快楽の街、その267~剣の風⑪~
「うん? 少年は確か――」
「!」
目の前に突然白い神官姿の大男が現れた。その顔に見覚えがあったレイヤーだが、すぐには思い出せない。気を取られつつもぶつからないように方向転換しようとして、連れの一人の剣の鞘で足を払われた。反応すらできなかったことにレイヤーが驚き、受け身を取るとともに鞘を出した人物を確認した。直接見たことはないが、衣装でブラックホークだということはレイヤーにもわかった。
その初老の男はレイヤーをじろりと睨むと、威圧感のある声でレイヤーに怒鳴りつけた。
「小僧、危ないだろうが。天下の往来をその速さで走れば、ぶつかった時にどうなるかわかるな!?」
「・・・おっしゃる通りです、すみません」
レイヤーは一瞬面喰った顔をしたが、すぐに気を取り直して一礼して謝罪をした。その態度を見て、ベッツもまた穏やかに頷いた。
「わかったのならよろしい。時に小僧、追っているのは剣の風だな?」
「! なぜそれを」
「近くで見たことがある。やめておけ、殺気が感じられなかった。あれは囮だ。剣の風が本気なら辺りは殺気に包まれる。本気じゃあるまいよ、追ってもまかれるだけだ」
「囮? なんのために――」
レイヤーの頭が高速で回転する。その頭にひらめいたのは、周りの人間の危機。熱した頭が冷や水をかけられたように冷静になると、レイヤーは先ほどのベッツの言葉も忘れてまた走りだそうとした。その目の前に、突然若い女性が二人現れて行く手を塞いだ。
「みつけたぁ~」
「この子がそうなのか?」
「間違いないと私の使い魔ちゃんが言ってるよ。バンドラスをやった犯人の一人だねぇ」
東方風のゆったりとした衣服に身を包んだ女性と、よれよれのローブに肩に鳥のような使い魔を止めた女性がいた。使い魔は良く見れば鳥の体に猫の顔をしており、合成獣であることは一目瞭然だった。使い魔がキキ、と笑っているのが耳に障る。
東方風の女性が肩をはだけた。胸にはさらしをまいており、よく見れば腰には小さな剣を佩いている。
「どうする? やるか?」
「やりませんよぅ。そんな仕事は受けてないですしぃ、やるべきことは一つですぅ」
よれよれのローブをまとった女性がするりとレイヤーに近づいた。敵意は感じられないが、その独特の雰囲気にレイヤーは警戒していた。その魔術士らしき女性はじろじろとレイヤーを舐め回すように観察した。
「ふぅん・・・魔術要素はなし。面白い剣を持っていますが、それだけ。どこからどう見ても普通の少年ですねぇ。どうやってバンドラスを倒したのか、聞いてもよいですか?」
「答える義務があるのか?」
「いいえぇ、ありませんよ? 確かに私ばかり求めるのは公平じゃないですねぇ。だったらこんな街ですし、答えてくれたら私たちとイイコトするってのはどうですかぁ?」
「お、おい。私はやらんぞ?」
「情報を聞くのは二人ともなんですから、その辺も平等ですよぉ? ほら少年、どうします?」
突飛な申し出にレイヤーは返事に窮した。答えを急かすように女性がのぞき込んでくると、レイヤーの頭がぐらりと揺れた気がした。レイヤーにそれが魔術だとわかった時には、やや遅かった。視線を外すのもままならない。そこに、ベッツの剣がぬっと伸びてきて、視界を塞いでいた。
「確か賢者シェバのところの弟子だったな。やたら人に魔術をかけるものじゃねぇ」
「・・・そういうあなたはブラックホークのベッツ様ぁ。もしやこの子とお知り合い?」
「いえ、知り合いなのは私ですかね。相変わらずだらしのない恰好ですね、魔女のクランツェ殿。せっかくの美貌が台無しですよ」
そう言って挨拶をしたグロースフェルドの顔を見て、クランツェの顔が一瞬曇った。だがすぐに笑顔を取り戻すと、速やかに引いていた。
「変態神父もご一緒でしたか、これは分が悪い。変態行為をされたらお尻が真っ赤になっちゃいますからね。退きますよ、白藤ちゃん」
「あ、ああ」
