快楽の街、その252~残りモノ②~
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「あー、さすがに追ってきてはないべか」
「げぇ・・・走りすぎて気持ちわりぃ」
地面に寝転がって息を切らすグンツと、大量に汗をかきながら背後を振り返るケルベロス。彼らはカラツェル騎兵隊とエアリアルの追撃を振り切った後も、全力で退却を続けていた。まずないとは思うが、空からの追跡がないとも限らない。竜の巣に入れば切り立った断崖が自分たちの身を完全に隠してくれるだろうが、中途半端な場所ではまだ安心はできなかったのだ。
走ることさらに半日近く。彼らは竜の巣の中に築いた中継点にたどり着いていた。ここにはオークの群れが5000体規模で陣営を作っている。この陣地こそが今回の遠征の本当の目的なのだが、ケルベロスは陣地が維持できていない可能性も考えていた。ここは竜の巣。古今東西あらゆる竜が集い、その生を終える場所。中には死んでなおこの場所を護る屍竜もいる。ただのオークの群れでは千いようが万いようが、蹴散らされてもおかしくなかったのだが。
陣が無事なことにまずケルベロスは驚いた。しかもオーク達が妙に整然と動いていることも気にかかったので、適当に一匹つかまえて事情を聞いた。
「おい、オメェ。こりゃどうなってんだ? 竜の襲撃はなかったのけ?」
「あったけども、何回かは撃退しますた。ただ最後、どでけぇ黒い竜が来たときはもうこりゃだめだと思ったんだども、リディルとかいう人間が帰ってくるなり斬り伏せたもんで、なんとか持ち直しましただ」
「リディルが? そのリディルはどこだ?」
「なんだかえれぇ不機嫌で、帰ってくるなり吠えながら竜を狩りまくっていますだ。おかげさまでオラたちが無事ってわけで。へへへ・・・」
卑屈で気色の悪い笑みを浮かべたオークだったが、ケルベロスは事情が呑み込めたので放っておいた。ちょっと前まで自分も同じようなオークだったわけだが、改めて見ると腹立たしい生き物だと思う。
不潔で醜悪で、頭の中には食欲と性欲だけ。同族として親愛の情がないではないが、とりあえず死んでもなんの感慨もわかない生き物だなと思った。使い捨てのような今回の遠征も、納得できてしまう自分がいたのだ。アノーマリーにさんざん弄られた挙句、知性がついたのはありがたいが、アノーマリーに感謝するのは嫌でしょうがなかった。
そしてリディルがその有様なら、この統率のとれぶりもおかしいことにケルベロスは気付いた。さきほどのオークとはもう会話をする気分にはならなかったため、自分で陣の中心に歩いて行った。グンツも気怠そうにだが、ついてきている。すると、そこでは意外な人物を見ることになったのだ。オーク達に向けて、さも当然のように指示を飛ばす小柄な人間が目に入っていた。
「・・・策士だべか?」
「ああ、帰ってきたのかケルベロス、グンツ。予想より半日程度早かったか」
人懐こい笑顔でケルベロスとグンツを迎えた人間は、誰を隠そう今回の遠征の実質の指揮官である『策士』こと、傭兵エバーハーデン=クラウゼルである。ともすれば少年にも見える風貌のこの男が考える作戦が、いかに人間の常識から外れたものであるか、ケルベロスは知っていた。おそらくはアノーマリーですら、ここまでの戦略は用意できないであろう。こと戦に関しては、天才かつこの上なく非情であった。
クラウゼルは傭兵として勇者ゼムス一行に籍を置きながら、自身は自由に依頼を受けながら仕事をこなしていた。中には、敵味方同時に戦術を授けるなどという傭兵の規則からも逸脱したことをしてのけたこともある。ゆえにギルドからは要注意人物として監視に近い警戒をされ、まっとうな依頼は徐々に減っていった。それでも彼を必要とする依頼がまだあるのは、その戦略性の高さと必ず勝利を呼び込むという評判だろうか。また彼が勝利をもたらすのは戦争のみにあらず、事業や官僚登用試験対策、はては児戯にまで及ぶ。
だがもう一つ忘れてはいけないのは、彼が勝利を一度もたらした側は、必ずと言っていいほどその後それ以上の転落、ないしは崩壊をしているということだ。諸刃の剣ともいえる策士の戦略。それがどういう結果をもたらすかについて一番懸念していたのは、誰であろうアノーマリーだったのだ。
「ボクは彼に指揮官を任せるのは反対だね。彼は戦そのものを楽しむ癖がある。だからきっとボクたちに勝利をもたらし、その後破滅を呼び込むだろう」
オーランゼブルが策士を指揮官として雇い入れると話した時、アノーマリーは真っ先に反対した。だがその意見は聞き入れられることなく、策士はローマンズランドを軸とした戦争の現地指揮官に策士を採用した。そのことについてアノーマリーが不平不満を漏らしていたことを、ケルベロスは思い出したのだ。
「お師匠様も何を考えているんだか! あいつの顔を見たか?」
「いや、その場にいねぇもんで」
「恭しく下を向いた振りしながら、薄ら笑い浮かべていやがった! あいつ、自分は何の力も持たない人間のくせに、こっちを手玉にとるつもりでいるんだ。ああ、実際頭はキレるさ、それは認める。だが本心では何を考えているかわかったものじゃないし、破滅願望を持ってるやつに権力を持たせたら何をするかわかったものじゃない!」
「それ、あんたが言うだか?」
「うるさい!」
そんなやりとりのあと散々実験されたために記憶も曖昧になっていたが、アノーマリーが他人のことで感情を昂ぶらせたのは非常に珍しかった。それにあれほど自尊心が強いアノーマリーが、相手のことを頭がキレると認めるのもケルベロスは初めて聞いたのだ。
だがそのアノーマリーはもはやいない。こうなるとこの策士の歯止めとなりうる人物が誰もいないのではないかと、ケルベロスですら嫌な予感がぬぐえない。それはグンツも同じであったのか、ケルベロスの方にちらりと意味深な視線を送っていた。
続く
次回投稿は、3/26(日)15:00です。