戦争と平和、その36~大陸平和会議開催前①~
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一際寒い冬が過ぎ、新芽が顔をのぞかせるころ、アルネリアは俄かに慌ただしくなった。雪解けのせいで街道もぬかるむ中、競うように諸国から来訪者や荷を乗せた馬車がアルネリアに集まってくる。まだ大陸和平会議まで一か月以上もあるのに、まだ街道に残る雪も溶かさんばかりの熱狂ぶりである。
アルネリア内に別邸を持つほどの有力諸侯はそのままアルネリア別邸に滞在することになるが、そうでない諸侯たちはアルネリアが仮設した施設へと滞在を余儀なくされる。アルネリアもある程度の人員を予測して滞在先を確保していたが、既に予測は大きく裏切られ、増築の手配に周辺騎士団すら駆り出される始末であった。
ミリアザールはこれらの諸侯たちにいちいち会うことはせず、会議本番まで姿を隠すことにした。一般には聖女として認識されるミリアザールだが、今代の姿を式典などでお披露目したことはない。
元来ミリアザールが直接会うほどの諸侯は限られ、その姿を見たことのない諸侯の方がほとんどだ。その姿に秘匿性と神秘性を持たせるため、ミリアザールは会議本番まで姿を公に現すことをやめた。そして会議の最終確認と鍛錬、そして久方ぶりの休養に時間を充てたのである。
一方でミランダをはじめとする大司教、司教たちの忙しさは殺人的だった。ほとんどの者が仮眠をとる程度の休息で、身を削って働き一向に減ることのない仕事を片付けている。エルザの護衛を務めるイライザでさえ、書類をもって走り回る姿が度々目撃された。深緑宮が不夜城と化す頃、イェーガーの面々も諸侯の案内や警護、街道整備などで駆りだされて忙しくなっていた。
だがまだミランダもアルフィリースも、本当の意味で気を張ってはいなかった。こういう場所には小者から先に乗り込んでくる。会議の枢軸となる大諸侯たちは、来れば皆が道を開ける。彼ら大物はゆっくりと、時間どおりに乗り込んで来ればいいのだ。アルネリアの用意した施設から人が溢れる頃になると、徐々にそのような人物が乗り込んできた。
「イーディオド女王、ミューゼ殿下。ハウゼン宰相、来着でございます!」
会議の場としてアルネリア郊外に設けられた施設には、1階に広間がある。ここには24時間飲食物が並べられ、諸侯の談話室と化していた。ここを通過して2階にある大会議場に上がっていくのだが、諸侯の来場は入り口で告げられる。大国、有力な諸侯が来れば、少しでもつながりと作ろうと人々がわっと動いた。ミューゼの来場に際して、これまでで最大の人垣ができた。
会場の警備にあたるのはアルフィリースとエクラ、それにエアリアル。もちろんハウゼンが予め来場の時間を伝えており、この時間に警備にあたるように手配した。アルフィリースはミューゼとハウゼンに群がる貴族たちを見て、ため息をついた。
「あまり実感がなかったけど、あの王女と一対一で話したのね。今更ながら信じられないわ」
「だから私は頭が高いと言ったじゃないですか。でもそんな常識が通用しないから、貴女は良いのだと思いますし、ミューゼ殿下の覚えもよいのかと」
「そんなあなたもあのハウゼン宰相の娘なのよね。今更ながら自分の立場がちょっと怖いわ」
「本当に今さらですね。挙句、私は貴女に顔面を打ち据えられましたが」
エクラがジト目で恨めしそうにアルフィリースを見つめたので、アルフィリースは今さらながら後ろめたさに頭をかいた。
「うぐ。恨んでる?」
「嫁入り前の顔を殴られたのですから、もちろん恨みもします。ですけど貴女からは学ぶことも本当に多いですし、あそこで殴られていなければ私は国の命運に関わる大失態をしたかもしれません。今となっては感謝が多く、恨みは些末な物です」
「そう言ってくれると助かるわ」
アルフィリースが安堵のため息をついたが、エクラは逆につい、と顔を逸らした。
「なんの。この後の展開で恨まないでくださいね?」
「なんで?」
「父が来場の時間を指定し、私たちはここにいる。私はイェーガーの内務担当であると同時に、ハウゼンの娘でもある。そういうことです」
エクラがすっと一歩下がり、頭を小さく垂れ畏まった。アルフィリースがきょとんとすると、いつの間にかミューゼとハウゼンがこちらに歩いてくるところだったのだ。まさかこの大勢の貴族の前で会話をさせるつもりかと、アルフィリースはエクラの胸中を今知ったのだ。だが今更下がるのは逆に不敬に当たることは明らかで、もはやどうしようもなかった。エクラを見れば、頭を垂れながらも笑っているのがわかった。
してやられたとアルフィリースは内心で舌打ちしたが、平静を装いミューゼに対峙した。本来なら膝をついて畏まるところだが、アルフィリースは小さく頭を垂れるのみにとどめた。本来ならそれもしたくないのだが、ここで頭すら下げないのは、さすがにミューゼの面子を潰しかねないと考えた。
ミューゼはアルフィリースのその姿を見て小さく驚き、そして微笑むと穏やかに話しかけた。ミューゼの言葉を聞くために、周囲の貴族、諸侯たちも静かにしていたが、多くの者が黒髪のアルフィリースのことを奇異な目で見ていた。
「久しぶりですね、アルフィリース。壮健でありましたか?」
「は、ミューゼ殿下におきましてはご機嫌麗しゅう。生傷は絶えませんが、心身ともに無事であります」
「それは結構。活躍は聞き及んでいますよ? もう大陸でも五指を争う大傭兵団の団長となりましたね。天翔傭兵団でしたか? 良い名前です」
「は、光栄です」
当り障りのない二人のやりとりだったが、周囲に影響を与えるに十分な会話だった。貴族たちも天翔傭兵団の噂は聞いている。場がさざ波のようにざわめていた。
「(天翔傭兵団、あれが噂の・・・)」
「(団長は黒髪の女剣士とのことだったが、本当なのだな)」
「(ミューゼ王女ともつながりがあるのか。これは侮れんな)」
アルフィリースは正直落ち着かない気分になったが、頭を垂れるエクラは誇らしかった。一介の傭兵でありながら、諸侯をこれだけざわつかせる女性に仕えているのだ。これからもイェーガーは大陸をまたにかけて活躍し、さらにその名を轟かせるだろう。
その場に立ち会い、自分が助力をしているということが、何より誇らしいということに、エクラ自身が驚いていた。どうやら自分は貴族として貴族然と生きるより、自力で何かを成し遂げたい種類の人間なのだと今確信した。
続く
次回投稿は、9/4(月)20:00です。