戦争と平和、その27~導師の試練⑤~
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「よぉ、目が覚めたか」
アルフィリースが目を覚ますと、そこは元の部屋のベッドの上だった。周囲を見渡して人数を確認すれば、どうやら全員無事らしい。声をかけたのはラインだったが、ラインが顎で指した先にはアースガルが座っていた。マイアとウィクトリエが油断なく彼を見張っているが、アースガルは敵意がないことを示すかのように、静かに目を閉じてただ座っていた。
そして神妙な面持ちで座っていたアースガルが、ゆっくりと話し始めた。
「試練はなされた。君達の願いはそこのフォスティナを無事に助けること。それでいいのだな?」
「・・・そうね」
アルフィリースは慎重に答えた。試練の最中のことは覚えているが、途中からの記憶は当然ない。アースガルの態度を見る限り賭けに勝ったことは明白であるが、頭の中では影がキンキンと叫んでいた。あそこで死んでいたらどうするつもりだった、自分まで道連れにするつもりか、とわめきたてている。自分でもどうしてあのような行動に出たのかは不明だが、あの時はそれしかないと判断した。
いや、他にも何か手段はあったのかもしれない。だが、これが最も良い手段だと直感で判断したのだ。今から考えればぞっとすることだが、後悔はなかった。
マイアは呆れたようにアースガルに話しかけた。
「あなたの性格は知っているつもりでしたが、まさか私にも躊躇なく魔術をかけるとは。呆れて物も言えません」
「非礼を詫びましょう、マイア殿。だが結界の中の私の言動も偽りならぬ本心であり、また必要なことでもあったのです。
暗示、精神操作の魔術は重ね掛けが不可能なのはご存じでしょう? 貴女がオーランゼブルの手の内にないと、どうして言い切れますか?」
アースガルの言葉にマイアが動揺した。
「まさか・・・とは言いたいですが」
「オーランゼブルは魔術の開祖とも呼ばれる男。特に精神操作、星の運行に関しての造詣は非常に深い。私は精霊との対話、幻惑、空間の移動などについては詳しいですが、精神操作となるとそれほどでもありません。一部の魔術は、オーランゼブルの作成した魔導書を読んで学んだこともあります。
それでもオーランゼブルの精神操作を解除するくらいはできるでしょうが、目の前で操作されると私にはなすすべがない。仮に貴女がオーランゼブルに直接操作された場合、一瞬でアルフィリースたちを全滅させる手駒となりうる。天空竜という脅威を排除しておく必要があったのです。そのためには一度私の結界に捕える必要がありました。
それにもう一つ。私の揺さぶり程度のことに耐性がなければ、オーランゼブルの魔術に一瞬たりとも抗うことができないでしょう。黒の魔術士たちほどの実力者でさえ、抗うことのできない魔術。それを扱う相手だということは知っておくべきだ」
「・・・精神操作の魔術というのは、対抗することが可能なのですか?」
ウィクトリエの質問にアースガルは頷いた。
「然り。完全な抵抗は難しくても、逆に人間のように複雑な精神構造を持つ相手を操るのは非常に難しい。オーランゼブルは本人にも気づかれず完全な洗脳を行い、記憶操作まで行っているようだ。これにはかなり複雑な術を行使するはず。なればこそ、準備さえあれば抵抗すること可能かと考えている。
実際には抵抗も数秒のことかもしれない。だがその数秒でも運命が変わることがある。ここにいる面子は、アルフィリースと同様傭兵団の中核となる戦力だろう? 君たちがオーランゼブルに操作されないというのは、とても重要なことだ」
「唐突な試練の理由と理屈はわかったわ。それで質問よ。フォスティナを無事に救い出す方法はあるの?」
肝心なアルフィリースの質問に、フォスティナが固くなるのがわかる。その様子をちらりと見てから、アースガルははっきりと頷いた。
