快楽の街、その237~ターラムの戦い⑯~
緑騎士隊でもない限り、森の中ならば馬よりも徒歩の方が速いだろう。だがメルクリードはためらわずディオダインの手綱を森に向けた。
「ついてこれるなら、ついてこい。私はメルクリード、お前の名は?」
「エアリアルだ。言われるまでもない、ついていくさ」
続けてエアリアルも森の中に進路を向ける。それほど深い森ではないが、カラカンバと呼ばれる建材や武器にも用いられる固い樹が群生しており、枝にでもぶつかれば首の骨を折りかねない。グンツはそれらの間を走り抜け、ケルベロスは剛健さにものを言わせてほぼ一直線に走り抜ける。メルクリードは太い枝だけを打ち払い、細い物はディオダインに任せた。ディオダインの判断で、強引に突破できるかどうかがおおよそわかる。
だがディオダインほどの豪馬をもってしても、一直線に進めるわけではない。徐々にケルベロス達との距離は開いていく。メルクリードが歯痒く思っていると、エアリアルが声をかけた。
「メルクリード、悪いが先行するぞ。このままでは置いて行かれる」
「それは構わんが、いけるのか?」
「無論だ」
【猛き風の精霊よ、寄りて集まり壁となれ、壁となりて敵を削ぎ落せ】
《暴風壁》
エアリアルは風の魔術でシルフィードごと自分を覆うと、一直線に突撃した。カラカンバの幹すら削り取って突撃する魔術は、通常なら攻撃用として用いられる。馬上での相対速度を計算して構築された魔術は、エアリアルの行く手を阻むものを片端から削り取り、さらにエアリアルが魔術の重ね掛けをすることで、あたかも削岩機のようにエアリアルは全速に近い速度で突撃したのである。
驚いたのはグンツとケルベロス。
「なんだぁ!? あの女、ただの騎兵じゃねえのか!? 追いつかれるぞ、どうすんだケルベロス!」
「もうちょっとだ! なんとか時間を稼ぐだ!」
「ちっ、しゃあねぇ」
グンツは右腕をファランクスのものに変化させると、辺り一面に火を放った。グンツは半分以上人間ではなくなった今でも、魔力の総量はさして多くない。ファランクスの魔術を使うには、魔力が足りないのだ。
だが出力が足りないからこその不完全な魔術は周囲を炎と煙で包み、一瞬エアリアルの視界を奪った。エアリアルが一時その場にとどまる。だがそれはグンツとケルベロスを見失ったからではなく、今自分の目が見た物を疑ったからである。
「今の男、腕が変化して――父上?」
見間違いではない、確かに父ファランクスの腕だった。幼い頃捕まって遊んだ腕を、見間違えるはずがない。どうしてそれが――いや、それは想像がつく。ファランクスは死んだのだ。確かにドラグレオと考えられる大男に殺されたと精霊が語っていた。ならば、その死体はどうなったか。そこまで確認はしていない、精霊に問いかけてもいない。だが今のでどうなったかはわかる。敵は魔王を生産するのだ。素材は優秀であればあるほど強い個体が造れるというのなら――
「私の・・・私の父を使ったのかぁーーっ!」
エアリアルが怒りに任せて吠えた。見たこともないほどの主の怒りを察したシルフィードが諫めるべくいなないたが無駄であった。エアリアルには滅多にないことだが、シルフィードの尻をひっぱたくと一直線に走らせた。前面に再度《暴風壁》を展開させるだけの冷静さは残っていたが、先ほどとは違い明らかに風の収束が乱れて不完全な魔術となっている。
不完全な防壁は削り取った木の枝を巻き込んでエアリアル自身の頬を裂くこともあったが、怒り狂ったエアリアルは気に留めない。そして怒りに任せて走り切ると、突如として目の前に壁が出現した。
さすがにエアリアルも止まったが、森が切れたと思ったらそびえたつ崖が立ちはだかった。目の前を走っていたケルベロスとグンツの姿が消えた。周囲を見回したエアリアルは、はっとして木の上を見上げた。ほとんど葉をつけないカラカンバの木の上で、ケルベロスがグンツを担いでいる。
続く
次回投稿は、2/24(金)17:00です。