快楽の街、その277~静かな怒り⑤~
そのリリアムと同じ形をした人物は、リリアムと全く同じ声で話しかけていた。
「うん、スキニースとアキノはきっちりと最低限の役目は果たしたみたいね。感心するわ、修復は後で行ってあげるわね」
「あなた、何者かしら」
「何者か。何者と言われれば、それを的確に言い表す言葉を持たないわね」
「くだらない問答は――」
「あなた、ではなく、あなたたちと呼びなさいリリアム。私たちは10体で一つの怒りを体現する空蝉。戦闘用の個体が4、支援の個体が6。私は支援の中でも回復担当。破損した者の修復を担当するのよ。問題は、私自身の個体を修復する術を持たない。ある程度の耐用年数を経過すると、個体を乗り換える必要がある。そう、まるで人間がつがいをもって新しく子どもを作るように。私は私のひな型を人間から選び出して作る必要があった。皮肉な物よね。人間を憎んでいるのに、憎み過ぎて人間にしか模造できない。結論、人間を滅ぼすつもりならこの姿が最適なのですけど。とにかく、ひな形としてあなたは最適だったのよ、リリアム」
リリアムの言葉を意に介しないようにして、もう一人のリリアムが話し続ける。
「それは、どういうこと?」
「私のひな型となりうるのは、相手の人格、人生までをも考慮して作成しなければならないの。それらを知れば知るほど精度が上がる。まあ面倒だけども、それが自分を作製する代償ということなのかしらね。最低でも10年、相手の人生を観察する必要があるわ。自然、観察する対象は限られる。相手が途中で死んだりすると面倒から、候補は常に複数用意しているのだけど、あなたは特に思い入れが深いわ」
「なぜ私を選んだ」
「あなたに目を付けたのは、たまたまかしらね。最初は黒髪が珍しいという程度。だけどあなたは生き延びるために異彩を放ち始めた。あれだけ目立って目をつけるなという方が無理ね。
だけど少し足りないと思ったから、仮面の調教師を通じてあなたの人生をより不幸にしてみたわ。元となる個体は優秀であるほどいい。私は正直戦闘向きじゃないけど、あなたほどの実力者であれば十分に戦闘型として稼働できるわ。オーランゼブルの元で働かせていた馬鹿が早々に死んだせいで、手が足りないから余計に都合がよいわね。
そして時期が来たわ。予定ではこの騒乱――本当は闘技場の騒動を通じてあなたを抹消し、なり替わる予定だった。計画が狂ったのはしょうがないけど、元となる個体には消えてもらわないと、同じ姿形の人間が二人いたら面倒よねぇ?」
「・・・では、なにか? 私はたまたまお前に見いだされ、お前に人生を狂わされ、用が済んだから死ねと。そういうことか?」
「ご名答! よくできました。あ、ちなみにあなたが男たちに嬲られるように仕向けたのは、その場の気まぐれよ。強敵を用意する方法もあったけど、ありきたり過ぎてね。それにその方があなたは強くなりそうだったから、試しにやってみたけど結果あなたは素晴らしい戦士になったわ。一応、心が壊れてしまわない程度の屈辱には手加減したつもりなのよ?」
ぱちぱち、と目の前の何者かが拍手をした。その瞬間、リリアムは自分が追った怪我も毒も忘れるほど激昂し、その何者かに飛びかかった。力はそれほど入らないかもしれないが、必死で剣を合わせて相手を睨み据えた。
「ふざけるな! あの苦しみを貴様はなんだと思っている!? 私の生きざまは私だけのものだ! 他の誰かになど、奪われてなるものか!」
「そう思っているのはあなただけよ。あの程度の苦痛、世の中には吐いて捨てるほどある。残念ながら弱い者は強い者に利用されて死ぬだけ。闘技場で生きてきたあなたにはもわかっているはずだけど? それとも闘技場で、魔物に嬲られる様子を公開するべきだったかしら?」
「ふざけるなぁ!」
激昂したリリアムが高速の連撃を繰り出すが、相手は自分自身。しかも万全の状態を相手にしては、攻撃の速度が追いつくはずもない。冷静に攻撃を受けられ、剣の柄が鳩尾に入った時点でリリアムの動きは止まってしまった。最後の力も使い果たした。もう剣を握る手にも力が入らない。戦意を失くしかけているリリアムの胸倉をつかみ、リリアムは引き起こされた。
相手が自分と同じ顔で、まるで鏡を見ているかのようにリリアムの目をのぞき込んでいる。リリアムは死を覚悟していたが、相手はそんなリリアムを興味深そうに観察していた。
「良い顔になったわ。強いて言うなら、私と比べて怒りが足りないかしらね」
「なんのために、こんなことを・・・」
「さきほども言ったはずよ。私は全てが憎い。この大地も空も、そこで息をする生き物も、全てが憎い。大地など焼け落ちてしまえばいい、空など崩れてなくなってしまえばいい、生き物など苦しんで悶えて腐ってしまえ。誰しも人生で一度は考えることかもしれないけど、怒りをとどめることは難しい。闘技場に売られ、他人に良いように利用され、人を憎むあなたならわかると思ったのだけど。所詮は只人かしらね」
そう告げた偽物の目に、リリアムは底知れない怒りを見た。嵐に怒る稲妻よりも激しく、噴火口よりも燃え盛る怒り。確かにこの相手を放置すれば周囲の全てを憎み殺すだろう。止めねばならないことはよくわかるが、今のリリアムにはその力は残されていなかった。
リリアムが抵抗できないでいると、相手は寂しそうにふっと笑った。
「長らく見てきて、これでもあなたには愛着はあるわ。私たちは空蝉だけど、それぞれに自我が与えられていますからね。私の考え方は女性のそれに近い。あなたを娘のように考えてしまうこともあるのよ」
「・・・だけど殺すのでしょう?」
「ええ、この怒りだけはどうしようもない。この怒りが消えることは決してないのだから。止めたければ、私たち全てを殺しなさい」
リリアムの偽物が剣を構えた。覚悟をしたリリアムが目を閉じようとした瞬間、リリアムの部屋の窓を突き破って、黒い影が飛びこんできた。
続く
次回投稿は、5/15(月)11:00です。