戦争と平和、その73~会議初日、夜⑦~
「あら、あらあら? あなた、ヒドゥンがいなくなったのを知らないの? どうやらヒドゥンは誰とも情報を共有せず、完全に単独で動いていたようね。それじゃあ、彼が使っていた諜報員たちは一体どうなっているのか、誰もわからないってことかしら」
「諜報員が他にもいることは知っているが、横どうしの連絡手段はない。ヒドゥンから何も返事がないからおかしいとは思っていたんだ。だがまさかやられたとは――死んだのか?」
「さぁ? だけどターラムで出会ってからこっち、連絡が一切ないわ。私の分体もターラムでは早々にやられたから、詳しい状況はわからないのだけど。私たちの間の連絡って、ドゥームかヒドゥンがやっていたのよね。ヒドゥンがいなくなると主にドゥームが連絡役なのだけど、ドゥームは私の本体を知らないはずだから、私もオーランゼブルとは連絡が取れないわ。まぁ、もうどうでもいいことだけど」
「どうでもいい?」
マスカレイドは嫌な予感がした。以前に見た時とカラミティの雰囲気が違う。邪悪なことには違いないが、もっと底が知れなくなったというか、自由に人を憎んでいるように見えた。
カラミティが答える。
「そうね、私はもうオーランゼブルの支配下にはないの。乗り掛かった舟だし、沢山人が死ぬのは見たいから、癪だけどオーランゼブルの策は完遂させてあげるわ。今オーランゼブルを敵に回すのも得策だとは思えないし、計画は私にとっても利があることだし」
「利?」
「こちらの話よ。だけど、その後は私の自由。まずは手始めに、東にある人間の国は全て滅ぼすわ。その後は東の大陸に渡るか、それとも西の国に手を付けるか、まだ考えてないけど」
「オーランゼブルはどうする?」
「オーランゼブルは見つけ出して、必ず殺す。私を虚仮にした代償を支払わせないとね。私はね、あなたを気に入っているの。これから沈む船に乗っているよりも、私に手を貸す方が得策よ? どう? 手伝ってくれる?」
カラミティが手を差し伸べてきた。この手を断ることはありえない。断ればその場で戯れに殺される可能性が高い。だが、この手を取れば黒の魔術士を敵に回し、仲間への支援を完全に断ち切ることを意味する。この手を取るも取らぬも、破滅と同義。ただそれが自分か、仲間かの違いなだけだ。
マスカレイドは眩暈がしそうになるのを押さえて、カラミティに質問した。
「・・・私の行動原理は常に一つよ。仲間のスコナーの復権、それをどうしてくれるのか」
「ああ、そんなこと。人間の国を滅ぼした後、好きな土地に棲みなさいな。私が恨んでいるのは人間だけよ。その他の種族はどうでもいいわ」
「ならばその時は必要な土地をもらうわ」
「ならば、契約成立ね。裏切ったら・・・わかるわね?」
カラミティに手を取られた先から、じわりと何かに侵食されるような不快感を覚え、マスカレイドは手を握り返すことなく、形だけの握手で手を引っ込めた。
「さっそくだけど、私は何をすればいい?」
「アルネリアの結界を何の予兆も準備もなく抜くのは、私といえど容易ではないわ。内通者がいてくれれば、それはありがたい。ローマンズランドがアルネリアに迫った時、内部から呼応して門を開ける。それがあなたの仕事よ。できるかしら?」
正直手段は現時点で思いつかないマスカレイドだが、できないというわけにはいかなかった。無言で頷いたマスカレイドに、カラミティは満足そうに微笑んだ。
マスカレイドはさらに質問を続ける。
「もう一つ、私は今アルネリアの間諜に目を付けられている。奴を始末しない限り、自由に動くことはできない。奴を始末するのを手伝ってくれないか?」
「そうなの。なんとかしなさいと言いたいけど、私は今機嫌がいいわ。その邪魔者、消してもよければ私がやりましょうか? どこの誰なのかしら?」
「グローリアの教諭、ハミッテだ。元アルネリアの口無しで、裏の仕事をしていた者だろう。かなりの腕前だ」
「ふーん。なら念のため、3体ほど私の分体を向かわせましょうかね。確認するけど、殺してしまってよいのね?」
「ああ、もちろんだ」
マスカレイドはカラミティの言葉に、不覚にも頼もしさを覚えた。カラミティに狙われれば、ハミッテといえど生きてはいられないだろう。これでようやく自由が一つ取り戻せる。マスカレイドは内心で快哉を叫んでいた。
そのせいか、マスカレイドはする必要のない質問までしてしまったのだ。
「なあ、私にも一つ教えてくれ。カラミティはどうしてそれほど人間を憎むんだ? 何か理由でもあるのか?」
