魔王の工房、その10~黒髪の女剣士~
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「ふむ? 確かに気配があったのですが」
暗闇の中、一人で不可解な思いに囚われていたのはティタニア。確かに先ほどこの壺の陰に、侵入者の2人がいたように感じていたのだが。自分が気配を読み間違えるわけも無し、どうにも解せない結果だった。事実、ここには双剣が置き去りにされている。
何が起こったか確かめようと、気配があった場所に立ってみるティタニア。
「微かに魔術の残滓がある・・・アノーマリー!」
「はいはーい」
呼ばれたアノーマリーが壁に触れて明りを灯した。壁から天井から向けて順に、格子状に明りが灯されていく。ロウソクによる明りよりはるかに明るく、魔力を通すと明りが点く仕組みになっていた。徐々に明るさは落ちていくが、ロウソクよりは長持ちするし、魔力さえ通せば何度でも使える。アノーマリーの発明だが、まだ世には出回っていないものだ。世の中に知られれば、世間が一変しかねない研究成果だ。
「こういった発明をもっとしてほしいものだな」
と、以前ヒドゥンがアノーマリーに告げたことがあるが、アノーマリーは「こんな発明は面白くない」とうっちゃってしまった。その発言を嘆いたのはヒドゥンだけではなかったのは、想像にやすい。
ともあれ明りがついてアノーマリーの本体が姿を現す。そのアノーマリーに残念そうな顔を向けるティタニア。
「どうしたの、ティタニア。剣帝ともあろうものが逃がしたの?」
「せっかく行き止まりの部屋に迷い込んでくれたのに、そのようですね。どうやら転移魔術で飛んだようです」
「そんな気配はなかったけどな。あれほど魔力を使う魔術なら、部屋の外からでもわかるよ?」
「私もそう思います。確かに魔力が収束する気配はなかった以上何か道具を用いたか、特殊な転移か。いずれにしろそう遠くにはいっていないはずです。追いますか?」
「もちろん! 散々ボクを殺してくれからね。お返しをきっちりしなきゃあ、割に合わない」
そう言って恍惚とした笑みを浮かべるアノーマリーに対し、『お返し』ではなく『お礼』の間違いではないのですかと内心でティタニアは思いながらも、気配を感知するべく集中力を上げる。すると、先ほど侵入者の2人が戦っていた実験室に2人の気配があるではないか。
「見つけました。実験室です」
「あら、思ったより距離があるね。これは間に合わないかな?」
「あなたの許可があれば私がやりましょう。ですがその前に一つ聞きたいことが」
「何?」
アノーマリーが首をかしげる。
「この工房はどうするつもりで?」
「見つかったからにはもう廃棄するしかないでしょ? だからさっきブラディマリアに無理を言ってでも、引き揚げさせたのさ。既にここにいた即時稼働可能な魔王は大草原に全て解き放ったし、この工房ももう古いしね。新しい工房は建設中のやつも含めて10か所以上あるんだ。1つくらい壊れても、なんてことはないさ」
「それを聞いて安心しました。では私がこの工房を壊してもいいでしょうか?」
「いいけど、どうやってやるの?」
そういえばティタニアがどうやって戦うのか、アノーマリーは知らない。背中に大剣を二振り背負っている所を見れば剣士なのだろうということは想像ができたが、それだけである。女の身ではあまりある大剣なのは一目瞭然で、それを二振りともなれば、女の細腕で振るうには想像に難かった。自分たちは魔術士の集団なのだから、魔術も心得てはいるはずだが。
不思議そうな顔をするアノーマリーにティタニアは魅力的な笑顔で返すと、エルザとイライザがいる部屋に一番近いであろう場所にスタスタと歩いて行く。そして背中の身の丈ほどもある剣を一本抜き放つと、ヒュン! と軽々と振ってみせた。その刀身は黄金色に輝き、部屋を一層眩しく照らしていた。
「簡単です。工房ごと侵入者を斬ります」
「はえ?」
アノーマリーが間抜けな声を上げると同時に、ティタニアは大上段に剣を構える。
「5・・・いや、6回というところでしょうか」
何かをつぶやくティタニアだったが、同時に大剣を大上段から一気に天井に向けて振り下ろすのだった。
***
「はあ・・・はあ・・・」
「イライザ、大丈夫?」
