快楽の街、その266~剣の風⑩~
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「あれ、レイヤーか? もう発つのか」
ジェイクが他の神殿騎士団員と朝の警邏に就いていると、旅支度を整えたレイヤーと出会った。背中と両手には大量の食糧があり、イェーガーの買い出しに来たのだと一目瞭然だった。
「ああ、これから発つんだ。今日は飛竜の発着場の近くで一泊して、それからアルネリアに帰る予定だ。ひょっとすると順番待ちになる可能性もあるから、多めに食料を買ってるところ」
「そうか。ターラムは封鎖されていたから飛竜を予め押さえるのは無理だもんな」
「そういうこと。長いと飛竜は数日待つこともあるから、エアリアルの方が早くアルネリアについてしまうかもね。そっちはまだ任務があるのかい?」
「ああ。この街の司祭が死んだらしいから、治安がある程度回復するまではいることになるだろう。それに、後任が決まるまでは誰か臨時の司祭が必要になる」
「まさか、臨時の司祭をやるのかい?」
「冗談だろ! そんなことができるかよ。そもそも司祭の仕事が何かもしらないよ」
「まぁそうだろうね。ジェイクの説教じゃあ、ご利益がありそうもない」
「こいつっ」
ジェイクがレイヤーを追いかけるふりをしたが、レイヤーはその前に距離を取っていた。やっていることは子どもじみているが、その間合いの取り方たるや、とても子どものやることではないのを何人がわかったろうか。
レイヤーはやや離れた位置からジェイクに話しかけた。
「リサはそのことを知ってる?」
「昨日のうちに言ってある。それに長く留まるわけじゃないだろうし、すぐにアルネリアに戻るさ」
「それがいい。どうにもこの街は得体が知れなくて好きになれないからね。悪党がこの前で全部死んだとは思えない」
「俺もだ。まだこの街には嫌な感じが残ってる。できれば早く帰りたいな」
「ジェイクが言うと現実味が出てくるな」
「よせよ。俺は預言者じゃないぞ」
「勘の強さは魔法がかってるよ」
子どもの、しかし子どもじみてはいないやり取りを聞きながら、司祭代行をすることになるウルティナは不安になっていた。確かにある意味では掃き溜めのようなこの街で、事件を起こしうる悪党が一斉に死滅するとは思えない。自分とてできれば御免蒙りたいが、まさか立場が上のマルドゥークに押し付けるわけにもいかない。それに不安を感じる理由は他にもある。
昨晩、何の前触れもなく訪れたブランディオとのやりとりを思い出していたのだ。
「ウルティナ、ちょっとええか?」
「ブランディオ!? あなた、どうしてここに? いえ、それより結界があるのにどうやって中に――」
「細かいことはええわ、時間ないから手短に言うで? ヴォルギウスは死んだ、相手は剣の風――いや、サイレンスや。正確にはサイレンスとちゃうけどな。もっと厄介な奴と言ってもええ」
「サイレンス? 黒の魔術士のそいつは死んだのでは?」
「どころがどっこい、そうとも言い切れんようや。おそらく同じような奴が数体おる。しかも、再生させる力を持つ奴が別におる。優先事項はそれを叩くことやけど、今はそれが仕事やない。ええか、お前は何も考えんと、ヴォルギウスの代わりの司祭代理をやれ。サイレンスの件は一端保留や、絶対に追及するな」
「どうしてあなたがそんなことを」
「ラペンティのばあさんの判断や、文句は言うな。マルドゥークにはお前からよろしく言っといてくれ」
「ならば従うけど、マルドゥークには自分で言いなさいよ」
「やなこった、俺はあいつ苦手やからな。顔合わせたら口喧嘩になるし、俺がここに来たのも内緒にしとってや。ほなさいなら」
「あ、ちょっと!」
ウルティナが呼び止める前にするりと闇の中にブランディオは消えていた。相変わらずの逃げ足の速さだ。他の仕事があったのではないかとか、ラペンティが出てくるほどの事態だったのかとか、また結界はどうしたとか聞きたいことは山ほどあったが、あのおしゃべりなブランディオが最低限の用事だけでいなくなるなど、ある意味では一大事かもしれなかった。
だからウルティナはしっくりとしないながらも、司祭代理をするためにターラムに留まることにしたのだった。ヴォルギウスの死は正直ウルティナにとって感慨のわかない事実だったが、ガーランドのような軽薄な男が代行ですら司祭になるのは我慢がならなかった。そのガーランドもまた、バンドラスを倒した後の騒動から姿を見ていない。
そしてウルティナが注意散漫だったことが幸いしたのか。歩みを止めてジェイクとレイヤーのやりとりを微笑ましく眺めていた神殿騎士達から少し先行し、体二つ分も離れたところでウルティナの能力が無意識に発動した。ウルティナは攻撃時は『腕』を収束させて扱うが、無意識時には警戒網のように薄くして遠く網のように伸ばしている。ちょっとしたセンサーのようなものだが、攻撃に対しては自動的に防御することも可能なのだが、その腕が感知し全力で防御したのである。
「何!?」
ウルティナが一度に放出できる魔力の上限でかろうじて一瞬止まっていた。ウルティナを包むように発動した光の腕が微塵に割けると同時に、レイヤーが次の攻撃を弾き飛ばし、ジェイクがウルティナを押し倒して守っていた。
地面に仰向けに倒れたウルティナの目に、周囲の建物の一部が微塵になって消えたのが見えた。
「これは!?」
「レイヤー! これはなんだ?」
「知らないよ! でも会ったことがある、これで三回目だ!」
殺気は急激に去った。だがレイヤーは反射的に荷物を放りだして飛び出していた。風よりも速くレイヤーは去っていく殺気を追った。神殿騎士団もジェイクも、レイヤーの足の速さについていくことは不可能だった。すれ違う町人も、レイヤーのあまりの速さに風が通り抜けたことしかわからないほどだった。
レイヤーの本能が告げる、あれは今殺さなければならない。あれこそは自分の敵だと、本能が告げていた。ここで逃せば、後に必ず自分とその仲間に害を成すと。レイヤーは自分の思考がとても単純になるのを感じ、同時に研ぎ澄まされるのを感じていた。シェンペェスが何事かを告げているが、もはやレイヤーには届かない。レイヤーはまるで自分が一つの剣にでもなったかのように感じられ、そして路地を抜けたところで意外な人物に出会った。
続く
次回投稿は、4/23(日)13:00です。