をいれるがてら洞穴が塞がったことを騎士たちに確認させてはいるが、あの女剣士であればすぐさま追撃してきてもおかしくはない。さきほどは相当量の火薬を使ったし、もう砂時計の砂が落ち切っているからエルザのディレイ・スペルも発動し、工房もかなりの確率で破壊できたとは思うが、万一に備えてすぐにでもこの場所を離れなくてはいけない。
「確認が済み次第、ここを離れる。各員準備を!」
「了解しました!」
エルザの号令と共に、全員がきびきびと動き始める。そのエルザの傍らで、イライザは小さく震えていた。
「どうしたの、イライザ。まだ恐ろしいのかしら?」
「・・・はい。以前アルベルトに『自分の無力さや、戦場の恐ろしさを知ってからどうなるかで騎士の素質がわかる』と言われました。こんなに怯える自分は、騎士としてどうなのかと思いまして」
「そうね・・・」
エルザは言葉を慎重に選ぶ。正直なところ、イライザは今回の任務において文句なしの働きをした。経験が浅い割によくやったものだとエルザは感心しているが、手放しに褒めてもイライザの成長を妨げるかもしれないと思う。
「・・・まあ今回は及第点はあげてもいいかと思うわ。生きて帰れたことが何よりだしね。敵の戦力に関する見立てが大分甘かったことは私も認めるわ。あれほどの化け物がいるとは、正直思わなかった」
「あの女剣士のことでしょうか?」
「そうよ。貴女が受けた印象はどうだった?」
「そうですね・・・」
イライザの脳裏に黒髪の女剣士の顔がまざまざと浮かぶ。きっと彼女は全力ではなかった。あの施設を叩き斬る一撃すら、日常動作の域を出ないのだろう。まさか剣であのような事が出来るとは。きっとあの女剣士は誰よりも強い。自分より、アルベルトより、おそらくはミリアザールよりも。次元が違いすぎてイライザには強さの判断ができなかった。そんな素直な感想をイライザは述べる。
「正直わかりません。ただ・・・」
「ただ?」
「直感ですが、歴史上最強の剣士なのではないかと思いました。根拠はなく、ただの勘ですが」
「ラザール家の者が口にする勘は、ただの勘とは言わないわ」
エルザが腕を組んで考え込んだ。確かに実力の程は想像もできないとはいえ、あのレベルの敵がもしアルネリアに攻め込んで来ていたら。先の少年が攻めてきた程度の被害では済んでいないだろう。本腰を敵は入れていないとミリアザールが話したのも半信半疑だったエルザだが、今なら素直に頷ける。
「(調べるべきはあの女剣士の力量だったか? だが私たちでは比較対象にすらならない。イライザの話し方からすると、おそらくミリアザール様より上なのだろう。それがわかっただけでも収穫か)」
エルザが今回の任務の出来具合について自省する間にも、撤退準備は完了する。地方勤務の騎士とはいえ、中々に手際がいい。
「エルザ様、探索をしていた兵が出てきました。洞穴は完全に埋まっているようです!」
「よし、見張りを2~3人残して一度撤退する。見張りは遠眼鏡でここがぎりぎり見える位置に配置し、決して近寄らないことを徹底させろ。竜引け!」
「了解しました!」
報告に来た騎士が洞穴から出てきて待機している騎士に伝令する。その様子を見ながら、安堵のため息をつくエルザ。困難な任務だったが、どうやら今回も無事に帰ることができそうだと思ったその時だった。
「ぎゃああああ!」
耳をつんざく悲鳴が聞こえた。その場にいた全員が、一斉に悲鳴のした洞穴の入り口付近を振り向く。
「なんだあれは!?」
騎士たちが戦闘態勢をとりながら一斉に叫ぶ。エルザもイライザも目の前の光景が信じられなかった。
「な・・・」
「なんてしつこい!」
イライザも叫んだが、信じられない事にそこには騎士の1人を口にくわえたケルベロスが立っていた。爆発の影響か体はボロボロで腹からは腸がはみ出てるほどの大怪我を負いながら、生命維持自体には何の影響もないらしく、それが証拠にしっかりと4本の足で立っている。
