戦争と平和、その30~それぞれの平和、リサとジェイク~
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アースガルの修業は無事終了した。さすがの強者たちというべきか、7日が経つ頃には全員がある程度の耐性を示したが、魔術の心得のないラインだけは帰りの道でも蒼い顔をしたままだった。精神耐性というものがどの程度役に立つのかは不明だが、アースガルの話では魔術協会も研究には熱心らしい。特に現在魔術協会を仕切っている主流派は、かなりの頻度で使用するのではないかとのことだった。
アルフィリースは帰りがけにアースガルをイェーガーの本拠地に招待しようとしたが、アースガルは静かに首を横に振った。
「それはできない。前にも言ったが、私がこの土地を離れると他の導師と諍いが起きてしまう。それに、私はターラムの土地の魔術とほとんど一体化しているからね。私が離れれば、ターラムはその形を維持できなくなるだろう」
どうやらそれがアースガルの導師としての役割らしく、導師という者は契約した土地を離れる時は役割を終えるか、死ぬ覚悟が必要とのことだった。少々離れることなら可能かもしれないが、どんな影響が土地に出るかわからないとのことだった。
アルフィリースは残念そうに項垂れたが、アースガルは笑顔でアルフィリースの背を叩いていた。
「心配せずとも使い魔は飛ばせる。相談には乗ることができるだろう」
その言葉を受けて、アルフィリースは無事にアルネリアに帰還したのである。さて、アルネリアに到着すると時刻は既に夕刻近くであり、リサは足早に自宅に向かった。焦らずとも自宅にジェイクがいることは明白なのであるが、アースガルに言われたことが気にかかったのである。
「(あの腹立たしい導師は結局何も言いませんでしたが、どこまでが精神攻撃で、どこからが真実だったのか。母のことは気になりますが、他の導師なら何か知っているかもしれません。今まではミーシアを拠点に母探しをしていましたが、髪色や特性、それに特殊な能力やあるいは導師から情報を得ることにも焦点を置いた方がよいのかもしれません。隣町の馬の恋愛事情まで把握できると言われたリサの地獄耳、必ず母のことを突き止めてみせましょう。ひいてはそれが私のためにもなりそうです。
それにしても私とジェイクが結ばれることがないとは、どういうことですか! そんなに言うのだったら、今日の晩御飯にターラムで仕入れた強壮剤と興奮剤をありたけ混ぜ込んで、強引な方法に出てやるのです。死ぬ一歩手前の配合比率は修得済み。フフフ、私をコケにしたことを後悔させてやりますよ、導師アースガル!)」
もはや当初の目的は変わっていそうだが、リサは懐に怪しげな薬を忍ばせて自宅へと向かった。自宅はそれなりの広さを持つが、リサは誰も雇い入れてはいない。掃除は自分でできるし、むしろ掃除は自力でやってあげたかった。元々チビ達と暮らしていた時は自分でやっていたし、少々家事が懐かしくもある。
またラーナに頼んで、ジェイクとリサが一定の方法以外で自宅に入ると警告の魔術が作動する仕掛けにしているので、防犯は完璧なはずだった。
リサが玄関を開けて私室に向かうと、ジェイクの部屋からは灯りが漏れていた。夕食がまだなら好機と思いながらジェイクの私室を覗くと、ジェイクは一心不乱に山と積み重なった課題を片付けていた。何事かをぶつぶつとつぶやきながら、どうやらリサが帰ったことにも気が付かないようだ。
リサは気配を消してそっと近づくと、ジェイクを驚かすために突然声をかけた。
「わっ!」
「ぎゃあっ!」
リサの悪戯にジェイクが横にすっ飛んで本棚で頭を打ち付けていた。ジェイクがこんな反応をするとは、どうやら本当に油断していたらしい。そういえば帰還の連絡をするのもすっかり忘れていたのだから、この反応も仕方ないかとリサは思う一方で、急に申し訳ない気持ちになった。
「い、痛い・・・リサ、帰ってたのか?」
「す、すみませんジェイク。予想外に依頼が長引き、唐突に終わったもので連絡もできずに」
「いや、いいんだけど、ちょっとこっちも課題が立て込んでて」
ジェイクががさがさと書類を片付ける。内容はわからないが、結構な量であることだけはわかった。
「グローリアの課題ですか? そういえば冬季休暇中でしたか」
「まあ雪で思うように交通網が使えないから、ほとんどの生徒が残っているけどね。本来ならのんびりできるんだけど、俺は任務で単位が足らないから、補習にも出席が必要なんだよ。試験で良い成績を取れは免除だったんだけど・・・」
ジェイクのしどろもどろな答えに、リサがぴんときた。
「その顔、失敗しましたね?」
「言っとくけど、平均点は超えたぞ!? 基礎魔術理論の試験が難しすぎるのと、基礎礼儀作法学の試験が突拍子もなさすぎる。何が悲しくて、東の端の国で茶菓子を出された時の正しい対応を学ばないといけないんだ! 完全にくるくるに騙された。何がタダで単位をもらえる授業だ、難しすぎるぞ」
「そりゃあ貴族のお嬢様にしたら楽チンの試験でしょうね。ジェイクが姫様の護衛とかしていたから、善意で勧めたのでは?」
リサはジェイクと貴族の感覚の違いを指摘したが、ジェイクは机に戻りながらもまだ腹を立てているようだった。
「わからなかったらワタクシが手取り足取り教えて差し上げますわ、なんなら泊りがけでもよろしくてよ、だってさ。こちとら深緑宮の仕事もあるんだ。そんな暇あるかってんだ」
「チィッ、あの女狐。リサの留守中にそう来ましたか。子狐と思っていましたが、中々自分の利点を使ってきますね。油断ならない・・・いっそやっちまいますか」
「何か言った、リサ?」
一瞬リサから殺気が立ち上った気がしたので、ジェイクは筆を止めて振り返ったが、そこには微笑むリサがいるだけだった。
「ところでジェイク、夕飯は取りましたか?」
「いや、まだ。今日は徹夜になりそうだから、余裕がなくって」
「ならば簡単な物でも作ってきましょう。丁度元気の出る素材を仕入れたのです」
「それは助かるよ」
ジェイクはそれだけ言うとまた机に向かい始めた。その様子を見て本当に余裕がないのだとわかったリサは、おとなしく台所に向かった。手に入れた薬を使用すれば、一晩くらいなら眠ることなく課題に取り掛かれるだろうと思ったのだ。だがまさかこんな風に使用することになるとは思わず、リサは思わず大きくため息をついてしまった。
続く
次回投稿は、8/23(水)21:00です。