快楽の街、その241~ターラムの支配者②~
「こんなに朝早くからどうされましたか?」
「ちょっと遊びに来た、と言ったら怒るかしら? 今日は執事たちはいないのね」
「怒りはしませんわ。ですけど、知っての通り朝は我々も店じまいの時。多くの従業員たちは清掃を終えた後、休憩に入ります。それは私も例外なく。もう他の者は休みに入りましたし、残っているのはプリムゼと私だけです。中は準備もできていない状態ですし、お遊びでしたら夜おいでいただければさらに結構かと存じます」
「そんなに冷たくしないで、冗談よ。今日は依頼の報酬を受け取りに来たのよ。フォルミネーも寝てしまったかしら?」
「娼館長は緊急の呼び出しで留守にしています。報酬の件でしたら、後日改めて使いを寄越しますが」
「うーん、そっかー。あまりターラムに長居もできないんだけどなー。それよりちょっと気になることがあって聞いてほしいんだけど、時間はあるかしら?」
「私でよろしければ、少しでしたら。こんなところで立ち話もなんですし、場所を変えましょうか」
純潔館の中は閉店直後のため案内できる状態ではないとのことで、ルヴェールが離れに案内してくれた。噴水まで備えた庭園は庭木まできれいに剪定されており、有力貴族の庭園を思い起こさせるような造りである。広さはさほどでもないが、凝った造りという点では、エクラの家よりも上等に見える。
庭園の中にある四阿に案内すると、そこに準備してあった茶を入れてアルフィリースをもてなしてくれた。まるでアルフィリースが来ることがわかっていたような準備だが、いつも急な来客に備えているのだろうか。
「昨日みたいに大変な日でも営業していたの?」
「大変? 何が大変だったのでしょう?」
「オークの群れがターラムを包囲していたことくらい知っているでしょう? 別に情報規制はしていないしね。戦いがあったことも知っているはずよね? なのに、何が大変だったのかと言うの?」
「ああ、そのことでしたら大したことではありませんから」
ルヴェールが苦も無く言ってのける。まるでタロ芋の皮を剥く程度の気安さだ。
「元からこのターラムは数々の危険にさらされてきた土地。かつてはこの土地を巡って多数の戦争が起きたこともあると聞きます。ここは北に抜ける時、交通の要になりえますからね。自由商業都市の連邦制度ができてこの街の自由が確保されるまで、この街は数々の危険にさらされていたのです。そんな中でも、この街の住人は極限まで楽しむことを知っています。もし街の中に火の手が上がれば逃げることもあったでしょうが、包囲されているというのならじたばたしても始まらない。状況が動くまで娼館で楽しむのもこの街の住人ならでは。さすがにみなさん逃げる身支度だけはしてのご来店でしたが。
外敵の脅威がなくなり、平和となった今でもそのくらいの胆力は持ち合わせている住人も多いのです。自警団も今でこそ二千人程度が上限ですが、一時は万を超える戦力を確保したこともあったとか。そのくらい外からの脅威があった時代、ここの住人たちはどれほどの度胸を持っていたのでしょうね」
「詳しいわね」
「娼婦の嗜みです。それにもうかなりの年長になりましたから、新人の教育も私の役割ですし。私も客を取ることはあるのですよ? 人手がよほど足らない時だけですけど、見てくれで他の娼婦に適わない私は、他のことで殿方を楽しませなければなりませんから」
にこりと微笑んだルヴェールだが、アルフィリースは笑みを返さなかった。
「しかしそこまで詳しいとなると、娼婦の嗜みの範囲を超えてはいないかしら?」
「そんなことはありませんよ。ターラムの娼婦の歴史は古い。私はちょっとこの街の歴史には興味があって調べたのですが、この娼館の歴史も大したもので。もう76年も歴史があるそうです」
「いいえ、もっと古いはずだわ。この黄金の純潔館の現在の商標登録は確かに76年程前になるのだけど、前進となる集団を合わせると、調べられるものだけでも200年以上の歴史があるそうよ。それより以前のものは調べられなかったけど、ひょっとしたらそれ以前から黄金の純潔館はあったのかもね」
「この街における歴史は、そのまま娼婦の歴史であるとも言われています。そうだとすると、この娼館も数百年前から前身となる集団はあったかもしれませんね」
「その可能性はあるわね。ちなみにルヴェールはどうしてこの娼館に?」
アルフィリースの踏み込んだ問いにも、ルヴェールは嫌な顔をせず、少しだけ困った表情をしただけだった。
「そうですね・・・本音を言ってしまうと、この娼館が最も経営が安定していたからです。それに勤め人の人格も良い。私はターラムの生まれ育ちですが、平穏な老後が過ごしたくてですね。勤め先を調べる中で最も信頼できそうな娼館がここでした。深い理由はなく、それだけです。つまらないでしょう?」
「いいえ、安穏とした老後は大切だわ。私も同じよ」
「アルフィリース様には、そんな老後は似合いませんよ」
「どうして?」
「安穏と過ごすには、好奇心が強すぎます。放っておいても自ら興味の惹かれた方向に走っていく人ですよ。困難、苦難はつねに好奇心と隣合わせ。ですが、それを理解しても止められないのです。なぜならば、それは貴女が持って生まれた性であるがゆえに」
「予言のつもり? あまり気分は良くないわね」
「事実ですよ。現にこんなところにいる貴女は、好奇心が止められない。私をわざわざ呼び止めて、話をしてしまう貴女には」
風も吹いていないのに、空気が揺れた気がした。柔らかい朝日が射す中、二人の女性はしばしみつめあった。敵意はない。ただ、ルヴェールはアルフィリースの言葉を待っていた。アルフィリースもさすがに面喰ったのか次の言葉が唐突には出てこなかったが、時間は充分にあった。やがてゆっくりとアルフィリースが問いかけた。
「貴女がターラムの支配者ね、ルヴェール」
続く
次回投稿は、3/4(土)17:00です。