戦争と平和、その48~予選会④~
そして開始と同時に、最も頑強そうな海の男が地に伏していた。呆気にとられたのは観客だったが、観客だけでなくロッハも驚く中、ラインだけがその成り行きを予測していた。
予選で気絶などの続行不能、場外、降参以外にも負けの要素がある。頭、心臓、背中、手首、膝に付けられた水風船の割れ方による失点である。これは試合の時間短縮のため、制限時間が来た際の判定方法として採用された。頭と心臓の風船は3点、その他の部位は全て1点となっており、制限時間に残っている点数の少ない方が負けとなる。
風船は小さいが中の水に色が付けられているため、かすり傷でも水が漏れれば有効とみなされる。近接戦や格闘戦を挑む者には不利な規則だが、全ての風船が割られたとしても制限時間内に相手を打倒することは認められているので、武器が使用可能な部門で端から格闘戦を挑むような猛者には関係ないと判断されたのである。
そしてドロシーは開始と共に何をしたか。開始の合図と同時に海の男に飛びかかってその顎を剣で打ち抜いていた。慎重に動こうとして突然脳を揺らされた男は何が起きたかもわからず、一瞬で気絶したのだった。そして全員の動きが一瞬止まる中、もう一人ローブの男だけが動いていた。男は真っ先にゼフに襲い掛かっていたのだ。
「!」
ローブの男は隠していた両手の木鎌でゼフに襲い掛かった。ゼフは反射的に頭を守ったが、その動作で手首、心臓の風船を持っていかれた。そして反撃に出ようとした際、男が投げた木製のダガーで頭の風船を割られたのである。木製でありさえすれば、投擲武器すらも禁じられていない。男はゼフの風船がほとんどなくなったのを見ると、一定の距離を保った。どうやらさらさら打ち合う気はないらしく、その様子にゼフが一瞬で逆上した。獣人にとって潔くない戦い方に腹を立てたのだ。
「この野郎! それでも戦士か!?」
その怒声にロッハは頭を抱えた。日ごろから戦いの中でこそ冷静にと教えているのに、あっさりと逆上した部下の体たらくにだ。それでもゼフの勝利を疑うわけではなかったが、ゼフが全力でローブの男に飛びかかったその時、ドロシーがその出足を剣で払ったのである。
「なっ・・・」
しかもそのまま払いあげるようにしたせいで、加速力のままゼフは宙を舞った。獣人ならではの跳躍力に観客はどよめいたが、それで着地を失敗するようなゼフではない。見事に着地をすると、あらためてドロシーを確認した。
「邪魔だてするか、女! ならば貴様から――」
「場外! それまで!」
「何?」
審判の声にゼフは自分の立ち位置を確認した。確かに地面に引かれた線からはみ出ていたのだ。こんなことで負けたという事実が信じられないかのように、ゼフはぽかんとしていた。そしてそれはロッハも同じ。
そして残った場所ではローブの男に猛然と斬りかかるドロシーがいた。これも先手を取ったのはドロシーであった分有利に戦闘を運んでいたが、男もさるもの。形勢は互角になりつつあった。そこに突然、他の参加者が男の背後から斬りかかった。男は咄嗟に避けたが、そこにドロシーの強力な一撃が入る。男は気絶しないまでもたたらを踏んで後退したが、その男をドロシーが抱え上げると、一気に男を場外まで放り出していた。
そして残った闘技者は既に4名、いずれもドロシーの相手としては実力不足だった。ドロシーがあっさりと相手の風船を割ってある程度打ち据えると、いずれも降参を宣言したのだった。
「勝者、イェーガーのドロシー!」
