快楽の街、その262~剣の風⑥~
「これでいいのか? 望み通り奴らは追い払ったぜ」
「ええ、十分だわ。ありがとう」
「だがカナートもグロースフェルドも怪しんでいる。もう今後はうかつに手助けできねぇ。それにカナートのセンサーから隠せると思うか? 今頃お前の動きだってばれているかもな」
「あら。あなたと私が仲良くしていても、誰も不思議に思わないわ? だって、もうそういう仲でしょう?」
一層微笑んだファンデーヌ。誰もが見惚れる美女の告白ともとれる発言だったが、この時ばかりはゲルゲダは髪の毛ほども心が惹かれなかった。
「・・・何考えてやがる? 自慢じゃねぇが、俺は団内の嫌われ者。傭兵であると同時に賞金首でもある。面もこんなみてくれで、蓄えがあるわけでもねぇ。ルイやベッツみてぇに実はどこぞの名家の出、ってこともねぇ。俺なんか取り込んでどうするつもりだ?」
「だけど、実は団内の悪評判を一手に請け負うことで、他の者の仕事をやりやすくしている。裏切り者の始末、暗殺、略奪。傭兵の仕事として避けられない汚い仕事を、一手に引き受けている。あなた自身にそれほど戦いの才覚はなくても、部下を使うのが非常に上手い。私は過小評価はしていないつもりよ?」
「買い被りだ。だとしても、俺を仲間に引き込んで何の得がある?」
「いずれヴァルサスを殺すために」
ファンデーヌの言葉に、冷や汗が一筋額から頬につたった。ヴァルサスを殺す――それは確かに傭兵にとっては名を上げるための第一の方法だが、それがいかに難しいことか。グルーザルドの獣将とドライアン王すら退けるかの男を、誰が一体どうやって殺せるというのか。ゲルゲダとて、その可能性を探ったことは一度や二度ではない。むしろ、そのためにブラックホークに籍を置いているといっても過言ではない。だが、どうやっても無理だったのだ。食事に毒を盛ろうが、不意打ちしようが、罠にはめようが剣一本で生き残る。ヴァルサスとは、そういう男なのだ。
だがファンデーヌは何らかの確信があるのか、言葉には力があった。
「あの男は特性持ち。それはご存じ?」
「なんとなくはな。でなけりゃあの強運が説明つかねぇ。だが何の特性までかは知らん」
「『不死者』。それがヴァルサスの特性よ」
こともなげに言い切ったファンデーヌだったが、その言葉の意味がゲルゲダにはもう一つ理解できなかった。
「不死者? じゃあヴァルサスは突いても斬っても殺せねぇってのか? 馬鹿な」
「特性は魔術要素ではないわ。彼は斬れば傷つくし、心臓や頭を突けば死ぬでしょう。正真正銘人間だわ。だけど、限りなく不死に近いと思えるほど死が遠い。死が避けて通るとでもいうのかしらね。彼が死ぬのは寿命か、個人の運命を超えた天変地異などの災害だけよ」
「そこまでわかってんのなら放っておけよ、関わらねぇのが一番だ。確かに奴は運命って奴が味方をしているのとしか思えねぇ幸運を発揮する。出航申請の受理が遅れたとかで一日乗り遅れると、嵐を回避した。夜襲であいつの天幕に雨みてぇな矢が降り注いだのに、あいつには一本も当たってねぇ、とかな。あれが特性ってのなら納得がいくってもんだ。奴を殺すのは、普通の人間にゃ無理なんだよ。
それに言っちゃあなんだが、権力や正義とは無縁の男だ。奴はどこまでいっても傭兵としてしか生きられねぇ。傭兵での経歴を利用して士官しようとか、難度の高い依頼を引き受けて名誉を勝ち取ろうとか、そういったことには一切興味がねぇ。目の前でガキやババアが殺されようが、金にならねぇなら助けねぇ。ただ割が良くて、それなりに危険のある依頼をこなしているだけだ。ヴァルサスに主義主張があるとはとてもじゃねぇが思えねぇし、殺される理由がねぇ」
「いいえ、そういうわけにはいかないわ。彼自身に今は明確な目的はない。だけど必ず私、いえ、私たちの敵になるわ。だから何としても殺す手段を練らなければならないのよ。それに手技主張のない人間は取り込むことができない。それだけでも十分危険よ」
「そこまで言うのなら、お前は何をするつもりなんだ?」
「――聞いたら後戻りできないわよ? というか、もう気づいているんじゃなくて? あなたは私の本質を知っている、いえ、感じたはずだわ。体を重ねた仲ですものね」
ファンデーヌの妖艶な笑みを前に、ゲルゲダは慎重に言葉を選んだ。おそらくファンデーヌの興味を失う、もしくは不興を買えばこの場で死ぬことになるだろう。ゲルゲダは濡れた紙の上を歩く時のように、慎重に言葉を発した。
「怒り・・・いや、もっとか。感情だけで死にそうなほどの憤怒だな。お前が、世界を焼き尽くさんばかりの怒りを抱いていることだけはわかった」
「さすがだわ。あなたならわかってくれると思っていたわ」
ファンデーヌがゲルゲダの手を取ろうとするのをするりと避けて、ゲルゲダは質問を続けた。
「なぜそこまで憎む? 俺も人に自慢できた過去じゃねぇし、この上なく短気だと自分でも思っているが、そこまで怒りが続くってのはお前はいったいどうしちまったんだ? どんな育ちをすりゃあそうなる?」
「・・・人間の生と死について考えたことがある?」
「人並みにはあるがな。関係あるのか?」
「大有りだわ。当然だけど、死というものは生がなければ発生しないわ。では人の生とは何か。人の生とは他人との関わりの中で認識され、構築される。だけど、そもそも生きていることを認識さえされなかったら? その者は生きているのかさえわからなければ、死ぬことすらもできないわ。
私は――私たちは死んでいるのか生きているのかさえわからない者。私は生すら満足に与えられないこの世界を憎む。私たちを認識すらしなかった世界なんて、無いも同然。最も醜く、最も愚かしく燃え落ちてしまえばいい。燃え落ちる舞台の上で踊る人間は、さぞかし滑稽でしょうね。私はそれをあなたと最後まで眺めたい。そして最後に最も美しく散って、静寂だけを残すのよ」
「・・・よくわからねぇが、テメェが狂ってることだけはわかるぜ」
「ええ、そうよ。私は狂っているわね。でもそんなことは百も承知よ。その上で、私はこの怒りに身を焦がすわ。
あなたはどうする? 私の言うことを聞いてくれるかしら? それとも――」
ファンデーヌが再度微笑んだが、今度は目が笑っていなかった。その目には冷たい光が宿っている。
一つ答えを間違えれば命がなくなる場面は続いている。だがゲルゲダは段々と冷静になってきていた。自分のとるべき道について、はっきりとした結論が形を成し始めていたのだ。
続く
次回投稿は、4/15(土)14:00です。