快楽の街、その246~ターラムの支配者⑦~
そこまで話して、突然猫の動きが止まった。アルフィリースの目の前で横たわっていた猫である。それが突然人形のように動かなかくなったかと思うと、上半身と下半身が真っ二つになった。そしてさらに二分割、四分割と分かれていき――最後は塵のようになって消えた。
その様子を見ていたプリムゼが小さく悲鳴を上げた。
「きゃあっ!」
「なんだこれは――」
「これが剣の風? しかしどこから攻撃を」
「・・・あそこか!」
アルフィリースは突然振り向いて、ターラムで一番高い鐘楼台に目を向けた。何かが見えたわけではない。だがそこから攻撃が来たのは間違いないとわかっていた。
「くっ、こういう時にリサやターシャがいれば」
「やめておくことです、アルフィリース。剣の風とは私が魔女として覚醒する時代には、もう当たり前のようにあった戦場の忌話。その真実は誰も知ってはいけないとされ、アルネリアでさえおいそれと触れぬ話なのです。準備もなく追撃すれば、命はない。
しかし、ウィスパーはあれを追っているのですか。だからあれほどの能力を持ちながら、必要以上の戦いをしない。アルマスがもっとうまく立ち回れば大陸も席巻できるでしょうに、そうしない理由。大老の意図は不明ですが、長年の疑問が一つ解けました」
「随分と余裕なのね、ルヴェール」
皮肉を込めたアルフィリースの言葉にもルヴェールは動じない。
「たいていの修羅場はくぐってきたものだから、これしきでは動じないわ。それに、剣の風の発動条件には理由があり、今私たちがそれに引っかかっていれば、猫ごと我々も微塵になっているでしょう。それよりも肝心の話をしましょう、アルフィリース。アルネリアが私に望むもの、そして貴女が私に望むもの。せっかく私の正体を曝したのだもの。何か具体的な要望があるのでしょう?」
「そうね・・・まずアルネリアの要求だけど、ローマンズランドとの戦争になった時にアルネリア側についてほしいそうよ。でも、この要求は無視していいわ」
「なっ・・・」
フォルミネーが思わず絶句したのを、ルヴェールはさも面白そうに見ていた。
「面白いことを言うわ、アルフィリース。貴女はアルネリアの依頼を受けて動いていたのではなくて?」
「その通りよ、私は傭兵だから依頼主の命令は絶対だわ。でもそれ以上に大事なことがあってね。傭兵というのは自らの生存、評判、そして利益を大事にする。ミリアザールにも直接言ったことだけど、私はアルネリアの尖兵ではないわ。彼らの尖兵は神殿騎士団がいれば十分。私は私の判断で動くわ。結果として、私はターラムがアルネリアの傘下にない方がよいと思うの。
そもそも自由商業連邦なら、勝ちそうな方につくはず。ローマンズランドがどういう相手なのか私たちにはわかっているけど、事情はどうあれ戦いの趨勢をまずは見るはずよ。違う?」
「ふふ、まあ彼らならそうするでしょうね。それに本当の戦争に彼らが巻き込まれるのは随分と久しぶりのこと。今の彼らでは足元に火が付いたことにすら気づかないかもしれない。どういう経路を使ったのかはわかりませんが、オークの軍団がこのターラムにまで現れたことの意味を彼らは理解できないでしょう」
「どういうことですか、お母さま」
フォルミネーとプリムゼが不思議そうに尋ねた。ルヴェールが説明する。
「あなたたちは軍事のことまではわからないものね。オークの軍団は十中八九、ローマンズランドの尖兵よ」
「そんな! 人間が魔物を使役するなんて――」
「なくはないわ。それにしてもあまりに大規模すぎますけどね。聞くわ、アルフィリース。ローマンズランドはつまり、『そういうこと』なのね?」
「ええ、おそらくは。もう国としての正常な判断が失われるほど、内部は侵食されている可能性がある」
「黒の魔術士かしら?」
「ほぼ間違いなく」
そこまで知っているのか、とアルフィリースは感心したが表情に出すことはしなかった。ルヴェールの情報網、先見の明は普通ではない。ひょっとすると彼女の魔術に関わることなのかもしれないと考えていたのだ。あるいは彼女本人の知性なのか。
ルヴェールはしばし考えた後、説明を続けた。
「そこまでなのね、黒の魔術士は。ならば、彼らは少なくともここまで侵攻することを想定して軍を動かしたに違いないわ。自由商業連邦の本拠地はここより北側。彼らは自分たちのお膝元が侵攻されるまで、事態のまずさに気付かない。戦争なんて他人事だと思っていますからね。
ローマンズランドは実力で強引に彼らを接収するでしょうね。いえ、接収で済めばいいけどもというところかしら」
「それはどういうことですか?」
「最悪の想定が甘いってことよ。オークを使役するような連中よ? 相手が滅ぼうがどうなろうが、全く気にしない可能性もあるってこと。戦争っていうのは、仕掛けた側がどの程度利益を得るかを考えて落としどころを決めるわ。勝ちすぎれば恨みが残るけど、魔物にそんな理屈は通用しない」
「そうなる前に自由商業連邦を説得できればよいのですが、難しいでしょうね。方法がなくはないですが、貴女が受け入れるかどうか」
「是非とも聞かせてほしいわ」
ルヴェールがお茶を飲んだ後、少々躊躇いがちに話した。それはアルフィリースの様子を伺うようでもあった。
「一つ都市をわざと落とさせるわ。その上で、それ以降の都市で防衛する。実際に足元に火がつくところを見せれば、さすがに彼らも動くでしょう」
「・・・いいわね、その方法。もし自由商業連邦がアルネリアとの交渉に応じない場合、実際にそうなるでしょうね」
「そんな方法、非道ですわ!」
フォルミネーが抗議の声を上げたが、アルフィリースは静かに彼女をなだめた。
「落ち着いてフォルミネー、例えばの方法よ。そうならないように、ターラムが動くこともできるわ」
「・・・まあ必要に迫られればそういうこともあるでしょう。ターラムが自主的にアルネリアに協力を申し出ることで、敷居を下げることはできるはず。あとはアルネリア次第でしょうね」
「もしもの時は相談させてもらうわ」
「ではもう一つ。あなたの要望とは?」
「うーん、そうねぇ」
アルフィリースはややわざとらしく唸った後、一言告げた。
続く
次回投稿は、3/14(火)16:00です。