魔王の工房、その9~工房中心部~
エルザがアノーマリーたちを全て吹き飛ばしたうえでイライザを振り返ると、彼女もまたなりそこないをあらかた斬り終えたところだった。なりそこないどもに恐れはない。だからこそ、自滅とわかりもせずにイライザの旋風のような斬撃の中に自ら飛び込んで行ったのだろう。距離を取ってじりじりと追い詰めていれば、もう少しは善戦できたかもしれない。
とはいえエルザもここでディレイ・スペルを使う予定はなかったし、予想外に消耗しているのは確かだ。全てを斬り終えたイライザも怪我こそないようだが、さすがに息は切らしているし、何より返り血がひどい。見事なブロンドが返り血で半分近く赤く染まっている。
「ひどい恰好よ、イライザ」
「あ・・・すみません」
イライザの返り血をぬぐってやろうと、エルザが双剣の覆いに使っていた布を差し出したのを、やや茫とした表情で受け取るイライザ。その様子を見てイライザもかなり参っているとエルザは感じ、一度休憩をさせようと考える。
「イライザ、少し休んでいなさい。今のうちに私は仕込みをしておくわ」
「仕込み・・・何のでしょうか?」
「この施設を破壊するわ」
エルザはそう言うとこの部屋の各所を調べ、支えになっていそうな箇所、脆そうな箇所を探し先ほどのディレイ・スペルをかけていく。その他にも部屋にある妙な管の先にあるタンクの様なものにも同様に魔術を施し、めぼしいものに自身の残魔力と相談しながら仕掛けていく。
エルザはこの聖属性の爆発の魔術を、自分で発動時間を任意に設定して仕掛けることができる。もちろん発動前に解除されればそれまでだが、最短で触れてから5カウントで爆発させられる。どれほどの解呪の達人だとしても、5カウント以内の解呪は無理だとエルザは踏んでいた。装備したフィストすら囮。彼女は実質相手に触れることさえできれば、相手を死に追いやれるのだ。よしんば死なないまでも、ゼロ距離から小規模とはいえ爆裂魔術を受けて全くダメージを追わない生物はいないだろう。
以前カザスがミランダと口論した時に、アルネリア教会が魔術を秘匿としていると非難したが、むべなるかな。アルネリア教会は一般的には専守防衛の集団として知られているため、あれほどの規模の集団にも関わらず脅威と認識されにくいわけだが、実際の神殿騎士団の戦い方を目の当たりにした者達はその戦闘能力ををよく知っている。アルネリア教会が使う魔術は決して回復の類いだけではない。司祭以上、あるいは巡礼など単独で行動する者にしか教えられない数々の攻撃魔術がある。慈愛や救難といった、アルネリア教会が対外的に掲げる御題目とはあまりにもかけはなれた魔術であるため、公にはされていないのだけだ。
逆にいえばエルザのように、こういった公にされていない攻撃魔術に素養がある人間が巡礼任務についているともいえる。そうでなければ各地で魔物を討伐する可能性のある巡礼など、とうてい無理なのだ。だがエルザの使う魔術は消費魔力が大きい。爆発の威力には限度があるし、殴れば同時に仕掛けられるというものでもない。魔術を発動させるための「溜め」には時間が必要だし、不意をつかれれば仕掛けられない。先ほどはなんとか時間を稼ごうとしたのだが、都合のよいことにアノーマリーが自分からぺらぺら喋り出したため、上手いこと魔術を準備することができた。先ほどの会話の間に、エルザは既に魔術を準備し終えていたのだった。
「ツキはあるわね」
ここでの撤退もやむなしと考えていたので、こうやってゆっくりと仕掛けを出来るだけでもエルザにとってはありがたいことだった。同時にまたしてもチョークでここにも魔法陣を描いていくエルザ。一通り仕掛けを終えて、自身の残り魔力を確かめる。
「残り半分くらいか。もう一部屋はいけるか? あとどのくらいこの施設が広いかわからないけど」
そう言いながらもイライザの元に戻るエルザ。同時に爆発までの時間を知るため、背中の荷物に入れてある砂時計をさかさまに向ける。戦闘にも耐えられるよう丈夫に作られたバックに固定してある砂時計は、砂が落ち切れば何としても撤退しなければいけないことを示す。
またイライザの様子も重要だ。精神的にこれ以上の戦闘がきついようなら、ここだけでも爆破して戻ることも考えなくてはいけない。既にいくつかの収穫はあった。ただこの部屋はどうやら実験室のようなので、どうしても魔王製造の現場だけは押さえておきたいのがエルザの本音である。むしろそのことが今回の潜入の本質であるとも言えるかもしれない。
