快楽の街、その217~果てなき欲望㉔~
レイヤーが気付いたのは、ジェイクが剣を収めた時だった。何をしたのか、目にしたはずなのに信じられない。レイヤーが突きを繰り出す間に、実に六度、ジェイクの剣が閃いた。人間として、ありえない速度。いつぞや夜の森で出会った、剣戟の嵐とどちらが速かったか。崩れ落ちるバンドラスの体に我に返ったレイヤーは、ジェイクに対する畏れのようなものを抱いていた。
「ジェイク、今の剣は・・・」
「・・・まずいな。崩れるかもしれない」
「え?」
ジェイクの言葉通り、地下全体が軋んでいた。血の底で獣が呻くような音と共に、天井の一部が割れて崩れた。落ちてくる土を見て、レイヤーはここが地下深くであることを思い出したのだ。レイヤーの疑問はどこかに吹き飛んでいた。
「この地下、バンドラスの能力で補強していたんだな。穴を掘って、外壁を『保存』して固定。そうすれば自分一人でも作ることが可能だし、自分が仮に死んだ場合自然と崩落してここは発見されることはない。引き払う時もわざわざ壊す必要もないし、拡張するのも思いのままか」
「悠長なことを言っている場合か? 早く脱出しないと、僕が入ってきた入り口が崩れるぞ」
「もう無理だろう。登っている間に崩れるさ」
「なら、バンドラスに新しい路を保存で開けさせてやる」
「今のこいつにか?」
ジェイクが指し示すバンドラスの四肢は、ほぼ切断されていた。それどころか、もはや生きていること自体に無理があったのか。生命活動自体が保存という特性によるものだったのか、瀕死となったバンドラスは急速に年老いていた。かろうじて息をするのが精一杯であり、地下の崩落と彼の寿命のどちらが長いかすら不明だった。
そのバンドラスの口がかろうじて動いた。
「残念だったな・・・お前たちを生かしてやりたいが、もう動くことも能力を使うこともできん」
「脱出路の一つくらい用意してないのか?」
「ない。儂の能力が脱出路そのものだったからな。穴をあけておき、その穴を保存する。そして任意の場所に設置すれば、脱出路になる。ここに籠る時は事実上出入り口はなかった」
「なるほど、見つからないわけだ。一つ聞きたいが、壁が一番薄いのはどこだ? 上以外に脱出できないわけではないだろう? お前のことだ、別の方向に出られるようにここを作ったはず。どっちの壁だ?」
「ヒョヒョ、そんなことまでわかるかよ。左の壁だ。だが場所は説明しにくいのう・・・」
「左か」
ジェイクはそれだけ聞くと、すたすたと壁に向かって歩き始めた。そして一つの場所を選び出す。
「ここだな」
ジェイクの剣が閃く。壁を剣で掘れるわけがないだろうとレイヤーは考えたが、そういえばジェイクはそもそもどうやってここに入ったのか。レイヤーが見守る中、ジェイクが斬った場所が崩れ、ぽっかりと空いて横道ができたのだ。
何が起きても驚かないつもりでいたレイヤーも、さすがに驚きを隠せない。だが体は考えるよりも早く動いていた。横たわるバンドラスに見向きもせず、レイヤーはジェイクの後を追って走り出した。
残されたバンドラスは、呆然と少年たちの背中を見送った。ジェイクがやったことの理屈はわかる。おそらくだが、バンドラスが外と繋げたことのある通路を探しあて、その場面を再現したのだ。そして背後を振り返らずに走り抜けることの、なんと見事なことか。前しか見ない、若者の特権かもしれないなどと考えること自体が年寄かと、バンドラスは自嘲した。
遺された時間はわずかだが、バンドラスはその間に好きな空想に耽ることにした。走馬灯は横に押しのけ、考えたのはジェイクのことである。戦闘中に急激に上昇する身体能力、正確に相手の弱点を見通す力、悪霊すら退ける剣、そして今の力。朦朧としていくバンドラスの意識に、雲間から射した光のようにある考えが閃いた。その考えがもし本当だとしたら――思わずバンドラスは血を吐きながらも笑わずにはいられない。
「・・・ヒョヒョ、ヒョヒョヒョ! まさか、そんなことがありえるのか!? 個人が持つ特性としては、常識外にもほどがある! 誰も気付いてはおるまいな! あの小僧を始末せぬと、とんでもないことになるぞ! いや、必要だからこそあれほどまでの特性を持つことを許可されたのか? 誰か、誰かおらんのか。この考えを聞き届ける者は――」
