快楽の街、その272~剣の風⑯~
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「ラッシャ、いたか?」
「いえ、ゼルドス隊長。匂いはここで途切れてます」
ブラックホーク4番隊、通称獣人隊が辿っていたのはケイマンの匂い。合流した0番隊のカナートやミレイユから妙な獣人と遭遇したとの話を聞き、隊長のゼルドスはそれが旧知の仲であったことに気付いた。ケイマンとはゼルドスが生まれ育った集落が近く、軍人となる希望者は自然と集まって腕試しをする風潮があった。
その中でゼルドスよりも一回り年上で、最も強かったのがケイマンだったと記憶していた。実際に手合せも願ったことがあるが、あれほど強い獣人は入隊後も滅多に出会わなかったと記憶している。自分が若輩だったことを差し引いても、獣将であってもおかしくなかったのではないかと感じるほどの手ごたえがあった。
だが軍に入ったはずのケイマンの噂はなく、ただ後に王となったドライアンの仲間にそんな男がいたのではという話を聞く程度だった。当時の話を知る者は誰もおらず、またドライアンに聞いても口を堅く閉ざして語らず。それが元でドライアンと喧嘩になったことすら何度かあった。
ただ一つドライアンが語ったのは、ケイマンは生きているということだけ。その返答から、おそらくは王の間諜としてどこかに潜伏しているのだろうと勝手に結論付け、それ以上は追究しなかった。そうこうするうち自分も人間世界に溶け込み、居酒屋の店主などをするうち、忙殺されて記憶の彼方にやってしまった出来事である。グルーザルドの間諜ではないかとミレイユがあたりをつけず、また特徴的な外見でなければおそらく気付くこともなかっただろう。
もう顔も覚えていないような相手の何が気になるのかはゼルドスにもわからない。おそらく共に探す4番隊の面々もなぜかはわかっていまい。ただ副隊長のラッシャだけは、同じような懸念と焦燥に囚われてゼルドスとターラムを駆けているのではないかと思われる。
果たして獣人らしき匂いを辿ってきたのだが、城外に立ち上るオークの火葬場の一つの前でその匂いは切れていた。周囲には、油と肉の焼ける不快な臭いが立ち込めている。人の何倍も鼻が利く獣人たちは、それぞれが口と鼻を覆って悪臭に耐えていた。
「けほっ、けほっ。隊長、もうここまでですぜ。この臭い、たまんねぇや。さっさといきませんか。これじゃあ呼吸もできねぇ」
「このオークの焼ける臭いはいつ嗅いでも胸糞悪くなる。人間や同種を食うような種族は殺すと大抵我慢できねぇほどの異臭を放ちますが、今回のは特にひでえ。この臭いだけで疫病になりそうだ」
「ゼルドス隊長、何を気にしてんですかい? そりゃあオークと一緒に火葬にされるなんざひでえ埋葬の仕方だが、灰になっちまえば風にのってグルーザルドに帰れまさぁ。南方戦線じゃあ野ざらしになる仲間も多いんだ。それに比べりゃ恵まれたほうじゃねぇですかい」
「わかってる。だがそうじゃねぇ、そうじゃねぇんだよ・・・」
などと否定してみたものの、ゼルドスにも違和感の原因はわからない。ただ鼻が曲がりそうなほどの悪臭を無視して考え込むほどには、ひっかかる何かがあったのだ。ゼルドスは獣人にしてはかなり理性的に考える方だが、自分の直感をおろそかにしたことは一度もない。
そのうち、ラッシャが一つのことに気付いてそっとゼルドスに近寄って小さな声で話した。
「隊長、ちょっといいですかい?」
「なんだ、他の隊員には聞かれたくねぇのか?」
「はい、ここに5番隊の連中の匂いがあります。しかも複数。他の隊員はまだ気づいていませんが、俺は立場上あいつらともよく面を合わせますからね。匂いも覚えているんでさ。あいつらあ同じ顔を滅多に見ないですが、古参の面子20人ほどは誰も欠けてないって知っていますか?」
