戦争と平和、その18~女勇者の苦悩①~
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今年の冬は雪が深い。
街道が整備されたアルネリアでさえ雪に閉ざされ、馬車もろくに行き交えぬ始末となった。傭兵として荷駄隊の護衛や補助の仕事が増え、経験の浅い傭兵たちも懐は潤ったが、中心となる街道以外は各国ともに整備も追いつかず、多くの町や村が孤立することとなった。比較的大陸中央に近いアルネリア近辺ですらその有様なのだから、それ以北ではどのような状況かは聞くまでもなかった。
現にローマンズランドの侵攻は止まり、北部商業連邦に集結した傭兵たちも一時解散。多くの傭兵が北で足止めを食らったが、盗賊もろくに動きの取れないこの状態では犯罪すら横行しなかった。逆に巡礼や口無しすら動かすのもままならず、占領された土地の情報を得る手段がなくなったことで、どのような無法が横行しているのか。それがミリアザールやミランダの懸念となっていた。
諸国の風水師は天変地異の前触れか、あるいは来年は雪が一切降らないのか、はたまた夏は暑さが足りず農作物が不作になる兆候ではないかと騒ぎ立てたが、ウィクトリエやクローゼスはこれば氷帝バイクゼルの死亡と、母であるテトラポリシュカが死んだゆえに北の冷気を遮る封印もなく、ノースシールの大気が流れ込んだせいだと知っていた。
だがこれもノースシールに澱んだ大気が流れ出すだけの一過性のもので、夏には影響がないだろうし、まして来年の冬は元に戻るだろうことが想像できたので、イェーガーとその周囲だけは騒ぎ立てることもなく、春に向けてそれぞれが鍛錬を怠っていなかった。
一人だけ苛立っていた人間がいるとすれば、ミランダだろうか。雪のせいで資材の搬入が滞り、イェーガーに人足の依頼を何度も出さねばならなかったからだ。アルフィリースたちは潤ったが、ミランダは予算の使い過ぎでミリアザールとの仲が険悪になり、深緑宮からは連日のように怒声が飛び交っているとジェイクがリサの前でぼやいているそうだ。
ともあれ穏やかな日々であることには違いなかったが、もう一人、平穏とは程遠い不安な顔をしている人間がイェーガーに訪れてきた。アルフィリースにとっても想定外の人間の来訪は、順風満帆なイェーガーを騒然とさせることになる。
アルフィリースは件の人物を私室に通すと、神妙な面持ちで話を聞いていた。
「――もう一度確認してもよいかしら、フォスティナ」
「ええ、構いません」
アルフィリースの目の前にいるのは女勇者フォスティナ。大陸で4人しかいない勇者の認定を受ける最強の傭兵の一人であり、数々の戦でアルフィリースも助けられた人物だ。猛者揃いのイェーガーの中にもおそらくは単体でフォスティナと渡り合える人物はほとんどいないだろうが、そのフォスティナが青ざめた表情でアルフィリースの前に座っていた。カップを持つ手が震えているのは、決して寒さのせいではあるまい。暖炉には十分な火が入っているのだから。
アルフィリースの隣にいるのは、ラーナとリサ。リサはアルフィリースが話を聞く前からフォスティナの事情を察し、ラーナを伴ってついてきていた。だがフォスティナの話を聞いても、やはりリサとラーナですら困惑するのみだった。大概のことでは驚かないアルフィリースもまた、フォスティナになんと言うべきか言葉を慎重に選んでいる。
「その――貴女はターラムでの戦いの中、人間ではなく――魔王となった勇者リディルに襲われ――その、子どもを身ごもった、と?」
「そうです。もう女性にあるべきものが二月近くありません。確認するまでもなく、間違いないかと」
フォスティナの言葉に、リサが同意した。
「事実でしょう、アルフィリース。最初にわかったことですが、フォスティナさんからは心音が二つ聞こえます。この後ラーナに確認してもらえば確実ですが。フォスティナさんが人目を忍んで来るわけですね。こんなことが大っぴらになったら、傭兵界の大醜聞です」
「醜聞はどうでもいいけどね。その肝心のリディルはどこに?」
アルフィリースの質問に、フォスティナが暗い顔で答えた。
「知りません。精神状態がまともではなかったのか、どこかに行ってしまいました。どこに行ったかを知る術は私にはありません」
「で、残された貴女はその子をどうしてよいのかわからないと」
「はい、その通りです」