内心でははやる気持ちを押さえながら、イライザには優しい声をかけるエルザ。
「イライザ、少しは落ち着いたかしら?」
「はい、もう大丈夫です。ですが・・・」
イライザが双剣をエルザに見せる。その刀身は長いこと使い込んだように錆びていた。先ほどまでは新品同然だったはずだ。
「これは」
「奴らの血は酸のようですね。皮膚を溶かす類いのものではないようですが、金属は腐食する様です。先ほどの戦いではなんとかもちましたが、後10体も斬っていれば折れていたかもしれません。エルザ様のフィストも」
エルザははっとしてフィストを見る。滅多なことでは錆びないはずのミスリルが腐食されていた。イライザの双剣程ではないようだが、これではいくらも使えないかもしれない。
「ミスリルを駄目にしてくれるとはね。やってくれるわ、貴重なのに」
「いかがいたしますか。これ以上の進撃はさらなる危険も伴うと思いますが」
「・・・ここは一刻程度で爆破するわ。それまでは進みましょう」
「御意」
それだけ言うともうイライザに不満はないようだった。連れだってアノーマリーたちが入ってきた入口からさらに奥に向かう2人。2人ともセンサーではないものの、ある程度気配は探れる。あまりにも気配が何もないことに2人は顔を見合わせるが、慎重に奥へと進んで行った。
どうやらここは行き交いすることが多い場所のようで、壁には火を灯したロウソクが一定間隔で置かれ、既に目を慣らす必要はない。歩きやすいのは良いのだが、施設の奥から漂う嫌な気配は進むほどに強くなっていくのだ。
さらに半刻ほども歩いたか、砂時計は半分近くまで落ちていた。覚悟を決めてさらに奥に進む2人は、左手に下り階段を見つける。正面にも道は続いているが、まるで冥府に誘うかのようなその暗い穴を、どうしても見過ごすわけにはいかないような直感がエルザにはあった。イライザは少し不安そうな顔をしたが、エルザの意志が強いのを感じとったのか、エルザが一歩を踏み出したのを見て彼女も後に続く。
階段の奥は暗く目を慣らすには時間がかかったが、階段はさして長くもなく、程なくして広い部屋に出た。薄暗いものの何かぼうっと光るものがあるようで、全く見えないというわけでもない。階段を降り切った所には開け放たれている扉もあったので、先ほどまでの廊下には明りがあり、この部屋には明りが無いことを考えると、誰もいないことが想定できる。ならばいっそ思いきって明りをつけることにしたエルザは扉を閉めると、持ち込んだ松明に明りを灯し、部屋の中を照らした。その瞬間彼女の目に入ったものは――
「きゃあっ!」
「あっ!」
イライザだけではなくエルザまで少女の様な声を思わず挙げてしまった。無理もない、明りをともして目の前にあったのが、大きな透明の壺に詰まった人間の体ほどもある何かの頭だったのだから。しかもその目はかっと見開かれ、睨んだだけで人を殺しかねないほど目が血走っている。口は縫い付けられ、肌は緑色。いや、液体の色が緑なのか。松明の明りだけではなんとも言い難かった。
一瞬驚きこそしたものの、すぐに冷静に戻ったエルザが辺りを照らすと周囲には同じような壺がいくつもあった。エルザやイライザの背丈の倍ほどもある壺の中には顔だけでなく、腕、体、足など。実に多様な生物の各体のパーツが入っており、その大きさも大小様々だった。その壺を眺めて回りながらイライザがエルザに質問する。
「エルザ様、これは一体」
「私にもわからないけど・・・イライザ、私たちは大変な物を見つけたかもしれないわ」
そういうエルザの前にはいっとう大きな壺がある。その中には体は甲殻類、手足は触手で、頭は鰐というなんとも言えない生物が入っていた。体は壺の外から伸びる管に繋がれているが、その体が脈打っているのがはっきりとわかる。壺の中の生物は生きているのだ。
「見たことあるだけでも、サハギン、河水馬、ロック鳥、サンドワームなどなど・・・多様な生物のオンパレードね。かなりの確率で、ここが魔王の生産場所よ」
「ここが」
イライザがやや感慨深く言うと、何を思ったか、身軽な動きで壺の上に駆け上がっていく。唐突な行動に少しぎょっとするエルザを尻目に、壺の上に上ったイライザは周囲を見渡す。
「エルザ様、松明をお借りしても?」
「いいわよ。それ!」
エルザが投げた松明を器用に受け取り、イライザが周囲を照らす。どうやらここは先ほどの実験室とは違い相当に大きい部屋のようで、明りが部屋の隅まで届かない。だが壺が等間隔で、凄まじい数が並べられているのがよくわかる。もしこれらに、今足元にあるこのような個体がいくつも入っているとしたら。イライザは嫌な予想を振り払うように頭を左右に振ると、壺から飛び降りた。
