快楽の街、その281~静かな怒り⑨~
「・・・死んだようね」
「そのようだな」
ファンデーヌと剣の風は誰も見ていない暗闇の中、壁を互いに背にして密かに話しあっていた。彼らは消滅したり一定の条件を満たすと経験や記憶を共有できるが、それ以外の場合では直接会って話す必要がある。今はアキノ、スキニース、リリアムを模したロザンナが消滅したことを感じ取り集合したのだ。
「やったのはまた、あの小僧よ。つくづく腹立たしいわ」
「もはや小僧とは思わない方がいい。俺の攻撃を防ぐ、戦士の小僧だ」
「私がけしかけた連中もやられたわ。それにしても、あなたの攻撃を見切っていると?」
「見切っているのではない、極小の殺気を正確に読む能力に長けている。加えてあの常軌を逸した反応速度。奴に不意打ちをできるとしたら、魔術以外ではありえまいよ」
「だが反応さえできれば、マーベイスブラッドで魔術を無効化できるということね。ちっ、あの馬鹿が余計な武器を渡しさえしなければ、いくらでもやりようはあったのに」
「今でもやりようがないわけではない。だが今はかかずらうのは得策ではない。我々以外の使える手駒は全て使ってしまった」
「では報復は諦めるの?」
「そうは言っていない。必ずどこかで報復はする。だが今ではない、優先順位が違うのだ。それよりも出会わぬようにすべきだ。他の個体には連絡を取っているのか?」
「ええ、私たち以外は全員彼女の元に集合しているわ。あそこなら今は遭遇することはないはず」
「ならば小僧――レイヤーとかいったか。奴の対応に関しては意志統一すべきだな。やる時は我々全員でやるべきだ。これ以上我々が削られてはかなわん。レイヤーは意図してはいないだろうが、もはや我々もロザンナ亡き後、再生はできないのだから」
「そうね・・・お父様に連絡すべきかしら?」
ファンデーヌが神妙な顔で聞いていた。だが剣の風は静かに答えていた。
「どうせ父上は全てご存じだ。だが何も連絡はないということは、まだ我々に任せて下さっている。だが父上が動く時は――」
「我々は用済みということね。できそこないの烙印は押されたくないものだわ」
「かつてそうなったできそこないもいた。思考錯誤を繰り返して、今の我々は歴代でも最も優秀な個体群だ。そうはならないさ」
「なのに、あの少年にやられたのね。ただの人間とは思えないわ。何者なのかしらね」
「人間にも突然変異は生まれるということだ。特性持ちなどその最たるものだろう。この時代に集中しすぎている気はするがな。問題は、何の特性なのかということだ」
「倒した相手の性質を吸収しているように見えたわ」
「だとするかかなり厄介だ。あまり強くならないうちに消さなくてはならない」
「見張りをつけましょうか?」
「だとしても誰をつけるかだな。生半可な者では気付かれるし、さて・・・」
剣の風とファンデーヌの話し合いは闇の中、溶けるように静かに行われた。
***
アルフィリースが去ってしばらくした後、ルヴェールは一人ターラムの中を歩いていた。脅威が減ったとはいえ、この街は変わらず猥雑なままだ。あれだけの騒ぎがあったのにも関わらずもはや露店の数は元に戻りつつあるし、むしろローマンズランドが戦争を仕掛けたことで傭兵たちは稼ぎ時とばかりに北に向かう。そのためにターラムを中継点にする者も多く、むしろターラムはより活気づいていた。
この時を逃さずとばかりに商人たちは声を張り上げ、娼婦は着飾って男を誘惑する。裏通りでは怪しげな品物がやりとりされ、崩れた建物などはさっさと取り壊され新しい建物に生まれ変わり、人の口に登らなくなればまさに75日ほどすれば忘れられてしまうのだろう。数百年変わることのないこの街の本質は逞しくもあり、そして愛しくもあった。
ルヴェールは葡萄酒とちょっと奮発した菓子を手に、小さな家を訪れていた。ターラムの町中に一軒家を構えるのは容易ではなく、それこそ高級住宅街と商家以外では集合住宅がほとんどだ。そんな商家が寄り集まった場所に、ひとつだけぽつんと建てられている小さな家がある。あからさまに浮いているその家が注目されないのは、魔術のせいだった。
ルヴェールは玄関を3回、1回、2回と叩く。そうすると結界が一時的に解除される気配があり、中から声がかけられた。
「どうぞ」
「失礼するわ」
ルヴェールが中に入ると、そこには森と見まがうくらいの大量の植物と、小さな泉、それに魔獣がいた。広さも外観から比較して明らかに大きい。魔術で拡張しているのか、それとも空間自体を捻じ曲げて別の場所に招待しているのか。今日は鳥すら飛んでおり、一つの生態系そのものが家の中に展開されていた。
何度訪れても感嘆のため息が出る。魔術士としては理想にも等しい力の持ち主、導師の長も務めたアースガルの工房内のことだった。
続く
次回投稿は、5/23(火)11:00です。