魔王の工房、その6~実験場の番人~
「おお、ダグラよお。お客様だんべ」
「そうだなぁ、ドグラよ。今日は誰かお客様がくることになってたっぺか?」
その声にはっとした2人が、入ってきた側と反対側にもう一つ入口があったことに気がつく。そこから現れたのは2人組の大男。体こそオークのようだが、頭はそれぞれ猪と牛だったので、オークと言うべきかどうか。首元の手術痕を見る限り頭部を挿げ替えた合成獣とでも呼ぶべき存在だろうが、流暢に人語を話すことから、かなり知能が高いことがわかる。
その2体がエルザとイライザを不思議な眼差しで見つめながら、話しあっていた。
「うんにゃ。そんなことは聞いてないべ」
「んだば侵入者ってことだっぺ?」
「んだんだ。じゃあオラたちの好きにしてもいいだかな?」
「そのはずだっぺ。オラ、滾ってきたっぺ!」
「オラも漲ってきただ!」
2体が筋肉を見せつけるようなポーズをとる。下半身を隠す腰巻と、肩に交差してかけるベルト以外裸な彼らなので、盛り上がる筋肉がよく観察できたのだが、人間には決してありえない見事な筋肉の隆起を見せていた。それだけでこの2体が普通のオークではないことがわかる。普通、オークはもっと脂肪が多いものだ。
明らかなことがひとつある。彼らはエルザとイライザの敵で間違いない。
「イライザ、貴女の出番よ」
「・・・」
「イライザ!」
イライザはまだ足が地面に付かないようであった。ラザール家に生まれ神殿騎士となり、いくつかの任務をこなしたといえど、巡礼のような激務は初めて。成人こそしていても、精神的なタフさを求めるにはまだ経験が足らない。この状況に足がすくんでも無理はなかった。
しかし状況は待ってくれない。エルザは強引にイライザの顔を額がつきそうな距離にまで自分に近づけると、強烈な覇気と強い眼差しで持ってイライザに訴える。
「イライザ=ファイディリティ=ラザール。私を見ろ。今からお前は一本の剣だ。アルネリア教会の名の元に、あの魔物を駆逐しろ。それが貴様の役目」
「・・・」
「それ以外の事は一切考えなくていい。邪魔する者は全て切り捨てろ、全責任は私が負う。やれ!」
「・・・御意」
その言葉と共に、虚ろだったイライザの目に光が戻る。強い意志をたたえた緑の眼の女騎士は、まっすぐにダグラとドグラを見つめる。ちょうど2体がイライザに突っ込もうとしてくる時だった。
「娘っ子! オラたちの素敵パワーを喰らえ!」
「オラの筋肉に酔いしれるっぺ!」
「・・・斬る!」
おどけた言葉とは裏腹に猛烈な突進をするドグラとダグラ。だがイライザは全く動じることなく、背中の長物を地面に刺し、腰の二刀を冷静に抜き放つ。そして軽く地面を蹴ると、ドグラとダグラ以上の速度で突進した。
「ぬお!?」
「ぬわ!?」
その意外な速度に2体が反射的に頭を守るが、イライザはイノシシ頭のドグラの肩を蹴って2体の後ろに飛ぶ。すれ違いざま、背後からそれぞれに一突き。その突きは正確に2体の脊髄をとらえ、その場に膝から崩れ落ちるドグラとダグラ。
「あれ?」
「体がいうことをきかね・・・」
ダグラが何かを言い終わる前に、ヒュン! という風切り音と共に2体の首が落ちる。背後から一閃、イライザが2体の首の手術痕に沿って、首を斬り落としたのだ。見事な技のキレに、エルザも思わず見惚れた。イライザは既に血糊を振り払い、剣を収めている。
「片付きました」
「見事。敵に侵入がばれた以上、こそこそする必要はないかもしれない。ここからは戦闘ありきで進むわよ」
「御意」
そうして2人が部屋を後にしようとした時である。
「ひどいっぺ。オラたちを無視するだなんて」
「んだんだ。最近の女は冷たい女が多いだよ」
その声にがばっと2人が振り向くと、首を落したはずのドグラとダグラが、自分の首を持って起き上がるところだった。その首を元の場所に押しつけると紐の様なものが伸び、彼らの頭を固定していく。そしてほどなく完全に元に戻ってしまった。
「・・・ただのオークではないか」
「甘かったのですか?」
イライザが剣を再び抜きながら、エルザに問いかける。
「いえ、私もやったとばかり思ったわ。想像以上に常識が通じない連中ね」
「当たり前だぁ。オラ達はアノーマリー様に作ってもらった特別製だべ!」
「んだんだ、首切られたくらいじゃ死なないっぺ。そんじょそこらの魔王よりはタフだぞぅ」
2体がどうだと言わんばかりに鼻を鳴らす。だがエルザは逆に余裕を出してきた。
「なるほど、お前たちの上司はアノーマリーというのね」
「あ・・・」
「何喋っちまってるだよ、ドグラ! この馬鹿!」
ダグラがぽかんとドグラの頭を叩く。
「お前、この前もヒドゥン様の御召し物でトイレ掃除して、怒られたばかりだっぺ?」
「あ、あれはあの人が雑巾みたいなぼろっちい服着てるのがいけないんだべ?」
「ふーん、ヒドゥンってのもいるのね」
エルザがにやにやしながら2人のやり取りを見ている。面白くてたまらないといった顔だ。
「あ、いっけね」
「ダグラも人のことは言えないだべ?」
「その調子でペラペラしゃべってくれるとありがたいんだけど。ついでにお茶とお菓子も出してくれない?」