「どうなの?」
「部屋の端まで明りが届きませんでした。なので正確にはわかりませんが、少なくとも100は超える壺がここにあるかと」
「最悪ね。これだけの生産工場がフルに活動すると、一国を攻め落とすほどの戦力なんてあっという間に作れてしまうんじゃないかしら。容易ならざる事態だわ」
「いかがいたしますか。ここも爆破した方がよいかと、僭越ながら思うのですが」
「そうね・・・」
ここを爆破するほどの魔力はおそらくないだろうが、いくつかでも破壊しておいた方がいいのだろうかとエルザが考えていると、ふと何か物音が聞こえるではないか。
「イライザ、何か聞こえない?」
「は? 何も・・・いえ、これは」
カツーン、カツーン
階段をゆっくりと下りてくる音が聞こえる。扉は締めてきたのでそんな音が聞こえるはずがないのだが、イライザにもはっきりとその音は聞こえてきた。周囲に音を発するものが何もないとしても。不思議な事だ。だがその足音がまるで死神の足音にも聞こえたのは、2人とも同じだった。
エルザは慌てて松明を消し、イライザと共に扉の方から身を隠すように壺に隠れる。
ギィィ・・・
ほどなくして軋んだ音を立てて扉が開き、足音の主が入ってくる。その瞬間、部屋の空気そのものが凍りついたかのように2人には感じられた。だが足音の主は部屋に入った場所で足を止めたのか、足音が消えた。その間があまりにも嫌な間だったので、2人は思わず息もせずに体を強張らせていた。
ザリッ、ザリッ
ほどなくして足音の主が歩き始める。下は土であるため足音を完全に消すには至らない。扉からはかなり離れている壺に身を潜めた2人だが、身動きはおろか、呼吸するのすら躊躇われるようだった。本能がエルザとイライザに告げる。決して動いてはならないと。
だが不思議な事に、足音の主はまっすぐに2人の方に歩いてくる。明りも付けず何も見えないはずなのに、まるで2人がそこにいる事を知っているかのように。一応センサー避けの魔術は潜入前に2人とも施してあるのだが、足音の主には関係ないのかもしれない。もし居所がばれているのだとしたら、すぐにでもこの場所は離れるべきだろう。なのに、
「(あ、足が動かない・・・どうして!?)」
エルザは蛇に睨まれたカエルのように身が完全に竦んでいた。長らく彼女は戦っているが、こんなことになったのは全力のミリアザールと一度手合わせしてもらって以来だった。それ以外では、魔王級の魔物や魔獣と戦った時ですら、記憶にない。エルザは既に背中どころか、全身に脂汗をかいてガタガタと震えている自分に気付いていた。
そうする間にも足音はゆっくりと、しかし確実に近付いてくる。すぐに逃げなければならないのに、どうしてもエルザの足は言うことを聞いてくれない。体は痺れているのに、頭の中はおかしなほどに冷静だった。
「(このままでは死ぬ。自分が自分だという感覚にも似ているほどに確信めいて死が近いと感じられるのに、どうして体が言うことをきかないの?)」
もう足音は2人が隠れている壺の反対側にまで迫っていた。足音の主は最初から2人が隠れている所がわかっていたのだろう。ここからでは逃げることもままならない。何もできないままここで死ぬ。いや、ただ死ぬだけならいいが、先ほどのアノーマリーとかいう変態に実験の慰み者にされるのは間違いないだろう。笑いながら死んでいた女性の死体が脳裏にちらつく。一体どれほどの地獄を見ればあのような死に方になるのか。想像することもままならない中、エルザの肩を掴む何かがある。
ふとエルザが目線を上げれば、そこには泣きそうな顔をしたイライザがいた。懸命に右目でウィンクをしようとしているが、不器用なのか緊張からなのか上手く出来ていない。だがこの死に直面した緊迫した状況だからこそ、そのどこかおかしな仕草にエルザは我に返った。何のことはない、イライザにもしものときはと指示しておきながら、エルザはすっかりそのことを忘れていた。イライザは同じ状況で忠実にエルザの言ったことを守っていたというのに。
そして同時に壺の陰から黒くたなびく髪が視界に入った瞬間、エルザは仕掛けていた魔術を発動させていた。
続く
次回投稿は、3/18(金)17:00です。
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