口にくわえられた騎士にはまだ息があるらしく、なんとか逃げ出そうと弱々しくもケルベロスを殴りつけているが、抵抗するほど歯が食い込むばかりで一向に効果は得られない。ケルベロスの方も抵抗されるのを嫌がったのか、騎士を口にくわえたまま振り回し始める。巻き散らされる血に騎士やシスターたちが思わず悲鳴を上げ、その内咥えられた騎士の頭が地面に激突し、首の骨が折れる嫌な音が響き渡ると、彼は抵抗を止めてぐったりとしてしまった。
「シスターエルザ! なんですかアレは?」
騎士の一人が声を荒げる。目の前の光景が信じられないのだろう。
「・・・こっちが聞きたいわよ。まあ冥府の番人、いえ番犬ってところかしら」
「これが噂の魔王ですか?」
「さあ? どうでもいいけど今のうちに陣形を組みなさい、手強いわよ!」
エルザの号令で全員の顔が引き締まり、ケルベロスを取り囲むように円陣を組む。だがここに来ているのは通常の任務についている騎士だ。本部勤めの精鋭や神殿騎士団ではない。各自の顔には怯えの色が隠せず、戦闘に慣れていないシスターや僧侶の中には腰を抜かしている者までいる始末。
「(無理もないか、私でさえ怖いのだもの。逃げ出さないだけでも良しとしよう)」
指揮官が有名なエルザだからこそ騎士たちにもまだ戦う気が起きるのだが、この騎士たちには正直なところエルザは期待できなかった。彼らにはほとんどまともな戦闘経験がない。よしんばあったとして、せいぜいゴブリンとかオークの掃討程度だろう。
本部からの精鋭を連れて来なかったことを悔やむエルザだが、だいたいが基本的に秘密裏の行動なのだ。今回増援を呼んでいること自体が命令違反にも近いのだが、撤退の事を考えれば確実を期したかった。洞穴を見た時に、エルザの直感が今回の任務は一筋縄ではいかないことを告げたのだ。もっとも危険度は彼女の想像をはるかに上回っていたことは否めない。
任務の重要度を考えれば最悪、この増援を犠牲にしながら自分が撤退することも考えなければならない。そんな嫌な選択肢を考えていると、先ほどから嫌に耳に残る口調が聞こえてきた。
「ダグラよぉ、なんだか妙に腹が減らねぇか?」
「お前もかぃドグラ? 俺もだぁ」
2本の首がゴキゴキと延びてくる。言わずと知れた先ほどのオークに意識が戻ったのだ。
「本当にしつこいわね、あんたたち! いい加減うんざりよ」
「そんなこと言われても、オラたちも頑張らねえとアノーマリー様のお仕置きは怖いだよ」
「んだんだ。あの方はひでえマゾだども、責めに回る時は何の慈悲もねぇからなぁ。きっとオラたち生きたままバラバラにされるべ」
「いやいや、既にバラバラにされたからこんな体になったべ?」
「そういやそうだっけ? よく覚えてねぇべ」
2本の首が顔を合わせて首をかしげる。敵にしては間の抜けた仕草だが、もはやエルザもイライザも満身創痍だ。勝てる保証はどこにもない。しかもイライザは外に置いておいた荷物から予備の剣を取り出しているが、双剣が無い状態ではこころもとない。ケルベロス程の巨体に、果たして並の剣が通るのか。
正直、立てる作戦に困っていたエルザが躊躇したのがいけなかった。とぼけた口調のくせに、動き出したのはケルベロスの方が早かったのだ。体の主導権はポチと呼ばれた真ん中の個体にあるようだ。
「うお!」
「ぐえ!」
ダグラとドグラでさえ不意をつかれたのか間の抜けた声を上げるが、広い空間でのケルベロスの俊敏さはエルザの予想を軽く上回る。一歩で踏み込むと、目の前の騎士を前足で横殴りにし、吹き飛ばされた騎士に何人かが巻き込まれる。その瞬間、勇敢にも斬りかかった騎士の一人を反対の足で上から叩き伏せ、彼を足蹴に岩壁に向かって飛ぶケルベロス。
騎士の剣は空を斬り、ケルベロスは壁を使って三角飛びをして別の角度から彼らに襲いかかる。そしてなぎ倒した騎士の頭にかじりつくと、首をねじ切るようにして食べ始めた。ドグラとダグラも意識がポチのものに近くなっているのか、同じように騎士の体にかじりつく。噴き出す血を間近で見て、まだ足で押さえつけられただけの騎士が半狂乱の悲鳴を上げる。だが誰も助けに剣を振うだけの勇気は既になかった。
そして足元の別の騎士にケルベロスが顔を向ける。それを見てイライザが近くの騎士の剣をひったくるように奪い、得意の二剣にする。
「貸しなさい、私がやります」
「イライザ、待ちなさい!」