命からがら転移魔術を発動させたエルザとイライザが、先ほどの実験室に戻っていた。エルザが各所でチョークを取り出し何をしていたかといえば、脱出のために転移魔術を簡略化できるように仕掛けを施していたのだ。エルザは単純に戦闘能力だけで才能を発揮したわけではない。単独で任務を行う上で一番大切なのは退路の確保であり、彼女が10年近く巡礼を行っても生きている理由は、恰好悪い言い方にしろ、逃げるのが上手いからなのだ。
エルザの専門は格闘術、特に爆裂を中心とした聖属性の攻撃魔術、転移魔術の簡略化である。特に転移魔術はミリアザールも舌を巻くほどで、最後に描いた魔法陣なら即時に戻ることが可能だ。その代わり魔力が満タンの状態でも3分の1ほどは魔力を使うので、普通は魔法陣から魔法陣への移動を行う。この方がかなり魔力の負担は少なくて済むのだ。
だが先ほどはエルザでさえ死を覚悟した。あの時、イライザが肩を掴んでいなかったと思うとぞっとしない。一部しか見えなかったが、さっきの黒髪の持ち主と対峙していたら、身動き一つする暇なく殺されていただろう。対峙せずとも、それほどの実力差があることがエルザにはわかっていた。それはイライザもまた同様だった。何事にも怖じることのないラザール家の者があんな顔をするのは、余程の状況だったのだ。なにより戦わずして負けを認めざるを得なかったイライザの心中を察し、優しい声をかけるエルザ。
だがイライザは反応する余裕すらない。先ほどの戦いよりもはるかに消耗しており、体がなりそこないどもの血にまみれるのも構わず地面に伏して息を切らしている。それほどの圧力を感じていたのだ。エルザはそんなイライザを気遣いながらも、次の転移に向けて準備を始め、同時に敵の気配を感知する。準備自体は30呼吸ほどで終えるため、敵もさすがに先ほどの場所からここには間に合わないだろうが、警戒するに越したことはない。アノーマリーも先ほど倒した連中が全部だとはエルザも思っていなかった。
だがエルザが部屋を見回すと、何か違和感がある。すぐにはその違和感の正体がわからず、首をかしげるエルザ。何かが先ほどと違うような・・・
「イライザ、何かこの部屋変じゃない?」
「は・・・何か?」
「いえ、いいわ」
イライザはまだそれどころではないようだ。エルザは何かが足りないということに気がついたが、それが何かを考える前に地面が少し揺れた。
「何? 地震!?」
「いえ、これは・・・衝撃波?」
続けて2回、3回と地面が揺れる。そしてどんどん揺れが強くなってくるではないか。
「まさか、まさか!」
「くっ、嫌な予感しかしないわね! 今度は何よ?」
そして揺れが4回目、5回目となると、今度は部屋ごと揺れるほどの衝撃になった。そして6回目の揺れと共に、部屋の壁と地面の一部が吹き飛んだ。
「くっ!」
「ぐうぅ!」
飛び散る石が頭にあたり、もうもうと土煙が舞うが、風のない洞穴の中で煙がいち早くかき分けられていく。そしてエルザとイライザを包む異常なまでの殺気。先ほど魔王の生産工場で彼女たちを縛りつけたのと同じものだった。殺気、いや剣気というのかもしれないが、それで土煙を吹き飛ばしたのだ。
はるかむこう、暗闇の中に輝く大剣に照らされて立ちつくすティタニア。その姿をおぼろげながらエルザはとらえたが、目の非常に良いイライザはその表情まではっきり読みとっていた。その長く地面にまで届くような見事な黒髪を、中ほどで赤いリボンで一つにくくり、女剣士は優雅とも言える微笑みを浮かべ佇む。手には黄金に輝く自身の背丈ほどもある大剣を携えている。そのような武器を女性の身で扱うこともイライザには信じられなかったが、それ以上に女の美しさに目を引かれた。そしてその身から立ち上る強者としての気配にも。これほど美しさと強さが同居した生物を見るのは、イライザにとって初めてだった。
ミリアザールとて同じような雰囲気を備える人物だが、彼女とはどこか違う。ミリアザールは強さと美しさ以外にも、優しさや茶目っ気など沢山の要素を兼ね備えるが、まるでこの女剣士は強さと美しさ以外不要と言わんばかりに、何も持っていなかった。そんな思いにイライザが囚われていると、ゆっくりと女剣士が大上段に構える。
いきますよ
声は聞こえずとも、女剣士の唇がそう動いたのがイライザにははっきりわかった。同時に視線が交差する。むこうにもイライザのことが見えているのだ。それがわかった瞬間、イライザは弾けたようにエルザにしがみついた。
「エルザ様! 逃げて!」
「くっ!」
容赦なく大上段から振り下ろされる剣から発する衝撃波が2人に迫りくる。そして実験室と呼ばれていた部屋は、真っ二つになった。
続く
次回投稿は、3/19(土)20:00です。