完全に精神的に優位に立ったエルザが、2体に冗談を飛ばす。だがここにきて2体も真剣な表情に戻った。
「ここまで知られたからにはただでは返さねっぺ」
「んだ! ここで確実に死んでもらうべ!」
「あなたたちが勝手に喋ったのに、とんだ言い草だわ」
いい加減にしろと言わんばかりに、エルザがため息をついた。イライザも呆れ気味だ。だが2体は地団太を踏みながら、激昂した。
「やかましい、お前の様な狡くて性格の悪いメスブタにはここで死んでもらうべ! ポチ、ポチ! 来るだよ!?」
「わんっ!」
呼び声に応じて、壁にあった檻の一つから舌がしゅるりと伸びて、レバーを引いて自らの檻を開けた。それでは檻の意味がないではないかとエルザが呆れたが、キィという檻が開いた音と共に、その中からは子犬の様な可愛い泣き声が聞こえた。
しかし足音は裏腹にズシン、ズシンという重量感が響き、果たして出てきたのは――
「ちょっと、名前と声と体が合ってないわよ!?」
「大きい。そして全然可愛くありません」
「どうだ、これがオラたち自慢のペット、ポチだっぺ!」
檻から出てきたのは、既に猛獣と言って間違いないほど大きな犬の魔獣。体長は馬の倍ほどにも及んでいる。目は退化しているのか見当たらず、その分耳が像のよう大きかった。また舌が長く、ドグラの胴に巻きつくくらいはある。ポチは出て来るなりその舌でドグラを存分に舐めまわしていた。
さらにポチには体毛はなく、肌が露出しているが体のいたる所に開いた口がガチガチと歯を鳴らしている。肌はまるで返り血でも浴びたかのように赤黒かった。その体をダグラが自慢げにぱんぱんと叩くが、明らかにポチは嫌がっているようだった。だがそんなことにはおかまいなしにダグラが自慢気に話す。
「ポチは賢いだよ!? 自分で檻を勝手に開けて出てくることができるべ!」
「いや、それなら閉じ込めている意味がないでしょう?」
「だから時々勝手にここのベッドの上を喰い荒らすべ。しかもご丁寧にクソまでしていくから、おかげで掃除が大変で大変で・・・」
「もうどっちがペットかわかりませんね」
苦労を思い出してめそめそと泣き出したダグラを前にイライザがズバリ指摘するが、冗談を言うほど楽な状況ではない。あの巨体で知恵がありなおかつ俊敏ならば、2人の手に余る可能性も高い。しかも2人が入ってきた人間サイズの通り道を塞ぐように立ちはだかられたため、逃げる選択肢もない。ドグラとダグラが入ってきた入口はかなり大きいため、そちらに向かってもポチに追い立てられるだけだろう。もはやこのポチと呼ばれた魔獣に戦って勝つしかない。
エルザとイライザが戦闘態勢に入ろうとした瞬間、ドグラを舐めまわしていたポチが突然舌を巻きつかせてドグラを持ち上げると、その口におもむろに放り込んだ。
ガリッ! ガリッ!
その咀嚼音が部屋に響き渡る。エルザとイライザは予想だにしない展開にあんぐりと口を開けるが、目の前の光景はそれほど生易しい状況ではなく、むしろ凄惨極まりない。一方で相棒から飛び散る血を浴びながら、慌てたダグラがわめき散らしていた。
「ポチ、ポチ! 何するべ? それは食べちゃだめだべ! お腹を壊すべ!?」
そういう問題じゃないだろうとエルザは内心思ったが、敵が一体でも減るのはありがたい。黙ってその状況を油断なく構えながらも観察していたが、ダグラは騒ぎ立てることしかできなかった。
ポチはポチでドグラを飲み込むと、自分にしがみつくように騒ぐダグラが五月蠅いと思ったのか、前足でダグラを壁際まで吹き飛ばした。
「げひっ!?」
醜いうめき声と共にダグラが壁に激突し、痙攣する。そしておもむろにポチはダグラに飛びかかると、まさに腹を空かした野生の獣のごとく、荒々しくダグラにかぶりついた。鮮血が壁に飛び散り、思わずイライザが顔をしかめるが、エルザはその様子をじっと見ていた。見たこともない敵と戦う時には、まず観察するのは基本中の基本である。癖、武器、動きの速さ。エルザが冷静な思考でポチの動きを把握していく。
やがてポチがあらかたダグラを食べ終わると、のそりとその姿を起こしてエルザとイライザの方に向く。今度は2人が標的なのだろう。ゆっくりと近寄るポチに2人が戦闘態勢に入ろうとしたその時、ポチの動きがぴたりと止まり、低いうなり声を上げたかと思うと、突然地面に転げまわって苦しみ始めた。周囲のベッドを蹴散らし、のたうちまわる。
「キャウン! キャウン!!」
「今度は何?」
だがより警戒心を強めたエルザとイライザとは裏腹に、しばらくしてポチは動かなくなってしまった。口からは泡を噴き出しており、舌はだらしなく外にはみ出し、仰向けでピタリと止まっている。切れた管から液体が顔にかかっているが、何の反応もない。どうやら死んでしまったようだ。
「な、なんだったの?」
「一体どうして・・・」
「変な物を食べたから、食あたりで死んだんでしょ。だから気を付けろって言ったのに、馬鹿ばっかりで困ったものだよ」
突然背後からした声に、2人が飛びのいて警戒態勢をとる。そこには醜く歪んだ老人の顔に、子どもの声を備えたアノーマリーが立っていた。
続く
次回投稿は、3/13(日)18:00です。