「待てません!」
イライザの騎士としての責任と、彼女自身の正義感と、そして疲れが彼女に判断を早まらせた。イライザは勇猛にもケルベロスに斬りかかって行ったが、その動きは全快の時の半分程度しかない。あっさりかわされ、ポチの頭で剣を弾き飛ばされる。さらにドグラの頭を振り子のように使い、イライザは仰向けに跳ね飛ばされた。
「ああっ!」
悲鳴と共に地面に叩きつけられたイライザ。その上に間髪いれずケルベロスが跳びかかって来る。そしてイライザの両手を前足で押さえつけると、上からイライザを見下ろした。
「は、なせっ!」
イライザが逃れようともがくが、ケルベロスは馬2頭分を越す大きさだ。一度組伏せられてしまえばイライザの細腕ではびくともしない。だがケルベロスの方もイライザに噛みつくわけではなく、むしろイライザの匂いをしきりに嗅いでいた。そんなケルベロスの様子をイライザが訝しがるが、ダグラとドグラの頭が伸びてくるとイライザの衣服を噛み破り始めた。
「あっ! 何をする!」
「オ、オラたちの意志じゃないべ!」
「ポチが勝手に!」
その瞬間、イライザとダグラとドグラは3人同時に気がついたのだが、ポチの息遣いが異常に荒い。腸が少しはみ出ているとか、爆発でダメージを負っているとかではなく、単純にイライザを雌と認識して興奮していた。ダグラとドグラは体を共有しているからなんとなく感覚でわかるし、イライザはポチの下半身を見てしまった。目の前の獣が何をしようとしているかを察して、イライザの顔が真っ青になる。
「やめ・・・やめろっ!」
「こらっ、ポチ! さすがのオラたちといえど、今はそんなことしてる場合じゃないっぺ!」
「だ、だめだ。こいつ盛りきってて言うこときかねぇ!」
ぎゃあぎゃあとダグラとドグラが騒ぐが、その光景を見ながらエルザは冷静に考えていた。
「(このままイライザを囮にすれば隙ができる・・・さしもの奴も行為の最中にまで注意力を保てまい。その時に一か八かポチの頭を殴り飛ばして爆発させれば。だけど一発分の魔力が回復したかどうかすら怪しいな・・・って、私は何を考えてるんだ! あんな若いイライザを犠牲にしていいはずがないだろう!? いや、しかしこのままでは全滅したっておかしくない・・・くそ、私はどうすれば!?)」
エルザの頭の中で任務の優先と良心の呵責がせめぎ合う。その時エルザの袖を引く存在にエルザが気を取られたのもほんの束の間。イライザの悲鳴に再び振り向くエルザ。
「いや、いやあっ! こんなの・・・イヤだっ!」
イライザはラザールの家に生まれて武器を取る道を選択したとはいえ、その本質は悲しいほどに女性だった。もちろん剣の道を究めたいと思うと同時に、好きな男性ができた暁には結婚して引退し、貞淑な妻として幸せな家庭を築くことも悪くないと思っている人間だった。まだそのような機会に恵まれないため、恋とは話や物語に聞く程度のものでしかないが、憧れは並一般の女の子のようにあるのだ。
そんなイライザに襲いかかる非情な現実。女性が戦場に出る以上敗れた時には覚悟しなければならない事ではあるものの、神殿騎士団の精鋭にすら滅多なことではひけをとったことのないイライザには、実感の湧かないどこか遠い世界の話だったのだ。まして相手は人間の場合。まさか仲間の騎士が見ている目の前で正体不明の魔獣に犯されるなど、あまりにも非現実的すぎる。想像だにしない現実が自らに襲いかかろうとしていることが、イライザの心を折った。
だが最後の騎士の誇りか。直接的に助けを求める事だけはしなかったものの、もはやイライザに冷静でいることは無理だった。そんなケルベロスの下で必死にもがくイライザの叫び声に、一も二もなく飛び出すエルザ。
「くそっ! こうなればやぶれかぶれだ!」
回りの騎士に指示を飛ばすことすら忘れ、ケルベロスに飛びかかろうとするエルザ。だが、明らかにタイミングが遅い。
「ひっ!」
イライザの太腿をドグラとダグラの頭が押さえつけ、身動きが完全にできなくなったイライザの純潔が散らされようとしたまさにその時、頭上から響く声があった。
続く
次回投稿は、3/22(火)12:00です。