フォスティナは淡々と答えながらも震えていた。千を超える軍勢や魔王を前にして一つの怯えた表情すら見せないこの女勇者がここまで憔悴し、狼狽するとはそれだけで見ていて痛々しい。だが女であるならば無理からぬことだと、まだ恋愛すらままならないアルフィリースですら共感を覚えずにはいられなかった。
フォスティナは一息つくと話を続けていた。
「私は正直恋愛や結婚などにはさしたる興味もなく、縁があれば――くらいには思っていました。ああ、もちろん男性に興味がないというわけでもないですし、男性とはそういった関係になったこともあります。もちろんその過程で母となることも想定していましたし、そうなれば相手はどうあれ、せめて子どもは産んであげたいと思っていました。どんな形で授かった命であれ、子どもに罪はありませんから。
ですが、この場合は――子どもがもはや人であるのかどうかすらもわからない。産まれる者は人間の姿なのか、あるいは人間の形をしていても魔物でしかないのか。私はやりたいことがまだあるのに、無事でいられるのか。そして仮にまっとうな人間の心を持っていたとして、姿形が異形なら無事に生きていけるのか。夜通しそんなことばかり考えてしまうのです。
考えても結論が出ないことはわかっていますが、こればかりは考えずにはいられない。だけど誰に相談すればいいかもわからず、気が付くとここを目指して歩んでいたという次第です。突然の訪問は無礼を承知の上。何とか惨めな私に助言をいただければと思います」
懇願するように頭を下げたフォスティナに、アルフィリースは困ってしまった。もちろん書物で女性の出産については一通り読んだことがあるが、実際には医者の領分であり、出産に立ち会ったことはない。子どもの頃に近所の女性が出産をしたという話は何度か聞いたことがあるが、まだ子どもであるからと関わらせてもらえなかった。当然といえば当然だが、アルフィリースは無理にでも忍び込んでおかなかったことを後悔した。以前、アンネクローゼの竜の腹を裂いた時とは、わけが違う。
アルフィリースは目線でリサに助けを求めたが、リサも困惑した様子だった。
「・・・リサにも、子どもは無事に育っている、ということしかわかりません。まだ姿形も明らかではない時期です。どんな子どもが生まれるかは、直前にならなければわからない、と言うしかありません。
ラーナはいかがですか? 闇の魔女はそういったことに関して知識を持つと聞いたから連れてきたのですが」
「・・・私は闇の魔女の性質上、医術も学びますし、かつて難産は魔女の手を借りることもあったと聞いています。しかし現実に私が出産に立ち会ったことはありませんし、私もアルフィリースと同じく書物でしか女性の出産を知らないのです。
ただ一つ確実なのは、異種族との婚姻で生まれる子どもは、高確率で難産になります。実はニアとカザスにも相談を受けたのですが、人間と獣人では比較的相性も良く、また事例も多いため割と安全に出産することが可能ですが・・・そのリディルという方は、何の種族の魔王なのかもわからないのですよね?」
「ああ、わからない。ただ私を力づくで組み伏せたのだ。その実力は推して知るべきだろう」
「ならば危険ですね。仮に巨大な生物を因子として宿していた場合、胎児の成長に母体が耐えられない可能性が――」
「ラーナ、やめなさい」
アルフィリースの一声でラーナがはっと口をつぐんだ。少なくとも本人を前に言うべきことではなかったと、ラーナが頭を下げた。だがフォスティナの不安は強まるばかりであり、手を固く握ったまま震えていた。
アルフィリースもまた、これは自分では手に負えない問題だと悟った。
「とにかく、これを私たちだけで考えていても進展がないわ。ここはミリアザールの手を借りるのが一番ね。仮にも大陸最高の癒しの術の使い手、医術の原型を大陸に広めたのもアルネリア教のはずよ。彼らに聞くのが最も現実的な一手でしょう」
「やはりそうなるか・・・私もミリアザール殿から直接依頼を受けたことがある。配慮してもらえるだろうか?」
「さすがに勇者フォスティナの危機を見てみぬふりをするとは思えないけど・・・とにかく善は急げね。この前巡行から帰ってきたばかりだから、まだ今日なら深緑宮にいるはずよ。この雪ならどのみち巡行どころじゃないだろうしね」
アルフィリースはフォスティナのため、即座に深緑宮に足を運ぶことにした。
続く
次回投稿は、7/30(日)22:00です。