戦争と平和、その66~大陸平和会議⑧~
「情けない話、我が国の中央は腐りきっている。確かに我々の国は軍事大国だ。魔物や蛮族が横行する辺境と常に接しているせいで戦いには事欠かないし、我々の国は周辺諸国に求められるままに紛争の解決などで出兵を繰り返したおかげで兵力は富み、実戦経験も豊富だ。
さらに穀倉地帯も豊富なせいで、飢えることもない。周辺への出兵とその見返りとして恩賞で財源も豊富なため、国としての危機感が全くない。結果として、戦いと無縁で財源にも事欠かない中央の文官共は、我々が戦って勝ち取る恩賞をいかに分配するかということにのみ考えが向くようになってしまった。
私が中央に戻る機会があったころは宰相職について内政を整備もしたし、腐敗を糾弾し、王に諫言もしていたが――今では、文官にまともな者はいないだろう。私は長らく内政を空けすぎた」
「ならば、ディオーレ殿が再度中央に完全に戻られてはいかがでしょうか?」
「もちろんそれも考えた。せめて5年あればまた違うのだが、前線に長くいすぎたせいで、私の命令を聞くことに全員が慣れ過ぎたのだ。優秀な騎士も指揮官もいるが、どれも能力が均質化され、一つ抜けた者が誰もいない。大将たるもの、ただ優秀で頭が切れるだけでは務まらぬ。特にアレクサンドリアでは、並みの将では誰も納得しないだろうな。
かつて私の代わりを務められると考えた若い騎士がいたが――それもいなくなってしまった。それに今は一度沈静化しているが、辺境の動きが活発だ。強力な魔物が多発し、蛮族が互いに争っていて、思うように軍が動かせない。正直八方塞がりだとしか言いようがない」
「ならば、なぜ今回の会議には同伴を? かなり無理をされてまで来訪する意味があるのでしょうか」
ディオーレはさらに少し間を置いたが、ミューゼに理由を話した。
「私の元を離れた騎士がここにいるとの情報を得た。使いをもう出しても首を縦に振らなかった奴だが、私が直に口説こうと思ってな」
「なんと。そこまでディオーレ殿にさせるほどの人物が?」
「さて、実際のところはどうなっているわからないがね。まぁ頑固なのだけは確かだよ。新米の分際で、私の命令ですらろくに聞かなかったくらいだからな。
それに私も諸国の状況が気になっていたのだ。使節団の人選は中央が決定したのだが、正直言ってバロテリ公はまるで信用できないのでな。無理を言ってねじ込んでもらったのだ。ミューゼ王女が懸念される通り、国の守護たる私が辺境に釘付けになっている間に外交がざるとなり、首都を落とされたのでは、稀代の間抜けとして末代まで汚名が残るだろうからな」
「そこまでは・・・」
ミューゼもディオーレの過激なたとえは否定したが、事実このままではその通りになることはわかっていた。そしてディオーレはミューゼに一礼した。
「ミューゼ王女、わざわざのご忠告いたみいる。少し私は自らの考えをまとめたいので、しばしの間一人にしてもらえないだろうか。この御恩には必ず私なりのやり方で報いるつもりだ」
「え、ええ、もちろん。それではまた明日、会議の場で。エアリアル、行きましょう」
ミューゼは頭を下げるディオーレを前に、それ以上切り出せなかった。自分もまたその逸話を聞かされて育った大陸一の女騎士が、目の前で頭を下げているのだ。この情報と引き換えに、いくらかの交換条件を出そうと思っていたのだが、先にディオーレに先手を打たれた。生ける伝説となった女傑に頭を下げられて、これ以上厚かましく条件を出すことはミューゼにも不可能だった。
だがそのあたり、エアリアルには常識が通用しない。エアリアルはミューゼの内心など量ることもせず、躊躇いもなくディオーレに質問していた。
「ミューゼ殿、申し訳ないが少し待っていただきたい。ディオーレ殿、一人になる前に私の質問にも答えてほしいのだが」
「エアリアル、無礼ですよ」
「構わんよ、ミューゼ殿。なんだろうか、護衛の戦士よ」
エアリアルを制しかけたミューゼを止め、ディオーレはエアリアルの質問を受けた。エアリアルには珍しいことだが、少し頭を下げた後にディオーレに質問した。
「私は――大草原の守護者と言われたファランクスの娘だ」
「ほう、あの炎獣に娘がいたのか」
「父のことを知っているのか?」
「お目にかかったことはないが、炎獣の噂くらいは知っているさ。だがそなたは人間のようだが?」
ディオーレはまじまじとエアリアルを見た。エアリアルはディオーレの視線にも動じることなく続ける。
「ああ、その通りだ。私は父に鍛えられ十分に強いつもりでいたのだが、父が絶望的な戦いに出るにもかかわらず、その力になることさえできなかった。そして今はアルフィリースに仕えているが、彼女もまた絶望的な戦いに巻き込まれている。その力になりたいと思い上位精霊に力添えを頼んだのだが、断られたのだ。
普通なら自分が訓練をして力を得ればよいと思う。だが相手の力は強大で、私には限られた時間と命しかない。それではとうてい戦えないのだ。教えてほしい、精霊騎士として上位精霊に認められるためには、どうすればいいのか」
話の内容にミューゼも返答を躊躇った。エアリアルの眼差しは真剣そのものだったが、それ以上にディオーレの視線は鋭かった。だがエアリアルが視線を外さないのを見ると、やがてゆっくりと答えた。
「――その問いに答えるには、時間をゆっくり取る必要がある。今宵八点鍾の後、再びここで会おう」
「ありがとう、礼を言う」
エアリアルは深く礼をすると、もう何も言わずにミューゼに従って外に出た。ディオーレの表情をちらりと最後に振り返ったが、その悩む表情は最強の女騎士ではなく、見た目相応の少女に見えていた。
そして外に出た後、エアリアルはミューゼに問いかけた。
「しかし王女、今の話は私が聞いてもよいものだったのだろうか?」
「構わないわ。むしろわざと聞かせたのよ」
「? それはどういうことだ?」
「きっとアルフィリースなら気付いているのかもしれないけど、この話は広まった方がよいのよ。危機感が広まれば、会議でローマンズランドに質問が集中し、非難の対象になるわ」
「なるほど」
そこでエアリアルは納得したが、ミューゼはその非難の中で自分が会議の主導権を握るつもりでいた。イーディオドには豊かな土地があるが、軍事力は決して高くない。戦争になれば、苦戦は必至。その前に何かしらの手を打たねばならず、ローマンズランドの南進はなんとしても食い止めねばならないと考えていた。そのためには会議の主導権を握り、確実にこの場でローマンズランドを叩く必要があると考えていたのだった。
だが問題は、他国の使節がどう出るかだ。クルムスのレイファンは登場の仕方からして小癪なことは間違いないが、果たして大人しくしている他の国がどうでるのかはまだわからない。このためにミューゼはイェーガー以外には雇い入れた人材がいるのだが、果たして彼らがどのくらいの仕事をするのかは、まだ今夜にならなければわからなかった。
続く
次回投稿は、11/3(金)17:00です。