魔王の工房、その11~脱出~
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「ま、間に合った・・・!」
「はあっ、はあっ」
エルザが転移したのは、最初の分かれ道のある部屋。間一髪、衝撃波が届く前に転移は成功した。ここからなら走って外に脱出できる距離だ。
「イライザ、脱出するわよ!」
「あんなの・・・あんなの人間じゃない・・・」
「イライザっ!」
イライザが完全に怯えきっていた。今でこそアルベルトやラファティに劣るとはいえ、この2人さえいなければイライザが将来的に神殿騎士団団長でもおかしくはないほどの実力者なのだ。イライザにしても、アルベルトを越えることを目標に鍛錬してきたのに、完全に自分とは次元が違う剣士を見てしまった。とてもではないが、あれほどの者がこの世に存在するとはイライザは想像していない。どうするばあれに対抗できるのか。イライザは怯えながらもその事で頭の中は一杯だった。それは剣士として最強を目指す者の本能だが、本来なら今はそれどころではない。だが経験不足のイライザにはそのような判断を瞬時にすることはできなかった。だからこそ、致命的。
背後にある入口が、ガシャリと上から降りた格子に遮られる。同時に左右の道も同じく格子に遮られた。侵入する通路はそれほど明るくもなかったので、エルザですら格子の罠を見落としていた。仮に閉じ込めるような仕掛けがあったとしても、転移があれば最悪大丈夫だと思っていたのだ。だが、もはや転移はできても一回だけ。そこまで消耗する前には撤退する腹積もりだったのだ。エルザが後悔するが、もう遅い。
暗闇に視界がきかず、やむを得ないとありたけの松明を荷物から出して火を灯し、その辺に投げるエルザ。正面の大きな通路だけはまだ格子が閉まっていないが、そこから何か荒い息遣いが聞こえてくる。イライザも変化を感じとったのか、のろのろとだが立ってきた。
「エルザ様、申し訳・・・」
「黙って!」
不手際を謝ろうとするイライザを厳しい声で制するエルザ。何かが暗闇の向うに、いる。ほどなくしてその何かが、はっはっという荒い息遣いと共に現れた。その巨体の正体は、
「ポチ?」
「死んだんじゃ・・・」
先ほどのエルザが抱いた違和感の正体。何かが実験室には足らないと思っていたのだが、ポチの死体がなかったのだ。もちろん完全な死を確認したわけではなかったが、先ほど悶え苦しんだのはなんだったのかといわんばかりに涎を滴らせ、近寄ってくる。
「失礼なっ! オラたちが死ぬわけねぇべ。なぁ、ダグラよ?」
「もちろんだぁ、ドグラ。男前は簡単には死なねえのが世間の常だっぺ!」
と、先ほどポチに食べられたはずのオーク2体の声がポチから聞こえてきた。そしてポチの肩のあたりからメリメリとこぶの様なようなものが盛り上がり、やがてそれはポチの首ほどにも伸びると先に顔が形成される。それは紛れもなく先ほどのオークであり、違いといえば口がポチと同じように大きく裂けていることぐらいか。三つ首の犬の魔物。その恐ろしい姿は、あたかも冥府の番犬と呼ばれるケルベロスそのものだった。
「ダメだべ、お嬢さんたち。ここから逃げるのはならね!」
「んだんだ。ここで確実に死んでもらうっぺ」
「わんっ!」
「くぅ、しつこい男は嫌われるわよ!?」
エルザは軽口をたたくも、そこまでの余裕は実際にはない。
この狭い空間でこの巨体と戦う。しかも先ほどの印象では、万全の状態でさえ骨の折れる相手だということはわかっていた。さらにこれ以上魔術を使えば、確実に転移魔術が発動できない。またイライザの双剣も既にない。状況は最悪だった。
「イライザ」
「はい」
だがそれでもエルザの頭には諦めの言葉はない。そんなやわな精神力ではないのだ。だてに10年近くも巡礼の任務についてはいない。またその自負もある。イライザも力強いエルザの言葉につられるように返事をする。
「30呼吸・・・いえ、15でいいわ。稼ぐわよ。合図したら貴女は左、私は右」