「そうなのか?」
「滅多に全員集合しない隊ですからね。あるいはそう思わせたくないのか、よく見なきゃわかんない顔ぶれですよ。まあそいつらが関わってますね、理由はわかりませんが」
「他の奴らに聞かせないのは、喧嘩になるからか」
「そりゃあ俺もはじめとして、5番隊の連中と俺たちは出会ったら殺し合いを始めかねんですから。あんな糞野郎ども死ねばいいとすら思ってのもいるでしょうし、もし奴らが隊長の知り合いの獣人の死体をぞんざいに扱ったと知ったら、それだけでもう・・・想像つきますよね?」
「ああ、そうだな」
間違いなく血の雨が降る事態にはなるだろうと考えられた。ゼルドスは一端追跡を止めることを提案し、ミーニャに後を任せて待機させた。そしてラッシャと二人、5番隊がいる酒場まで臭いを辿って行った。
5番隊はいつも通り、場末の酒場でくだを巻いていた。女に所かまわずちょっかいを出し、他の客を脅し、店の酒を無理矢理飲む。傭兵に道義を求めるだけ馬鹿馬鹿しいというものだが、5番隊の連中は人として最低限のモラルすら欠けているようにしか思えなかった。
元軍人で、そして自ら酒場を経営していたゼルドスにしてみればこういう連中は腹立たしいことこの上ないが、今はそれどころではなかった。
「ラッシャ、どいつだ」
「あの禿頭です。名前は確かベルン」
二人は一直線にベルンの元に向かった。獣人が獣臭いと冷やかす連中もいたが、さすがにこの二人の進路を阻むような愚か者はいない。奥の席に座るベルンは二人をちらりと見ると、正面にいた部下に顎で指示し、どくように促した。
「珍しい客だ。まあ座れよ、お二人さん」
「結構だ、長居はしねぇ。要件はたった一つ、獣人の処分を誰から請け負ったか聞きたい」
「お前らがやったのか、とは言わねぇのな」
「そんな問答している場合じゃねぇ。俺は今気が立っているんだ、わかるか?」
ゼルドスの毛が逆立つのを見ると、5番隊はそれぞれが手元に武器を引き寄せた。ゼルドスが殺気立つのを見て怯まないのは、さすがにブラックホークの一部隊というところか。
だがベルンだけが首を横に振っていた。
「ゼルドスさんよ、いけねぇな。余裕がなさすぎらぁ」
「嫌な予感がすんだよ。俺たちだけの問題じゃねぇんだ。お前たちだって関わるかもしれねぇ」
「・・・もうとっくにずっぷり関わってるさ。うちの頭と、ファンデーヌ。最近懇ろなのは知ってるか?」
「? それがどうした」
「ずっと頭は一緒にいる。そういうことだ」
ベルンはそれきりゼルドスを見ようともしなかった。その態度に今度はラッシャが殺気だつが、ゼルドスはしばし考えはっとしたような顔をすると、ベルンに問いかけた。
「そういうことか。任せていいのか?」
「俺に聞くな」
「わかった。ラッシャ、行くぞ」
「は、はあ」
ラッシャは何事か理解ができなかったので、酒場をあとにするとひっそりとゼルドスに問いかける。
「隊長、今のやりとりは?」
「そうか、お前も知らねぇか。ならその方がいい」
「? どういうことで」
「ゲルゲダは仕事をしている。なら俺たちはうかつに動かない方がいいんだ。ムカつく事態だが、任せるしかないだろう」
ラッシャは首を傾げたが、ゼルドスとて納得がいっているわけではない。だが以前ヴァルサスとゼルドスが今のブラックホークを作り上げる時に話し合ったことがある。その一つに、隊内で裏切り者が出た時の対処を決めておかないといけないと相談したことがある。
その言葉にヴァルサスは静かに頷いていただけでどういう方策を立てたのか聞いてはいなかったが、それが実行に移されたのだとゼルドスは痛感していた。
続く
次回投稿は、5/5(金)12:00です。