ドロシーの勝利が高らかに宣言されると、会場は歓声に包まれた。予選の方式からしてこれほどまでに鮮やかに決着がつくとも思われておらず、また男女合同で使用武器の種類に制限のない部門で女性が勝ち抜けたことで、ドロシーは歓声を一身に浴びていた。ドロシーはそばかすだらけの表情を崩し、存分に称讃を浴びていた。
信じられないものを見たといったように、ロッハがラインに語りかけた。
「お主、この展開を読んでいたのか?」
「かなりの確率でこうなることは予想していたが、ちと上出来すぎるかな」
「種明しをしてもらってもよいだろうか」
やや落ち込んだロッハに向けて、ラインが得意げに語る。
「うちの団員だから秘密だな――と言いたいが、どうぜばれても支障ない。ドロシーは基本性能が人間にしては非常に高い。目は千里眼とは言わずとも三里は見渡すし、夜目もきいて耳は蝙蝠の音波すら聞き分ける。嗅いでは犬のごとく、毒はどんなものでも舌で分ける。そして半日全力で走ってもけろりとしている名馬のごとき体力と、一度見たものをそっくり真似できるほどの手先の器用さ。加えて幼い頃から農作業で鍛えた男子以上の腕力。ちょっとお目にかかれない才能だ。
だがその中でも特筆すべきは、その勘の良さと洞察力だな。相手の殺気、たたずまいからどのくらい相手が強いかを一瞬で見分ける。おそらくは予選に参加する中で誰が一番ヤバイかを判断し、また誰の敵意が誰に向いているかを読んだ。
結果として全員が避けていた隙だらけの大男を真っ先に打倒し、一番まずいであろうゼフに対してはローブの男に初手をとらせ、漁夫の利をとった。ローブの男に周りの奴が襲い掛かったのもおそらくは仕込みだ。自分が戦っている最中に背後から襲い掛かったらどうですか、なんて試合前に言ったんだろうな」
「馬鹿な。その段階で襲い掛かった男が脱落していたらどうするのだ?」
「だから馬鹿正直でいけねぇんだよ、あんたらは。ヤバそうな連中以外、全員に声かけとけばいいんだよ。ドロシーは純朴な田舎娘だが、そのくらいの機転は利くぞ? 何せあのアルフィリースに日々鍛えられているんだからな」
ラインの言葉にロッハは唸った。戦う前にある程度試合の趨勢は決まっていたということか。これがあるから人間は油断できない。レイファンとドライアンの交渉を見ていてわかっているはずなのに、自分もまだまだだということかとロッハは反省した。
そして次の試合が宣言され、ラインの出番が来た。
「呼ばれたようだが?」
「ああ、ちいと戦ってくるか」
「お主、いつぞやの魔剣は使わないのか」
「必要ねぇよ。木剣一本で圧倒できねぇようじゃあ、本戦であんたらみたいな化け物相手に勝つなんざ夢だな。まぁ見とけ」
獣将である自分にも勝つつもりなのかとロッハが驚く一方で、ラインはさっさと予選会場に出ていった。そして闘技者の顔ぶれをちらりと見渡すと、気怠そうに遊ぶがごとく剣を振り回していた。
「副長、大丈夫かな?」
「こういう時、相手が全員強そうに見えるよなぁ」
「ふん、ゲイルがびびってるだけでしょ?」
「相手に正しくビビるってのは悪いことじゃないぞ?」
ゲイルがしたり顔で言ったので、エルシアはその足を思い切り踏んづけた。ゲイルが痛みに飛びあがる。
「何よ、ゲイルのくせに生意気!」
「まあまあ」
「大丈夫だべ、なんだかんだあの人はおら達の副長だからなぁ。おらも副長からは、いまだに一本もとらしてもらえないべ。普段はそれほどしっかりしてねぇけども、あの人の実力は凄いべよ」
戦いから帰って来たドロシーの言葉で、一同が黙った。もちろんラインが強いことは全員わかっているのだが、おおよその時間でのらりくらりとしているせいで、いまいちその全容がつかみにくいことも事実である。現に今も大あくびをしているではないか。
続く
次回投稿は、9/28(木)19:00です。