快楽の街、その268~剣の風⑫~
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「何の用だ」
「随分と腐っているみたいだな」
ジェイクはバンドラスが仕切っていた第四街区の一画に来ていた。火災は消し止められたが、そこかしこで崩れかけた建物の取り壊しが住民たちの手によって行われている。まだ火災に巻き込まれた死体すら、回収がままなっていない状況でのことだ。外で起きたオークの後始末に自警団が駆り出されているせいで、埋葬作業どころではない。
元々ターラムでも放置気味ではあった区画だが、今はさらにひどい状況だった。この状況を少しでもまとめようと奮闘しているのは、誰であろうギャスだった。
彼はバンドラスがいなくなった後も生き残った者達をとりまとめ、なんとか最低限の生活ができるように動いているところだったのだ。そこにジェイクがふらりと訪れたのである。
だがそんな場面に訪れたジェイクに対し、ギャスは見るなり悪態をついた。
「何しにきやがった、騎士様。正義を振りかざして俺たちの生活をぶち壊し、用が済んだらアルネリアにお帰りか。はっ、虫唾が走るぜ」
「何か勘違いしているようだけど、お前たちの生活はそもそもが破綻していた。人殺しも厭わない犯罪者に頼り切った方法じゃ、遅かれ早かれこうなった。もっとひどい結末になったかもしれない。お前だってわかっているだろ?」
ジェイクの言葉は辛辣だったが、ギャスもまた自分の言葉が駄々に近く、やりようにない怒りを適当にぶつけただけだとわかっていた。
「・・・るせぇ、そんなことわかってらぁ。だけどこの惨状を見ろよ。もう俺たちにどうにかなるようなものでもない。だけど誰も助けてくれない。だからちょっとでも俺は」
「俺な、今回のことで恩賞が出るんだ。下位から中位の騎士へ昇格も果たす。それで昇格すると色々な特典が付くそうだ。自分の隊を勝手に編成してもよいとか、従騎士の数が増えるとか、自分の屋敷と土地を持てるとか」
ギャスの言葉を無視するようなジェイクの物言いに、ギャスは面喰った。まさか堂々と自慢をしているのか。いや、そこまで無神経ではなさそうだが。ギャスはジェイクの真意をはかりかねて、次の言葉を待った。
「だから、ギャス。お前・・・俺の従騎士にならないか?」
「・・・・・・はぁ?」
ギャスは突然の申し出の意味がわからなかった。ジェイクは顔を少々赤くしながら、ちょっと怒ったように続けた。
「だーかーらー、俺の従騎士になってアルネリアにこないかって言ってるんだよ。従騎士はもう他にもいるけど、年齢的にまだ見習いとしか認定されていなくてさ。今までは別に義務じゃなかったんだけど、中位の騎士になると従騎士が最低一人いることが義務なんだと。義務と責任も増えるらしいし、深緑宮内の行事も増えるらしいけど、同時にグローリアの生徒でもあるから全部一人でやるのは無理だと思うんだ。俺の代わりに雑事を片付けてくれる奴が一人でもいると助かる。お前、そういうの得意だろ? 何せこの街区の顔役の一人だったんだから」
「そりゃあ顔役なんてものは、言っちまえば雑用だからな」
「手伝いとして何人かつけていい。お前の分の俸給は出せるし、雑費としてある程度予算も組まれるそうだから数名の分なら賄えるだろ。何人分かは正確にはわからないけど、なんとかしてみせるさ」
ギャスはジェイクの申し出をぽかんとして聞いていたが、やがて少し考えて聞き返した。
「・・・正直信じられないほど破格の申し出だ、アルネリアって型にはめられることさえ除けばな。だが俺みたいな小悪党を罠にかける意味もないだろうし、俺を雇ってお前にどんな得がある? お情けってのなら迷惑だぜ」
「強がるのはよせよ、本当に困っている時はたとえ藁でも掴むだろ? でも藁さえも差し出されない環境ってのはあるもんだ。俺も孤児だ、そういう気持ちはよくわかる。問題は掴むか掴まないか、それだけだ。正直な話、お前じゃなくてもいい。たまたま目の前にいるのがギャス、お前だってだけだ」
「言いやがるぜ、このガキ。だがもう一つある。多分焼け出された中で、俺についてくる奴は30人近くいるはずだ。そいつらを全部連れていくことは可能か? 俺にはそいつらを選抜して残りを見捨てろって言うのなら、残酷な選択だぜ?」
「運べるだけの人数なら可能だろう。俺は最高教主に口をきける立場だ。あのババ・・・あの人に頼めばなんとかしてくれる。ただ、何らの対価は求められるかもしれないが。
これから冬だ。この区画が整理されて、焼け出された建物が直されるまでに凍死者が出るかもしれない。選択肢はないと思うけどな? それともこの街の自警団が面倒を見てくれることに賭けてみるか?」
ジェイクの言葉に少し悩んだギャス。いや、本当はわかっている。ジェイクの申し出以上に素晴らしい条件などないことを。だが明らかに年下のこの少年にこびへつらうのは嫌だし、安く買いたたかせるつもりもない。ジェイクがいかに正しいとしても、ギャスはもう誰かにこびへつらう人生を選択する気はなかった。
それでも切羽詰まったギャスの選ぶ道など一つだった。確かにこの先、藁すら差し出されない可能性もあるのだ。
「・・・いや、お前の言う通りだ。俺たちの命、預けていいか?」
「よせやい、そんな大仰なものじゃないさ。とりあえずの生活を保障するだけだ。目途がついたら勝手にしてくれ」
「はっ、そうはいかねぇ。俺をその気にさせたんだ。散々たかってやるぜ」
「くそっ、選ぶ奴を間違えたか?」
ジェイクの言葉を聞いてギャスがジェイクの頭をもみくちゃにしたところで、ギャスの視線が他に移った。ジェイクもその視線の先にいる女二人に気付く。
続く
次回投稿は、4/27(木)13:00です。