快楽の街、その238~ターラムの戦い⑰~
「じゃあ行くべよ。せーの!」
「おうよっ!」
ケルベロスが片手でグンツを投げ飛ばした。まるで発射台のように飛び出したグンツは、みるみるうちに空高く飛んでいった。そしてあろうことか、崖の上にまで到達してしまったのだ。グンツが跳躍を合わせたとはいえ、人30人分はあろうかという高さの崖の上に到着している。そしてその後を追うように、ケルベロスも跳躍した。
「おおうっ!」
さすがの崖の上、とはいかなかったが、なんとか崖壁にはとりついていた。そのまま巨体に似合わぬ素早さで壁を登り切るケルベロス。
「無茶な素材集めをさせられて、崖を登ったことが役に立つべ」
「んだんだ。ピレボスの尾根の一つに登った後、『あ、反対の尾根だった』とかアノーマリーに言われた日にゃ、どんだけぶっ殺そうと思ったことか」
「だけど、おらはアノーマリーには感謝しねぇぞ?」
「当り前だ! だども、役に立ったのは事実だ」
「んだな」
ケルベロスが上り切るのを確認して、グンツは背を向けた。
「ははっ、さすがに馬じゃこの崖は登れねぇな。よく考えたもんだ。じゃ、行こうぜ。もうこの場所に用はねぇよ」
「下からこちらを殺しかねない勢いで睨んでいる女がいるが、いいのが?」
「知らねぇ女だ。女との縁はそこら中にあってな、少々胃もたれ気味だ。もうこれ以上は勘弁願うぜ」
「そうか・・・む!?」
背を向けたグンツと、下を見ていたケルベロス。ケルベロスが異変に気づき、叫んだ。
「グンツ、危ねぇ!」
「あん?」
グンツが振り向くと、下から飛んできた手裏剣が弧を描いてグンツの肩口に命中した。それは丁度ファランクスとのつなぎ目に位置する場所。見事な一撃だが、そこまでの深手ではない。それでもグンツを苛立たせるには十分な一撃だった。
「なんだこりゃあ!? どこのどいつだ、こんなもん投げつけてくるのは!」
グンツが怒りの形相でがけ下を睨んだ瞬間、下から矢が飛んできてグンツの心臓を直撃した。その見事な一撃に腹立たしいというよりは、感嘆するグンツ。
「て・・・めぇっ!」
「その腕は私の父の腕だ! いずれ返してもらいに行く、必ず・・・必ずだ!」
「あぁん? 何言ってやがる、あの女。意味わかるかよ、ケルベロス?」
「確か炎獣ファランクスは人間の娘を育てたとかいう話があっただな。それじゃねぇか?」
「ふぅん・・・女、名前は?」
「エアリアルだ! 覚えておけ!」
「どうだかな~記憶力には自信がなくてなぁ。それでなくても、いろんな女から憎悪されているもんでな。思い出したら相手をしてやるよ」
ぎゃはは、と笑いながらグンツは去った。エアリアルは崖を登ることもできず、その場に佇んだ。いや、正確には崖は登れたかもしれない。だがさらに罠があったらと思うと、これ以上の追撃は危険だと判断した。今は部下を預かる身、無謀な突撃は避けねばならなかった。
その時ちょうど後ろからメルクリードが追いついてきた。
「どうやら恨みがあったようだが、よく我慢したな。怒声が聞こえたぞ」
「そうせざるをえなかっただけだ。我慢したくてしたのではない」
「そうか。だが我々のような者は、つい単騎で動きたくなる。それが無謀だとしてもな。部下を持つのはよいことだ。最初は足手まといだろうが、必ず自分を成長させてくれる」
「実感している最中だ」
「なら何も言うことはない。だが惜しかった、あの化け物は次に出会ったらもっと凶悪になっているだろう。次に我々の槍が届けばよいがな」
「・・・届かせるさ、必ずな」
それだけ言い残すと、メルクリードはあっさりとディオダインの鼻先を返した。先ほどまでの猛然とした突撃など、まるでなかったかのように。だがエアリアルはしばしグンツとケルベロスが去った後の崖を、睨んだままその場に残っていた。
***
「でりゃあああああ!」
ドラグレオが巨槌兵を吹き飛ばす。全く衰えることのない速度で巨槌兵を吹き飛ばし続ける巨漢の出現に、さしものオークも青ざめて四散した。もはや軍の統制もなにもなくただの魔物の群れと化したオーク達は散り散りに逃げ、そして容赦ない追撃をするカラツェル騎兵隊によって端から殲滅されていった。
一方で、常に怒号と共に敵を吹き飛ばすドラグレオにミコトは少々呆れていた。
「おじさん」
「ぬぉおおおおおお!」
「おじさん!」
「そりゃああああああ!」
「おじさんってば!!」
「ぬわぁあああああ!?」
巨槌兵を投げ飛ばそうとして途中でミコトに呼び止められたことに気付き、体勢を崩したドラグレオ。重量感のある巨槌兵の落下音と共に下敷きになったが、すぐに巨槌兵を引きちぎって出てきた。
「ぬらぁあああああ! あぶねぇだろうがぁああああ、ミコトぉおおおお!」
「おじさん、うるさい。反省して」
「はい」
淡々と怒るミコトを前に、ドラグレオがなぜか正座していた。周囲は既に薄暗く、ターラムの明かりとドラグレオ自身が吐いた火がなければ何も見えたものではないだろう。カラツェル騎兵隊も松明は持っているが、ドラグレオがつけた火を頼りに残敵を始末している体たらく。
誰も注目していないのが幸いしたのか、ミコトは結構な剣幕でドラグレオに怒っていた。
続く
次回投稿は、2/26(金)17:00です。