「御意」
そして突貫してくるポチことケルベロス。その瞬間エルザが叫ぶ。
「今よ!」
「!」
左右に分かれる2人をドグラとダグラの顔がそれぞれとらえる。それぞれがエルザとイライザの方向に首を擡げようとするが、逆にそこでポチの動きがピタリと止まる。
「ドグラ、敵はあっちだよ!」
「ダグラ、敵はこっちにもいるべよ!」
「こっちからだ!」
「いんや、こっちが先だ!」
意見が分かれると、動けないのか。一つの体に対し、命令を下す指揮系統が沢山あってはどうしようもないのか、ケルベロスは悶えながら戸惑っている。エルザはしめたと思うが、転移のための魔法陣はポチの真下に設置してある。最低一度はその場所からケルベロスを引き離さないといけない。
「じゃあどっちからいくか、ジャンケンで決めるべ!」
「よしきた! でも手はどうやって出すんだ?」
「あっ」
くだらない言い争いをいつまでもオークが続けてくれそうなのは結構だが、先ほどの女剣士が追撃してきたらおしまいだ。施設を山ごと叩き斬るような化け物と戦う自信は、さしものエルザにもなかった。
そう考えると一刻も早く脱出しなくてはならない。覚悟を決めたようにちらりとイライザの方を見るエルザ。何の打ち合わせもないが、果たしてイライザが自分の意志を汲み取ってくれるかどうか。イライザがエルザの意図を理解できていない、あるいは足がすくんだままなら2人とも死ぬ。これは博打なのだ。
「(ここまで追い込まれるのはいつ以来かしらね・・・やるか!)」
覚悟を決めたエルザが、深呼吸と共にケルベロスに向かって吠える。
「こっちよ、化け物!」
「んあ?」
エルザの声にケルベロスが反応し、体をエルザの方に向ける。
「女性からのお誘いとあっちゃ、断ったら男がすたるべ」
「んだんだ。オラたちのステキっぷりを堪能してももらうべ」
「わんっ!」
「やれるものならやってみなさい!」
構えるエルザに突進しようとするケルベロス。だが一歩目を踏み出した瞬間、閃光が二筋煌いた。イライザが腰の剣を使い、背後からドグラとダグラの首を斬り飛ばしたのだ。
斬り飛ばした衝撃で一瞬ポチがのけぞるのを利用し、足元を転げまわってケルベロスの背後に回ろうとするエルザ。同時に荷物から光爆弾を取り出し、ポチの頭めがけて投げつける。光爆弾は巡礼に出る者の標準装備なので、予想がついたイライザもエルザが投げるのを見て、瞬間的に耳をふさぎ目をそらした。その音と光にポチが動きを止め、エルザはイライザの手を取り魔法陣に駆けこもうとする。だがその背後から、斬り飛ばしたはずのドグラとダグラの首が転げ回りながら迫りくるではないか。
「いかせないっぺ!」
「ここで死ぬだ!」
「ほんと、しつっこい!」
エルザの悪態にイライザが反応し、手持ちの剣を投げつける。剣は見事に首2つの舌を地面に縫いとめ、ドグラとダグラの動きを止めた。
「よし、脱出よ!」
「はい!」
エルザは残り全ての魔力を使い、転移を起動させる。ただ今度の転移は通常のものとは違い、相転移といわれる互いの場所を入れ替える特殊な転移である。エルザとイライザはもちろん脱出するのだが、代わりにこちらに転移してくるものとは。
転移に少し遅れてイライザの剣をドグラとダグラが咬み切った時、彼らの目の前に何かが現れる。
「あん?」
「なんだこりゃ、って火薬だべか!?」
彼らの目の前の現れたのは、鉱山などの発掘で使われる発破だった。エルザが追撃されてこの魔法陣を使用することを考えて、追撃を撃退するために念のため仕掛けておいたのだ。相転移を行った時にのみ、自動的に火がつくように特殊な仕掛けを施して。
そしてご丁寧にも、発破には不要な導火線は短すぎるほど短い。着火すれば、すぐにでも爆発できるように無慈悲な長さしかなかった。
「~~~!」
ダグラとドグラは慌てて首を翻したが、もはや間に合わない。そして轟音と共に巻き上がった炎はドグラとダグラ、ポチを容赦なく飲み込み、洞穴を炎の蛇が走ったのだった。
続く
次回投稿は、3/20(日)14:00です。