濁流に呑まれる光、その2~海竜の慟哭①~
「ば、馬鹿な。どうしてお前のような者が生きているのだ? ありえない、それこそありえない!」
「私もありえないと思うよ。だが我が母の願いでな、まだ止まることができん。エンデロード、お前が起きていても構わんが、一切この争いに関与するな。少なくとも、結論が出るまではな。もし介入しようとすれば、私が排除する。ゆえあって、余計な力は使いたくないのだ。理解してくれるか?」
「ぐ・・・了解した。仕方がない」
エンデロードは青ざめながらも悔しそうにユグドラシルの言葉に従った。それでも意地があるのか、一つだけ質問したのだ。
「ひとつだけ教えてほしい。まだあの時の誓約は続いているのか?」
「続いてはいないが、私は別の意志で動いている。心配するな、悪いようにはならないはずだ」
「その言葉、信じていいのか?」
「質問は一つまでだ。だが心配するな。私も母も、あの時の屑どもとは違う。今度は決して間違わないつもりだ」
ユグドラシルはそれだけ告げると、溶岩の上を滑るように歩いて消えていった。エンデロードはその姿を見送っていたが、しばらくは苦手な忍耐の時が続きそうだと理解していた。
***
サーペントは変わらず沼地にて浄化作業を続けていた。周囲一帯の澱みを引き入れているせいで、浄化作業は一向に進行しているようには見えない。それでもここ数十年は魔法の使い方にも慣れたせいか、随分と効率は改善されている。精霊や妖精も徐々に増えているし、まあ順調だと言って差し支えない成果だった。
浄化作業など元から真面目に行っていればこんな面倒なことにもなっていなかったろうに、真竜である自分がかつて怠惰に過ごしたせいでこうなったと考えれば、この数百年は罰のようなものだった。
そう考えて沼地に留まる運命受け入れてきたが、久方ぶりにアルフィリースなる人間の自由闊達な考え方に触れたせいか、別の可能性も考えるようになっていた。そもそも、浄化作業を行わなくては澱みが溜まるとはどういうことか。遥か昔、真竜の役目にそんなものはなかったはずで、浄化作業が必要になったということは地脈が狂っていることを示している。では地脈が狂った原因とは何なのか。
地脈は龍脈とも呼ばれるが、大地の大気の流れであるにも関わらず生き物のように流れが変わる時がある。そんなときには山が枯れたり、あるいは噴火や洪水などが起きたりするが、それでもゆっくりと変化する場合はさほどの損害は起きない。地脈の移動により地形の変化は起こりうるが、澱みが出るとなると地脈が詰まっていると考えるべきである。あるいは流れが強制的に変更されたか。そうなると考え付く可能性としては、オーランゼブルの介入しかない。
地脈を変更するほどの魔法となれば、オーランゼブルくらいしか実行できる者を思いつかない。古竜を始めとする古き者たちですら、そこまでの知識と方法は持っていなかった。
「オーランゼブルめ、何をするつもりなのだ」
サーペントは浮いた余力で使い魔を大陸中に飛ばし、ここ数ヶ月大陸の変化を観察していた。すると、一部沿岸部の町に変化が出ていた。最近では魚が妙に多く獲れ、潮流も変わっているというのだ。それが何を意味するのか、まだサーペントにはわからない。だからグウェンドルフと話し合ってみたかった。空から見た大地の様子はどうなのか、と。
それに恋人となったフェアトゥーセの動向も気にかかる。魔女の団欒は終了後、結果が真竜に報告されるが、長いと数年かかる時もある。使い魔を介せば様子を伺うことはできるが、上位の存在である真竜がそんなことをすればフェアトゥーセによからぬ影響を及ぼすかもしれないと考え、サーペントはひたすらに待っていた。まさかフェアトゥーセのごとき有能で慎重な魔女であれば団欒が失敗になるとは思っていないが、そもそも魔女の団欒に裏切り者がいて失敗に終わっているなどとは、欠片も思っていないサーペントだった。
沼地の浄化がもう少し進んだら離れることも可能だろうし、大陸の情勢がどうなっているかグウェンドルフと相談してみるのもよいかもしれないと考えていた矢先のこと。サーペントの元に、望まれない来訪者がやってきた。
「やあ、君が海竜サーペントかい?」
「誰だ、お前は?」
サーペントは突然訪れた少年のような相手に不快感を露わにした。たとえるなら、整頓した自分の巣に盛大なクソを垂らされたような不快な気分。目の前の少年が見た目どおりではないことは一目でわかった。その傍に控える禍々しい気を放つ悪霊や、ただならぬ殺気を発する者たちを見ても、なお彼は異質だった。
少年は大仰に、だが油断なく挨拶をしてみせた。
「お初にお目にかかる。僕はドゥーム。お察しのとおり、悪霊と人間の中間のような存在さ」
「・・・ふん、その悪霊が何の用だ? まさか世間話をしに来たわけでもあるまい」
「そうだね、ここは僕たちにとって非常に居心地が悪い。足元は浄化された水でぴりぴりするし、僕たちにとっては毒の沼地とでも呼ぶべき清流だ。個人的には美しいとは思うんだけど、相容れないのは残念だ」
「ほう、美しいの何たるかを感じる心はあるのか」
「そりゃあね、美しいものまで否定するほど馬鹿じゃないさ。ただ、相容れるかどうかは別。こんなものを作ってしまう存在には、反吐しか出ないね。だから――」
ドゥームがさっと手を挙げると、周囲に悪霊が渦巻き始めた。同時に、連れてきた者も戦闘態勢に入る。
「あんたをちょっと、殺させてくれないかなって」
「・・・くく、よい。まさか正面から堂々と来るとはな。その心意気やよし」
サーペントは鎮座していた体を動かし、戦闘態勢を取る。
続く
次回投稿は、6/3(土)10:00です。