「ある。結論からいえば、母児共に生かすことは可能だ。と、いうより生かすべきだと考えている」
「生かすべきって?」
「私がこのように早く行動できたのも、ミーシャトレスの助言あればこそ。勇者フォスティナともなれば、その名前は知っているかな?」
「ええ、先に死んだ未来視の魔眼の持ち主ですね。彼岸の一族の開祖の一人でもあるとは聞いたことがあります。会ったことはありませんが」
アールガルは無言で肯定の頷きをした。
「君とその子どもに関する予言を残していた。『生かすか殺すかで悩んだら、全て生かす方向で考えろ、とね』。私に関しては予言をくれない人間だったが、その一点だけは告げていた。よほど大事なことだったのだろうが、君のことを指しているのだとは思うよ」
「全て生かすべき・・・」
フォスティナがその言葉の意味を考えている間、アルフィリースが質問をした。
「でも方法はどうするの? 古竜や真竜ですらお手上げなのよ?」
「彼らは決して万能の存在ではない。まして人間に関わることとなれば、最も詳しいのは人間であるべきだ。
まず闇の魔女の助力が必要になる。あまり知られてはいないが、闇の魔女は最も優秀な産婆でもある。その知識の一部は今でも医者の中には受け継がれているが、異種間の出産ともなれば彼女の助けが必要だ」
「それは無理じゃないかしら? 魔女の団欒が黒の魔術士の襲撃を受けたのを知らないの? 闇の魔女も行方不明よ」
困り顔のアルフィリースに、アースガルが指を出して言葉を遮った。
「だが死体は見つかっていない。もちろん生きて魔王の工房に囚われている可能性も否定できないが、それならば私が見つけることができる。それに闇の魔女が死んでいれば、精霊が尋常ではなく騒ぐ。私は誰かに連れ去られたのだと思うがね」
その言葉に、ラーナがふっと気付いた。
「つまりは、精霊が近寄れない場所ということですよね? それは誰ですか?」
「おそらくはスピアーズの四姉妹だろう。彼女たちの聖域は、人間はおろか魔獣や生物、昆虫、果ては精霊までもが近寄ることを忌避する場所だ。闇の魔女が助けを求められなく、また黒の魔術士が追手を諦めても無理はない。かつて人間や魔物の総力を挙げても仕留められなかった怪物だからね」
耳にしたことのある大魔王の名前だったが、アルフィリースも詳細は知らない。てっきり大量の魔物を統率するからこその大魔王だと思っていたのだが。
「魔物も? 配下の魔物はいないの?」
「知らないのか? スピアーズの四姉妹は自分たち以外全て等しく狩りの対象でしかない。奴らを恐れた人間だけでなく、魔物までもが手を組んで追い詰めたのに、結局仕留めることができなかった。そのため、今の土地を与えられて手を打ったのは知っての通りだ。
今彼女達がおとなしいのは、長女が寝ているからにすぎない。攻め入れば必ず目覚める。わざわざ寝ているものを起こさなくてもよいだろうと、誰もが同じことを考えているのさ。
オーランゼブルでさえ利用しなかったということは、彼にも制御が困難なのかもしれないな」
「そんなところに闇の魔女が囚われていると? ならばまずは生きていることを明らかにしないと」
ラーナの言葉に、アースガルが頷いた。
「その点はアルネリアに頼めばよいだろう。スピアーズの四姉妹と最後の交渉を行ったのはアルネリアだ。彼らがその領域に関しても最も詳しいはずだ。そしてもう一つ、必要な魔術がある」
「魔術?」
「これだ」
アースガルがぽいと茶が入ったカップを投げ上げた。だがそれが落ちてくる際に、突如として動きが遅くなる。何事かと思われるアルフィリースたちを前に、アースガルはカップを手に取り空中に零れた茶を全てカップで受けて、元通りテーブルの上に置いた。
呆然とする中、アルフィリースだけが魔術の正体に気付いた。
続く
次回投稿は、8/17(木)21:00です。