戦争と平和、その90~会議三日目、夜②~
「変わったな。華やぐラペンティと呼ばれたお前はどこにいった?」
「私の年齢をご存じですか? 人間は歳をとるのです、昔のままの方がよほど気味が悪い。獣人のあなたは感性も年若いまま、壮健でいらっしゃいますが。いえ、昔よりも理性的になりましたか」
「それこそ歳をとったからな。王も何年もやっていると、それなりに賢しくなる。狡くならないようにだけは気をつけているが」
「確かに。あなたが狡いなんて、ちょっと想像したくありませんね。やはりあなたは何も考えずに先頭を突っ走る方が性に合っている気がします」
その遠慮ない物言いに、ドライアンは苦笑した。
「あれでも当時は考えていたつもりだったのだが」
「知っていますよ。自分が先頭で突っ込むのが、一番被害が少ないと考えていたのでしょう? 敵が正面だけにいればその通りですが、挟撃された時なんかは大変でしたよ」
「ああ、そんな戦いもあったな。結局俺が正面の敵を粉砕しても誰も追いついてこないから、引き返して全滅させたんだったか」
「当時はあなたの強さに呆れもし、憧れもしたものです。あなたのような強さが私にもあれば、いかほどの人間を救えるかと、どれほど羨んだか」
ラペンティがお茶を注ぎなおし、ドライアンはそれをさらに飲み干していた。ドライアンが昔舌を火傷したのを覚えているのか、ほどよい熱さに調節されていた。姿も態度も変わってしまったが、ラペンティ本人であることには間違いがないのだと、ドライアンは懐かしい味を楽しんでいた。
「だがお前も強かった。人間、とくに女の身でお前程強い人間は見たことがない。全盛期であれば、かのディオーレすら上回ったのではないだろうかと思っていたが」
「そりゃああなたを見て、死に物狂いで鍛錬しましたからね。あなたのような戦士と旅をしていなければ、今ほど強くならなかったのは間違いないでしょう。全盛期の私は、アルネリアでも並ぶ者なしと言われましたから。その点では非常に感謝していますよ。
ディオーレ殿とは腕比べをしたことはないですけど、評判を聞く限り本気の戦いになったらどちらかが死ぬしかないでしょうね。もっともそんな戦いは御免蒙りますが」
「そうか――ところでお前、結婚はしたのか?」
ドライアンの質問に目をぱちくりさせたのはラペンティである。確かにミリアザールの用意が整うまでの時間つぶしにこの部屋に通したのだが、ここまで世俗的な話になるとは思わなかったのだ。
ドライアンにとって、自分の時間は50年前のまま――互いに若く、旅をしたころのままなのだと、ラペンティは理解してどこか微笑ましくなった。だから、つい正直に話してしまいたくなったのだ。
「――答えなきゃいけませんか?」
「そのくらい聞く権利はあるだろう。というか、お前と同世代の者なら誰でも気になったことだ。アルネリア一の、いや、大陸でも一、二を争う美女が誰を伴侶に選ぶのか、気にならん方がおかしい。旅の中でお前に惹かれ、相争う男子を何人見たことか。
特に、俺を袖にしたお前だからな。もう聞いてもいい頃だろうが。年だと言うのなら、死ぬ前に話しておけ」
「これはまた古い話を――そうですね、私に惚れていたとおっしゃるなら、その弱みに付け込ませていただきましょう。口外無用ということでなら」
「当り前だ。誰がかつて惚れた女のあれそれを口外するものか」
やや憤然とするドライアンに、ラペンティは苦笑した。昔と全く変わらない。これだからラペンティは獣人を伴侶にしなかったのだ。生きる年月が違う彼らは、感情がいつまでも若いから。年齢と共に狡くなっていく自分が惨めに感じるだろうとかつて考えてドライアンの申し出を断ったが、予想した通りになった。
「ではお話しましょう、もちろん誰にも話したことはありません。私は誰にも秘密で結婚していました。もちろん代々の聖女や同僚、親類にさえ秘密でした。ひっそりと二人だけで式を挙げましたが、共に暮らすことすらしなかった。私は任務で忙しかったし、相手もまた同じでした。
それに私が特定の男を作っていたと知れると、大変なことになりそうでしたしね。情で利用している者もいましたし、何人かは嫉妬で暴走しそうでしたし。例えばあなたとか」
話の内容にも驚いたが、急に水を向けられたドライアンは面喰った。今なら理性的に対応するだろうが、当時なら相手の男の胸倉くらい掴んだかもしれないと考え、ちょっと汗をぬぐっていた。
「冗談はよしてくれ。俺にも理性はある」
「獣人に理性はあっても、忍耐はそれほど期待していないものですから。まぁただそんな生活でしたから、子どもには恵まれませんでした。最初からそれほど期待してもいませんでしたし、子どもがいても弱みになるだけだったでしょうね。恨みつらみもそれなりにかっていましたから」
「そうか。だが夫殿はどうしたのだ?」
「生きてはいますが、既に離縁していますよ。互いに忙しすぎましたし、結婚していることにも意味がありませんでしたので。まぁ私にも若気の至りがあったのです。結婚という形と制約を得ることで、何か新しいものが生まれると期待していましたが、生憎と何もなかった。
結局のところ、私にとっては任務が一番で、生きがいだったのです。かつてあなたが好きだと言ってくれた女は、ただのつまらない年寄りになってしまいました。もう老い先短いこの身でありながら、いまだに任務が恋しくて引退すらできない。敵がいて、それらをいかに駆逐し、取り込むかに心を砕くその瞬間が幸福なのです。仮にあなたに結ばれたとしても、グルーザルド王妃としては不適格だったでしょうね」
ラペンティが丁度そこまで言い終えたところで、扉がノックされた。どうやらミリアザールの準備が整ったらしい、ドライアンはしずかにカップを置くと立ち上がったが、少し躊躇いラペンティに再度話しかけた。
「確かに、俺の妻となった女とお前は違うな。俺が選んだ女は獣人のくせに儚く、荒事には向かない性格だった。だからこそ今の俺があるともいえるが、当時の俺は共に戦場に出ていけるような女が望ましいと思っていたんだ。そういう意味ではお前が最適だったし、それはそれで面白いと思った。
だからお前が妻だったとしても、俺は後悔しなかったと思う。それだけは言っておく」
「なぜそんなことを今さら?」
「お前が自分を卑下するのは見たくない。お前は死ぬ最後まで、俺の憧れた女でいてほしいのだ。獣人は人間より寿命が長い、だから気に入った人間はたいてい先に死ぬ。気に入った人間が不幸な結末をむかえるのは見たくないものよ」
ラペンティは再度目を丸くした。
「なんて我儘な方。流石に王は言うことが違う」
「王とは最も我儘な人物だ。その俺を惑わせたお前が悪い。その責任をとれ」
「それは女が男に言う言葉です、まったく」
ラペンティは微笑んでドライアンを送り出したが、彼がいなくなった後でぽつりとつぶやいた。
「そうね――私があなたともっと早く出会っていたら、あなたの妻になるのも面白かったかもしれない。だけど、私はあなたに嘘をついた。私は皆が思うほどきれいな人間ではないのよ、ドライアン」
ラペンティは一人、残された部屋でぬるくなったお茶を飲んでいた。
そしてミリアザールに謁見することに成功したドライアンは、その場に梔子しかないことを確認すると、平身低頭していた。グルーザルドの者が見たら、卒倒しそうな光景である。ミリアザールもまた、その様子を見て聖女としての態度を取り払い、素のままに対応していた。
続く
次回投稿は、12/21(木)13:00です。