「気になることを言っているね。ちょっと僕に教えてくれないか」
崩れ落ちる地下空洞の中、ずるりと闇が動いた。小さく形を成したそれは妖精のような姿をしていたが、形はおぼろげではっきりと視認できない。まっとうな存在でないことは明らか。ひょっとすると死の間際に見える幻影なのではないかと考えながら、バンドラスは夢中で話しかけた。今ある思い付きを誰かに話さなければ、死ぬに死にきれない。
「ああ、お前は誰だ――いや、誰でもいいのか。儂はとんでもないことに気付いたのだ。あのジェイクとかいう小僧の特性だ」
「『聖騎士』とかいうものじゃないのかい? 悪霊に対して特化した力を持つとかいう」
「断じて違う。もしそうなら、悪霊以外での戦闘力が異常だ。それにあの直感。勘の領域を逸脱している。悪霊に対して特化した戦闘能力を持つ者はいたが、全く違っていたわ。
よいか、おそらくあの小僧の特性はな――」
バンドラスが告げた回答に、影の形が揺らめいた。
「・・・馬鹿な、そんなことがありえるのか? もしそうだとしたら、あのクソガキは・・・」
「左様、本人次第では大陸の運命すら左右する存在になりかねん。大陸だけならよいが、この世界の在り方そのものに関わることすらできてしまう。だが問題はそこではない。あのような特性をもつ人間が出現した理由が二つ思いつく。それはな――」
バンドラスが二つの理由を上げる。影が空中にいながらよろめくように揺れた。
「――なるほど、おかげで僕の仮説に確証が得られたよ。やはりリサちゃんが中心なのか」
「その通りだろう。かつて同じような髪色の女の話を2回ほど聞いたことがある。一度は幸福な話、一度は不幸な話として。もしその話が再現されるのだとしたら、本当に一大事が起こるのは20年ほど先のことになる。果たしてその一大事が必要なことなのかどうなのかは判断がつかん。だが大陸の運命が変わるのは事実だ、本人たちの自覚に関わらず、な」
「どちらに転ぶと思う? 善い方か、悪い方か」
「あれほど心根のまっすぐな少年なら、それは善い方に」
「そうか、それは困る。悪い方に転んでもらわないとね。やはり、計画は早める必要があるのか・・・ローマンズランドが動いた以上、あまり時間的な猶予はないかもね」
影が揺れていた。なぜだか、それが笑っているようにバンドラスには見えた。
「貴重な情報をどうもありがとう。目と耳だけでもターラムに残しておいた価値があったってものさ。お礼と言っちゃあなんだけど、ここにある君とその保存したものは後で僕が全部有効活用してあげるよ。中には遺物もあるみたいだし、土の下で朽ちさせるにはもったいない。
君自身も有効活用してあげるよ。素材として、永遠にね。それでいいだろ?」
影は邪悪に笑ったが、そんなこともバンドラスはどうでもよくなっていた。正直、影が何を言っているのかも理解できかねる。だがここにきて、頭をもたげるのは自分の欲望なのだ。これだけ圧倒的な死を前にしても、なお尽きぬ欲望。死にかけていたバンドラスの眼の光が、燃え尽きる前の星のように燃え上がった。
「儂は見たい・・・! たとえ体が朽ちても、あの小僧二人の結末を見届けたいのだ! そのためなら、どんな邪悪にも魂を売ってやる! 儂を生かせ、生かしてくれぇ!」
「えぇー、面倒だなぁ・・・でもそれを聞き届けるのも悪霊の王である僕の義務って奴か。いいよ、その欲望、承った。僕の悪霊の一部として、連れて行ってあげるよ。ただ僕の本体が戻ってくるまで時間がそれなりにかかる。それまでに、きちんとここで悪霊化しているんだよ?」
「儂の欲望を叶えてくれると言うなら、どんなことでも成し遂げて見せる。感謝するぞ」
「やれやれ、人間は業の深い生き物だね。それにしても、悪霊になることを感謝されたのは初めてだな・・・これ、喜んでいいのかな?」
影――ドゥームの分身は不思議な感情を抱きながら、崩れ落ちる地下空洞を確認した。バンドラスも、彼の保存していた遺体や武器防具、財宝やエクスぺリオンに至るまで、大量の土の下に埋もれていったのだ。
だが再度、時間を置いて神殿騎士団やターラムの自警団がこの場所を掘り起こした時、どれだけ掘り進んでもそれらは一つも見つけられなかった。
続く
次回投稿は、1/15(日)19:00です。