快楽の街、その265~剣の風⑨~
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「『連絡』、『不可』、『一人』、『静寂』、『危険』。今のところ隊長が残した指文字はそれだけです」
「なんのことだ?」
「知るかよ。お頭の考えることはさっぱりわからん」
「何にも考えてねぇ時も多いけどな」
「あれだろ? 6番隊のファンデーヌと懇ろになったそうじゃねぇか。幸せすぎて頭の中に花でも咲いたんじゃねぇのか?」
「ああ、ありゃあ滅多に見ねぇほど完璧な美人だからな。あの細い腰についた豊満な胸と尻。隊長がむしゃぶりついてもしょうがあるめぇ」
「馬鹿言え。街で一番美人の人妻を旦那の目の前で犯しときながら、翌朝には飽きてるような糞野郎だぞ、うちの隊長は。どんなにいい女だろうが、すぐに飽きてポイだ」
「なら脅されてんじゃねぇのか?」
「それこそありえねぇ。お頭に弱みなんかあるか? 学もなけりゃ、家族も金もねぇ。惜しむものなんか一つもないだろうが」
「・・・それもそうだな。なんか納得できて悲しくなってきた」
ゲルゲダの部下たちが悲しい結論に達したころ、ゲルゲダの見張りを続けることになっている部下のワイクスは盛大にため息を漏らしていた。ワイクスは5番隊の中でも新参で、また年齢も若い。5番隊の中にあって比較的まともに見えるこの若者が5番隊に入ったのは、博打にのめり込み過ぎて山のような借金を抱えたことがそもそもの原因だった。場末の酒場で男娼をしているところを、ゲルゲダに気に入られて借金の肩代わりをすることになった。以降、ワイクスはゲルゲダの忠実な僕である。
借金の返済が途中であるワイクスは表向きゲルゲダに従わざるをえないが、内心では乱暴者の隊長に嫌気がさしていた。気分次第で殴るし、夜の行為もこっちの都合はお構いなし。しかも女ではなくこちらに手を出してくるときはだいたい荒んでいる時だから、一回たりとも優しくされたことはない。できれば他の働き口を探したいところだが、ゲルゲダから逃げられるとは到底思えなかった。
その一つの理由が、5番隊の諜報能力。5番隊は手段を択ばない卑怯者揃いの隊だと思われているが事実その通りで、「必ず」不意打ちをもって相手を駆逐するのである。実は5番隊はそれほど実力のある使い手はおらず、むしろ傭兵としては中位程度の使い手がほとんどだった。それがどうしてブラックホークの一部隊を務められるかというと、ゲルゲダが手段や犠牲を厭わないということと、情報収集能力の高さに特徴がある。
使い魔専門のセンサーを始め、5番隊には一芸に秀でた者が多い。耳が超常的に良い者、元商人、そこらじゅうの情報屋に顔がきく者、など。それにゲルゲダは活動する時にはその土地の事情に詳しい者を必ず隊に加える。ゲルゲダいわく、戦いは準備の仕方で決まるそうだ。どれだけ強い相手だろうと、寝ている時とクソをしている時は隙だらけだというのが彼の持論だ。そこを数十人からで襲い掛かれば、必ず殺せるということだった。
そしてワイクスの長所は目の良さ。隣町の酒場の娘に横恋慕した時から、その行動をワイクスは自分の家の窓からひっそりと見守っていた過去がある。実はただの視力の良さではなく、もはや魔眼にも等しい能力――千里眼ほどではないが、強いて言うなら『十里眼』とでも呼ぶべき能力を備えているのだが、本人は全く気付いていない。その視力の良さを買われて、ゲルゲダが単独行動をするときは必ず見張りをすることになっているのだった。
ワイクスはゲルゲダが糞野郎であることを誰よりも知りながらも、他の隊員に比べて真面目な性格が災いするのか、見張りをさぼってゲルゲダを見殺しにする、という選択肢は考え付いていなかった。それとも借金の返済がとどこおった場合の行く末が怖いのか、ゲルゲダを見張り、5番隊だけが使える指文字でゲルゲダからの連絡を受け取っていた。
それを他の者たちに伝えたのだが、どうにも緊張感が欠けている。このままでいいのかと思案したワイクスは、副隊長であるベルンに相談に行った。剥げ頭の筋肉質なベルンは、これから他の隊と合流するというのに酒を昼間から飲んで赤ら顔になっていた。ベルンもゲルゲダに負けじ劣らじの悪漢であるが、ゲルゲダとは古い付き合いだからか、ゲルゲダの補佐を上手くこなしている。比較的隊員の愚痴も聞いてくれるこの男に、ワイクスは相談に行った。
「ベルンさん。ちょっといいですか?」
「お頭のことか? あまり真面目にやらなくていいぜ、長丁場になるからな」
「長丁場? 何か知っているんですか?」
「知らん。だが付き合いが長けりゃ言葉がなくてもおおよそのことがわかる。お前、隊に入ってどのくらいになった?」
「ええっと、2年くらいですか」
「じゃあ知らねぇはずだな。お頭はやばい依頼の時は単独で動く。今回は俺たちに断りもなくいっちまった。だったら、相当やばいヤマってことだ。隊の連中もそれはわかってる。だから全員待っているのさ、それしかできねぇからな」
「隊長が一人で? そんな義侠心に溢れた人でしたっけ」
「義侠心なんかありゃしねぇよ。だがお頭は生き延びる術に関してはブラックホークの中でも随一だ。俺たちは出入りの激しい隊だが、結成当初の古参の連中は誰一人死んでねぇ。知ってたか?」
「いや、初耳です」
「そういうことだ。お頭は楽しめることにしか手をださねぇ。そのお頭が行動してんだ、面白い場面だけ逃さないようにしとけ。そんだけできりゃ十分だ」
「うっす。なんか気分が楽になったです。じゃあそれなりに張り切って見張りに戻るとしますか」
「そうしろ」
ワイクスは安心したようにゲルゲダの見張りに戻ったが、ベルンは内心では不安だった。それは指文字の少なさである。1日近くが経過して、5回しか伝言がないというのは明らかに少ない。相手はそれだけ隙がないのか、ゲルゲダに異変があるのか。どちらにせよ、ベルンの知る限り最もまずいヤマであることには間違いない。
「(お頭、まだまだ俺たちはこの世を楽しみ尽くしてねぇだろ。いつも言ってるじゃねぇか。こんなところでヘマすんなよ?)」
ベルンはそう内心で呟くと、手に持った酒の残りを一気に煽った。
続く
次回投稿は、4/21(金)13:00です。