快楽の街、その240~ターラムの支配者①~
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夜が明けた。
ターラムの市壁にいた自警団やイェーガーなどは、いつオークが結界を乗り越えてくるのではないかとひやひやしていたが、それは杞憂に終わった。結界は朝が来ると同時に溶けるように消え去り、ターラムの住人たちは誰一人として傷つくことなく戦いが終了していた。結果だけ考えれば最上であり誰もが狐に化かされたような気分になったが、市壁の外に積み重なるオークの死骸と、巨槌兵が崩れた後だけが確かに戦争があったことを示していた。
戦いが終わったことを確認すると一人安堵する者、隣の者と抱き合って喜ぶ者など反応は様々だったが、逆に表情を引き締めた者も何人かいた。自警団長であるリリアムはカラツェル騎兵隊との褒賞交渉に入らねばならなかったし、それが難航することもわかっていた。
カラツェル騎兵隊の欲深さにもよるが、相当額の報酬を突きつけられても否とは言えない立場だったからだ。突っぱねるのならカラツェル騎兵隊との仲は険悪になり、受けるなら他のギルド長からは無能の誹りを受けるだろう。機知に富んだリリアムですら、ため息とともにカラツェル騎兵隊の使者であるヴァランドと面会をすることになった。
そしてアルネリアの騎士たちも呆然としていた。戦いが始まる直前、ジェイクが「多分何もすることはないから、休憩をした方がいいと思います」などと言うことが本当に現実になるとは思わなかった。誰もがジェイクの能力に関して信頼を増すと同時に、畏れも抱くようになっていた。それはまたジェイクも同様だったが、今は凄まじい虚脱感と睡魔に襲われて、市壁の上で壁を背に深い眠りについていた。
ジェイクはバンドラスを倒したことは後でマルドゥークにそっと報告した。もちろんレイヤーのことは隠したが、その報告を受けたマルドゥークは難しい顔をし、ミリアザール様に報告をすると言ってそれきりになった。深く追及されないことは幸いだったが、褒賞も処罰もなかったことで、ジェイクにとっては逆にすっきりしない一件となったのである。ジェイクにしてみても、自らの能力に疑問を多々抱いていたからだ。
そしてアルフィリースと言えば。ドラグレオと交渉した後、戦いは任せたと言わんばかりに戦いの最中から堂々と仮眠をとり、朝日と共に目覚めると、盛大な欠伸をしてラインとリサのその後を任せていた。
「多分エアリアルが帰ってくるからよろしく、リサ」
「外に伏せさせていたのですね。最初からこの展開を読んでいたのですか?」
「想像はついていたわ。そうでなくともエアリーは外に伏せさせておきたかったの。そもそもエアリーが輝くのは広い場所での戦いだわ。ターラムの中じゃあ戦いにくいでしょう」
「これで終わったのか?」
「戦いはきっと終わりよ、あまりすっきりしないことはあるけどね。私はちょっと用事があるから外すわよ。あとはよろしく」
「どこに行く?」
「女子にそんなこと聞くもんじゃないわよ」
アルフィリースは悪戯っぽく笑ったが、リサとラインは顔を見合わせるばかりだった。アルフィリースはそのままぶらりと市壁から離れると、ある場所に一直線に向かった。夜の闇に照らされて輝くのも綺麗だが、こうして朝日に映えて輝く姿もまた鮮やかである。
アルフィリースは黄金の純潔館の玄関を叩こうとした時、園庭に出ているプリムゼに気付いた。
「プリムゼ、こんな朝早くからお仕事?」
「あ、アルフィリース団長様」
プリムゼは水を撒く仕事の手を止め、アルフィリースに恭しく礼をした。まだ少女とは思えないほどの礼儀作法。堂にいったその仕草は、貴族の娘と言われれば通じそうな優雅さを誇る。同じ年頃のエルシアとは正反対だなと、アルフィリースは苦笑する。そして人間は生まれよりも、育ちである程度決まるのだと思った。
「その団長様ってのはやめてくれる? その通りなのだけど、くすぐったい時もあるのよ」
「これは失礼いたしました。ではなんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」
「アルフィでいいわ。私の友達は皆そうよ」
「しかしそれでは私が他のお姉さま方に叱られてしまいます。どうか団長様と呼ぶことをお許しくださいませ」
「固い子ねぇ・・・まぁいいわ。朝から水撒き? 他の従業員にやらせればいいでしょうに」
「いえ、これは私の日課なのです。それに、気分転換にもなるので」
アルフィリースはプリムゼの身に起きた出来事を思い出し、しばし言葉をなくした。気丈に振る舞ってはいるが、内心ではかなり傷ついているはずだ。ラーナですらあの取り乱しようなのだ。プリムゼの心中を察したが、アルフィリースには聞いておきたいことがあった。
「先日はうちのゲイルが失礼したわ。こっぴどく叱っておいたから、もう失礼なことはしないと思うけど」
「いえ、失礼だなんてそんな。ゲイルさんは私のことを好いてくれたわけですし、あの人なりの優しさなのだと承知しています。どうかあまりお叱りされませんよう、私からもお願い申し上げます」
「その言葉だけいただいておくわ。あの子は甘やかすととんでもない人間になりそうだから、厳しく育てたいの。
それより一つ聞きたいのだけど、この館はいつからここにあるの? これだけ綺麗な建物だと、もっとターラムでも有名になりそうだけど。これだけで一つの芸術品だわ」
「確か今の場所に建ったのは、32年前ですね。外部、内部共に15年おきに改装していると聞きました。今の建物は2年前に改装が終了しています」
「詳しいわね」
「ルヴェールさんが教えてくれるんですよ。ここではお姉さまたちが色々な芸や作法を推してくれますが、一般教養はルヴェールさんの担当ですから」
「案内係のルヴェール? フォルミネーじゃなくて?」
「はい、フォルミネ―さんは主に外の仕事をこなしますから、中の仕事はルヴェールさんが中心なんです。それにルヴェールさんはとても勉強家なんです。時間さえあれば何か勉強してますし、凄い知識の量なんですよ。この館のデザインもルヴェールさんの案だと聞きましたし、それに店の運営だって・・・」
「プリムゼ、いるかしら?」
プリムゼが顔を紅潮させて得意気に話す中、店の中からプリムゼを呼ぶ声が聞こえた。店の中から出てきたのはそのルヴェールだった。プリムゼはしゃべり過ぎたと思ったのか、気恥ずかしそうにアルフィリースに一礼すると、小走りに館の中に消えていった。
代わりにルヴェールが外に出てくる。アルフィリースの突然の訪問にも嫌な顔一つせず、ルヴェールはアルフィリースを丁重に応対した。
続く
次回投稿は、3/2(木)17:00です。