快楽の街、その245~ターラムの支配者⑥~
「私の力はターラムのためのものだし、ターラムだけで精一杯。生まれ育った土地を離れることもできたけど、その理由も見つからなかった。それにターラムが発展しても、そこに住む者たちの生活が改善されたとは言えなかった。私がいなくとも娼館の経営に問題がないくらい安定したのは、200年くらい前かしら。その頃には私たちの娼館はターラムで押しも押されぬ一番の娼館となっていたわ。それでも怪しげな娼館や人として倫理に外れる連中が跋扈するのがこのターラムよ。それらに対応するだけで、時間はあっという間に過ぎていったわ。
だけど少し余裕のできた私たちは、ターラムをさらに良い街にしようと計画した。各ギルド長も協力的だったのだけど、問題があった」
「問題?」
「私が街を離れている時、あるいは手薄な時。狙ったようにこの街で異変が起きた。最初はターラムの大火から始まり、要人の失踪、他国の御忍びで来ていた王族の殺害、剣奴が暴走して町人に襲い掛かる、街に魔物が出現するなど。通常では考えられない事件が度々起きた。アルネリアは調査に協力してくれたけど、ターラムを原則嫌悪する司祭が多い中、調査は思うように進まなかった。アルネリアの司祭には潔癖症の者が多かったし、ターラムの司祭を一定期間務めた後は出世が約束されていたから、そこまで本気で取り組んでいなかった。せいぜいヴォルギウスと、あと一人、二人かしらね。
むしろバンドラスなどが積極的に協力してくれて、おかしな行動を起こしている者がいることに気付いた。それが仮面の調教師と呼ばれる女」
「仮面の調教師? 何者なの、それは」
「正体は不明のままだった。ただ貴女たちが来た前後から、またこの街に出現したという噂はあった。それを聞きつけてバンドラスも戻ってきたし、ヴォルギウスは言うまでもなく動いていた。バンドラスには正式に通達を出したけどもその過程でアルネリアに討ち取られ、ヴォルギウスは独自に何かを掴んだみたいだけど、私達と連携なく動き――先の市内の爆発はヴォルギウスが起こしたのではないかと考えています。おそらくは仮面の調教師と戦っていたのではないかと」
「結果は?」
「わかりません。広範に人除けの結界が張られていましたし、近くに放った使い魔は全て消滅していました。おそらくは仮面の調教師に潰されたのだと思いますが、なんとも鮮やかな手並み。恥ずかしながら、私の力はその程度のものです。いかにこのターラムのことを誰より知っているといえど、その全てを把握できているわけではないの」
「今再度街に使い魔を放って調べています。それらの情報収集が終われば――」
「お母さま、侵入者です」
フォルミネーの言葉を遮るようにプリムゼが言葉を発する。ルヴェールから笑顔が消えると、緊張感が走った。だが娼婦の一人が慌てて入ってきてフォルミネーに何やら耳打ちすると、フォルミネーは怪訝そうな顔をした。
「どうしたの、フォルミネー」
「いえ、害意ある相手ではないようですが、我々目当ての客でもないようです。アルフィリース殿を出せと」
「私? いったい誰が。ここに来ていることは誰にも言っていないはず」
「それが――」
「邪魔をするぞ」
入ってきたのは人語を話す猫だった。使い魔であることは瞭然だったが、アルフィリースに心当たりはなかった。ただ異常事態なのは確実。猫の両目は刀傷で潰れており、前足は片方がなかった。胸も大きく上下しており、もはや生命の限界なのは明らかだった。
猫がするりと入ってくるとフォルミネーが厳しい表情をした。
「あの、どちら様?」
「そうか、直接話したことはなかったかな。私は――」
「名乗るまでもない。直接命ある対象を操るその方法、アルマスのウィスパーね?」
「! カンダートの砦に出現した」
アルフィリースはその名前に心当たりがあったが、ウィスパーもまた一目で見破られたのは少々意外だったようだ。
「ほう、さすが名高き娼館の長。私のことも知っているか」
「アルマスにも我々の顧客はいますからね」
「くっくく、寝物語に私のことを話す愚か者がいるか。処分せねばな」
「統率力に欠けるのでは? ですがそのウィスパーが何用ですか」
「その通りかもしれないな。今はこんな情けない姿だが、そこのフォルミネーが言う通りアルマスを取り仕切る者でもある。恥を忍んでこの姿で来た。もうこの使い魔には時間がない、聞いてくれ」
アルフィリースはカンダートの砦の報告は受けている。ブラックホークと自分たちの精鋭に囲まれながら、いとも簡単に逃げ出した伝説の暗殺者。いかに猫とはいえ、その使い魔がこれほどまでに傷つき、声色までも焦っている。これはただ事ではないと察したのだ。
「聞くわ」
「話が早くて助かる。私は黒の魔術士に協力する立場ではあるが、アルマスとしての最終的な目的は全く違う。また私個人の目的はアルマスとも異なっている。二つの伝説の始末――『銀の一族』の全滅と、『剣の風』の破壊だ。そのうち剣の風がターラムに現れた」
「『剣の風』――それは何?」
「正体はわからない。もう百年以上も前から戦場にはそういった事象があると言われていた。軍隊が一つ丸ごと消える、高名な傭兵団が壊滅する、森や小山が一晩で消える――まるで削り取って微塵にして風に流したかのように消えるのだ。ゆえに剣の風。そう呼ばれてきた。ギルドの討伐依頼を出すも誰も達成できず犠牲者が増えるだけだったことから、傭兵の間では口にするのも憚られるようになったがな。
私はその正体について長らく追ってきた。その結果、魔獣か事象ではないかと考えた。それはたとえば虚ろなる者のような、一定の条件を満たせば現れるようなものだと考えていたのだ。ターラムはそんな中、定点観測する場所の一つだった。同じような状況がこの街では何度か確認されている。仮面の調教師なる者がいると考えられた期間でのみ、少数、小規模ではあるが同じような現象が確認されている。私はひょっとすると、剣の風とは人なのではないかとも考えた。仮面の調教師なる者に使役される、あるいは協力している超絶技を持つ戦士。そしてついにその正体に確証を持ったのだ。代わりにアルマスの3番を失ったがな」
「誰なの、それは?」
「わからん。アルマスの3番とアルネリアの司祭ヴォルギウスは協力してターラム闇の支配者と考えられる、その仮面の調教師を追っていたのだ。そして、ヴォルギウスが最後の手として爆発して相打ちにしたはずだった。爆発し、上半身が吹き飛んだ仮面の調教師を見たその直後、私の足と目は失われたのだ。
わずかな剣気を感じて身を翻した時はもう遅かった。この体が猫でなければあるいは、というところだったが、それは言ってもしょうのないことだ」
「結局誰かはわからないの?」
「その通りだが、手掛かりはある。いいか、仮面の調教師の正体はな――」
続く
次回投稿は、3/12(日)16:00です。