「・・・そうね、あなたがスコナーなら、虐げられてきた者よね? あなたになら教えてあげましょうか。その前に一つ、あなたに枷を付けておかないとね」
「枷?」
カラミティはベールをとってマスカレイドに顔を見せた。それが何を意味するのか、マスカレイドは察して小さく悲鳴を上げた。
「お、前。その顔を私に見せたということは」
「そう、もう後戻りできないわよ? あなたの記憶を読まれようものなら、私の正体がばれる。正体がばれれば、私への対抗策は増えることになる。人間お得意の暗殺がひっきりなしに訪れるだけでなく、国家間の問題へと発展する可能性もあるわ。
もし私の正体を誰かに知らせるようなことがあれば、あなただけでなく、どこかに隠れ棲んでいるスコナーの仲間も探し出して皆殺しにする。私が知る、もっとも惨い方法でね。だから必死で私との約束を守りなさい? 今まで以上に慎重に、丁寧にね。
ちなみに、この顔を見てどう思った?」
「・・・美しい。人間にしては、相当のものだ。スコナーの私でさえ、美しいと思う。それがお前の素顔なのか?」
マスカレイドの言葉に、カラミティがしばし体を震わせた後、体をよじりながら狂ったように笑い出した。その様子はまるで狂人そのもので、マスカレイドは触れてはならない場所に自分が足を踏み入れてしまったことを悟った。今までのどんな修羅場よりも、生きた心地がしなかった。夫に防音の魔術をかけておいてよかったと思う。今夫が目覚めれば、命はあるまい。
笑いながら、狂気を孕んだ目をマスカレイドに向けるカラミティ。
「そう、そう美しい素顔だわね! 残念だけど、これこそ私が人間を憎む理由なの。私は憎い、人間が全て憎い。人間なんて、生きたまま蟲に喰われて断末魔の悲鳴を上げながら死に絶えればいい。美しい人間が憎い、頭の切れる人間が憎い、魔力の強い人間が憎い、幸福な人間が憎い! 死ね、死ね、死ね死ね死ね!!」
「カラミティ・・・貴女はいったい」
「ははっ、はははっ、はははっははははは!」
しばし狂ったように笑い続けるカラミティを前にマスカレイドは呆然としていたが、それもやがて治まるとカラミティは平静を取り戻していた。
「―――ふぅ。取り乱して悪かったわ。他人の前でこういう感情を出したのはいつぶりかしらね」
「・・・」
「心配しないで、マスカレイド。私、貴女のことを本当に気に入っているの。最初に見た時からどこかしら気に入っているのよ。その理由もさっきはっきりわかったわ」
「私を気に入る理由?」
マスカレイドが聞き返すと、カラミティはマスカレイドの肩をしっかりとつかみ、そっと耳打ちした。
「運命に打ち勝とうと一人でもがき、そしてどうあがいても不幸にしかならないところ、私はとても気に入っているの。私もかつてそうだったわ、どんなに泣き叫んでも絶望しても、誰も助けはこなかった。でも貴女は違う、そんな目に合わせないわ。不幸な貴女を、私がなんとかしてあげる。
まずはハミッテとやらね。確実に殺すわ。ただ私もそれなりに表舞台でやることがあるから、早くて明日の夕刻以降ね。できればハミッテの足どりを追って、私に連絡をくれれば助かるわ」
「――善処しよう」
「ふふ、いい子ね」
マスカレイドは耳にぞわりとした感触を覚え、思わず飛びのいた。カラミティの口から長い百足のような舌が出ているのを見て、それで耳の中を舐められたのだと気付くと、マスカレイドは自分の顔面から血の気が退く音を聞いた気がした。
青ざめたマスカレイドを見てカラミティは嗜虐心を満足させたのか、くすくすという笑い声と共に部屋を出ていこうとするカラミティ。その途中で、一度ぴたりと足を止めると、マスカレイドが明らかにぎくりと動揺した。
「まだ、何か?」
「そう、一つだけ貴女に要求があるわ――私は不幸な貴女が好きなのね。だから協力するし、貴女のために動きもする。だから貴女が幸せになるのは許せないわ――お腹の子は大きくなる前に処分しておきなさい」
「・・・・・・は?」
「あら、気付いてないのね。貴女、妊娠しているわよ。まだできたばっかりだけど、確実にね。妊婦特有のフェロモンが出ているもの。私、子供は嫌い。いいこと、確かに言い渡したわよ?」
くすり、と最後に笑ってカラミティは消えた。マスカレイドはカラミティに目を付けられた絶望感だけではなく、今まで最も恐れていた事態が最悪のタイミングで起きたことを知り、呆然としてその場にへなへなと座り込んでしまったのである。
マスカレイドは、まるで自分が今座っている床以外の全ての地面が崩れて奈落に落ちたかのような錯覚にとらわれていた。
続く
次回投稿は、11/17(金)16:00です。