快楽の街、その273~静かな怒り①~
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「アルフィ、お客様です」
「こんな時に誰かしら?」
「プリムゼですよ。火急の要件だそうです」
「プリムゼが?」
アルフィリースは帰還のための準備を最終確認していたのだが、一度手を止め宿の私室にてプリムゼに対面した。プリムゼは出会った時と同じく可愛らしく優雅に礼をしてみせた。一つ違うのは、服装はこのうえなく地味というところか。それでも路傍に割く小さな華のようなプリムゼの気品は、一切損なわれることはなかったが。
アルフィリースは体面に腰かけると、リサを伴って話を聞いた。
「プリムゼ、何用かしら? 純潔館の使い?」
ルヴェールの、と表現しなかったのは、まだアルフィリースがルヴェールのことを誰にも言っていないからだ。その意図は、目を合わせただけでプリムゼにもわかったようだ。
「そうですね、純潔館の使いです。是非ともターラムを発たれる前に、と思いまして」
「慌てるような要件なの?」
「はい。実は、先日の純潔館の使用量を払っていただきたく」
その言葉でアルフィリースは後ろにひっくり返りそうになった。ルヴェールにもフォルミネーにも明確にタダにするとは言われていないが、それにしても招待しておいてまさか金をとるとは。一晩が貴族の財産にも匹敵するという黄金の純潔館の使用料。それを数十名で貸切ったなれば、一体どんな借金が――と考えたアルフィリースが青くなったところで、プリムゼがくすくすと笑っていた。
「冗談ですよ、アルフィリース様。まさか招待しておいて金をせびるような真似はいたしません。そんなことをすれば、館の主フォルミネーの信用は地に落ちるでしょう」
「そ、そうよね。冗談よね」
「心音でそのことはわかっていましたが、それにしてもタチが悪い。そんな性格でしたか、貴女?」
「こちらが本来の私です、純潔館ではお行儀よくしていますので。女はいくつも顔を持つと申しますでしょう? そういう意味では、あなたがたの団長程ではありませんと思いますが?」
「アルフィリースに腹芸をするような器用さがあるとお思いで?」
「腹芸はできずとも、時と場合によってのぞかせる表情が変わる人はいます。平時は愛嬌がある方として、戦時は非常な選択ができる指揮官として。どちらにせよ、ただの英雄にはならないでしょう。奸雄か梟雄か・・・楽しみではあります」
「ですって、アルフィ。過分な評価をいただきましたね」
「褒められてないわよ、それ」
アルフィリースがずれかけた上着を直しながら言った。
「で、本当の要件は?」
「我が主から、『最も速き者をリリアムの元へ』ということです。意味まではわかりませんが、それなり以上に真剣な様子でした。主が言うからには、私がどのように対応しようが、その時、その場面でふさわしい者が出現すると思いますが、団長様にはおわかりになりますか?」
「いえ・・・最も速き者、か。リサ、誰だと思う?」
「言葉通りの意味ならターシャないしエアリアルですが、市街地となるとルナティカでしょうか。そこに含蓄があればリサにはわかりかねますが」
「そうよね・・・」
リサは何やら勘付いたようだが、ルヴェールのことまではわかるまい。アルフィリースもまたリサの意見には同意したが、何かひっかかるものを感じていた。仮にもこの大陸で有数であろう魔女の言葉だ。ひょっとすると伝えた当人すら意味はわかっていないかもしれないが、さらりと流してしまうには重い一言だった。
その時、けたたましい足音と共に飛びこんできた者がいた。
「団長! 異変はありませんか!?」
「レイヤー?」
「レイヤー、来客中ですよ。それに一応婦女子の部屋です。もしラッキースケベを期待するなら、ルナティカかエアリアル、またはエメラルドにするとよいでしょう」
ノックもしないレイヤーをリサが窘めた、いや、一部では煽っていたが、レイヤーはそれどころではないようだ。アルフィリースが見たこともないその表情に気付くと、言葉は自然と口から出た。
「レイヤー、リリアムの元に全速!」
「! 了解しました!」
レイヤーはその言葉の意味を考える前に全速力で駆けだしていた。突き当りの廊下に階段を上がってきたエルシアの顔が見えた。
「あれ、レイヤー。買い物は――」
「エルシア、その窓を開けて!」
「え、ええ?」
エルシアは聞いたこともないほどのレイヤーの剣幕に反射的に窓を開けたが、そこからレイヤーは躊躇なく全力で飛び出ていった。疾風のようなレイヤーの動きに、エルシアはレイヤーがいなくなった後ではっと気づいた。
「どこに行くのよ!? もう出立よ?」
「お使い! すぐ戻る!」
「お使いって・・・ここ4階よ?」
エルシアが窓の外から頭を出すと、どうやって跳び移ったのか隣の4階階立ての建物の屋上を走るレイヤーが見えた。その後ろ姿が、すぐに他の建物の影に消えていく。レイヤーが風のように走り去ったのを見て、エルシアはぽつりと漏らしていた。
「レイヤーって、あんなに足が速かったっけ・・・? この団のお使いって、激務なのね」
などと的外れな感想を漏らすのだった。そしてアルフィリースは事態を半ば理解すると、リサに矢継ぎ早に指示を飛ばした。
「リサ、リリアムの館の場所はわかる?」
「ルナティカがわかるはずです」
「ではルナティカを先行させつつ、リサはセンサーで場所を確認しながら手の空いている中で上位10名ほどの腕利きを連れて後を追って。私はターシャと空から行くわ」
「了解です」
リサもまた事態が切迫していることを理解したのか、アルフィリースと共に即座に動き出した。
続く
次回投稿は、5/7(日)12:00です。