あっさりと退いた二人を見てブラックホークの面々はきょとんとしたが、ベッツだけはグロースフェルドを小突いていた。
「おい、お前知り合いだったのか?」
「昔教えを乞ってきたことがあったのですよ。まあちょっと手ほどきもしましたが、『変態にはついていけません』とか置手紙を残して去ってしまいました。いったいなぜなのか」
「何やったんだ?」
「彼女が教えに背いたもので、尻を百回ほどひっぱたきましたかね。ローパーで」
「あの触手生物か。そりゃあお前が悪い」
「女性を素手でひっぱたく方が問題ありません?」
「問題があるのは、お前の頭の中身だ」
ベッツに避難をされながら、グロースフェルドはレイヤーに助言をした。
「もう行きなさい、少年。あと彼女には関わらないように。使い魔を見てもわかるように、倫理観が欠如したために魔女の団欒からもはずされた魔女です。関わらないのが一番ですよ」
「忠告ありがたくいただきます」
レイヤーは軽く礼をすると、足早に去っていった。もはや心ここにあらずといった様子のレイヤーの後姿を見ながら、ベッツはグロースフェルドに再度問いかけた。
「知り合いか?」
「少し。ヴァルサスのお気に入りですよ」
「ならちょっと手合せしとくんだったか? さっきも足を払ったのに、転げ回らず受け身を取っていたな。普通の反応速度じゃない、あれは良い戦士になる。いや、もう戦士か」
「あなたの見立てではどのくらい?」
「才能は限りなくヴァルサスに近いんじゃないか? あとはどんな戦場に愛されるかと、指導者の有無だろ。勝てるかどうかは特性の問題もあるだろうな。ああ、ああいう化け物みたいなに才能に恵まれた小僧を見ると、もうちょっと鍛えたくなるんだよな。もう結構な歳になったのに、勝ち気ばかり先行していけねぇよ。老いる前に、いつまで五体満足に戦える体を保てるかなぁ」
「もう10年近くそんなことばかり言ってませんか? あなたも十分化け物ですよ」
グロースフェルドは苦笑したが、ベッツは顎髭をさすりながら笑うばかりである。
そして去っていったクランツェは胸をなでおろしていた。白藤が不思議そうにクランツェに聞いていた。
「なぜあっさり引いたのだ? 確かにシェバ様は誰がやったか調べろとは言ったが、弟子を四人とも放ったからには、相手を捕えるか殺すかしろとの意味だと思ったが」
「・・・シェバ老はバンドラスに対してあまり良い感情を抱いてはいないと思いますよぉ。だから誰がやったかは知りたくても、仇まで打つ必要はないでしょう。殺せるなら殺してもいいでしょうが、危険を冒す必要はないですねぇ」
「危険? ベッツがか? 私がいれば、少なくともやられる心配はなかったはずだが」
「そりゃあ白藤ちゃんの魔術なら相当相性がいいですからねぇ。危険なのはあの変態神父の方。本来なら彼が実質的なオリュンパスの支配者として、魔術協会とやり合っているはずなんですよぉ。魔術士としては当代一位と考えてよいでしょう。賢者シェバも一目置く、大魔術士ですよ。彼とヴァルサスがいるからこそ、ブラックホークは大きな損害もなく、また黒の魔術士やオリュンパスからも仕掛けられることなく生き延びている。そのこと知っている団員なんて、数えるほどしかいないと思いますがぁ」
「そんなにか? 全くわからなかったが」
「それがグロースフェルドの恐ろしいところですぅ。彼は原則争いを好みませんが、危険だと認識した相手には冷徹極まりない。私も、私の研究している魔術をグロースフェルドが危険視したのに気付いたから逃げ出したんですよ? 彼とやりあって勝てる自信は全くありませんから。あの少年がグロースフェルドの知己であるとしたら、うかつに手を出すのは危険かもしれませんねぇ」
「なら、もう一人の方か?」
「そちらもどうでしょうか。まぁ向うに行った二人が二人なので、どうあがいても争いにはなるでしょうねぇ」
クランツェが無責任そうに微笑んだので、白藤はどうこたえるべきかわからずそのままにしていたのだった。
続く
次回投稿は、4/25(火)13:00です。