快楽の街、その274~静かな怒り②~
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ターラムの危機が去った後、リリアムは雑事の合間に私邸に戻っていた。自警団本部にも自分の執務室はあるし仮眠も取れるが、仕事はきりがないから一端休めとカサンドラに言われて退き上げたのだ。言われてみれば、昨晩のオークの襲撃後カラツェル騎兵隊と報酬の交渉を行い、各ギルド長の安否と街の被害状況、後始末の手筈から、近隣の町、村の安全確認まで二晩続けて寝ていない。気が張っているから動いているが、そろそろ限界なのは明白だった。
休息すると決めてからは要求に逆らえないのか、思考はいち早く睡眠を求めている。油断すれば帰りの馬車の中で寝てしまいそうだった。
「歳かしらね。二晩程度の徹夜で限界がくるとは」
「気を張る立場なのだから、しょうがないのでは?」
御者を務めるスキニースは、エルシアと闘技場で戦った相手だ。スキニースは普段から闘技場で戦うだけでなく、傭兵として何でも屋的な依頼も受ける。そうでなくとも闘技者もターラムの緊急時には自警団に強制的に組み込まれる契約となってはいるが、スキニースはその中でもさらに特別なのか、自警団内での雑務に従事していた。そして今ではリリアムを自宅まで送り届ける御者をしている。
リリアムは久方ぶりに茫として外の風景を眺めていた。
「まぁね。確かにここ最近根を詰めていたわ。特にあの傭兵団が来てからは」
「イェーガーですか? 確かに事件の連続でしたね」
「本当に。ターラムでは日々何かしらの事件が起こるものだけど、それにしても大事件ばかりだったわ。闘技場での勝負、そこで起きた魔王騒ぎ、巨大な魔獣と霧の出現、オークの大軍の出現。これ以上はもう勘弁願いたいわね」
「イェーガーを追い出しますか? まるで疫病神じゃないですか」
「それは私がすることじゃないわ。少し寝るから着いたら起こして」
「了解です」
そう言ったリリアムの顔には笑顔があった。確かに大変だった、だが思えばなんだか楽しかったような気もする。アルフィリースと共にする旅は、さぞかし面白かろうと思うのだ。そんなことを考えながらうつらうつらとしたところ、馬車が大きく一つ揺れて目を覚ました。窓から外を確認すると、もう私邸が近い場所だった。だがそこでふとリリアムは違和感を覚えた。私邸の場所は自警団内ではカサンドラにしか教えていない。自警団の者を信用していないわけではないが、私邸は完全に仕事と切り離していたいのがリリアムの考え方である。こちらの方面に走れとは言ったが、途中で止めて歩くつもりだった。万一尾行がいればそこでまけるし、どうしてこのスキニースが私邸の場所を知っているのか。
リリアムは腰の剣に手を添えると、スキニースに話しかけた。
「スキニース、どこまで馬車を走らせるつもりかしら? もう指定の場所は過ぎているわよ?」
「・・・」
「スキニース?」
返事のないスキニースを訝しがり、リリアムは御者席を見た。そこに座っているはずのスキニースは、心臓に剣を突きたてられて死んでいた。馬だけが御者が死んだことを理解していないのか、走り続けていたのだ。
リリアムは即座に外の様子を伺うと、馬車を飛び降りた。路地に身を隠し周囲を伺うが、殺気やおかしな気配はない。高級住宅街の一角は人通りも少なく、誰か通ればそれだけで気配がわかる。息を潜めて周囲を伺ったが、おかしな気配は何も感じられなかった。
「(まあセンサーとは精度が違うけれども・・・さて、私邸に帰るべきか他の場所に行くべきか。自警団の詰め所は遠いわね。なら私邸に行って誰か人を派遣すべきか)」
リリアムは決断すると、いち早く動き始めた。影のようにするすると動きながら、周囲の尾行を気にしつつ、やや遠回りで私邸を目指した。途中何人か人影はみたものの、おかしな点は一切なく、結局何の危険もなく私邸にたどり着いたリリアム。
やや拍子抜けといえばそうだが、リリアムは念のためローブを深くかぶり裏口からそっと私邸に入った。そこには屋敷の管理を任せている使用人長のアキノがいたのだ。アキノは突然館に入ってきた不審者に驚いたが、それが館の主だと気付いて二度驚いた。
「まぁ、ご主人様? どうして裏口から」
「尾けられている可能性があったのよ。だから念のためにね。杞憂だったようだけど」
リリアムはローブを脱ぐとアキノにぽいと放り投げた。小柄で中年女のアキノはそれを慣れた手つきで受け取ると、同時に水を差しだした。私邸に帰った時のいつもの行動だが、数年前に私邸を建てた時からの付き合いだ。何も言わずとも必要なものを揃えてくれるアキノの存在がありがたかった。
リリアムは水を飲み干すと、歩きながらアキノに指示を飛ばした。
「念のためにカサンドラに使いを出すわ。私の休息場所の手配と、信頼できる自警団員を数名寄越すように伝令を出してほしいの。できれば三名くらい同時に出してほしいわ。できるかしら?」
「それはかまいませんが、三名もですか?」
「ええ、敵が外からここを見張っている可能性は否定できないわ。だけど大人数ではないと思うのよね。なら三名伝令を出しておけば、一人はたどり着けるはず」
「わかりました。すぐに手配します」
アキノはぱたぱたと走り去ると、リリアムは私室に向かった。途中剣の調子を確認しながら、何度か素振りをしておく。体は重いが、剣のキレは悪くない。私室に入って着替えを済ませると、丁度アキノが扉をノックするところだった。
「ご主人様、伝令は手配できました」
「そう、仕事が早くて助かるわ」
「ところで湯浴みはどうされますか? まだであれば準備をいたしますが」
「いえ、やめておくわ。汗だけ拭きたいから準備を。あとは持っていく食事を準備して。カサンドラの迎えがあり次第、すぐに動くわ」
「では準備している間、軽食だけでも少しいかがですか。簡単なものをお持ちしましたので」
「さすがに気が利くわね」
扉を開けるとアキノがパンと葡萄酒、それに干し肉を手に持っていた。あまり酔わないやつで、リリアムが好きな甘口の酒だ。疲れた時に甘いものを口にすると頭が回る。頼りになる使用人だと、リリアムはほっとした。
そして軽食を口にしていると、ふとリリアムは気付いたことがあって呼び鈴でアキノを呼び寄せた。
続く
次回投稿は、5/9(火)12:00です。