快楽の街、その215~果てなき欲望㉒~
レイヤーが振るうティルフィングがバンドラスに振り下ろされる。愛刀のように手に馴染むティルフィングは空を高らかに斬る音と共にバンドラスに襲い掛かるも、バンドラスはそれをいとも簡単にかわす。身をよじりながら繰り出される二刀をレイヤーが打ち落とすと、薄暗い部屋に火花が散った。
「ヒョヒョウ!」
「シイッ!」
目にもとまらぬ二人の打ち合いは、飛び散る火花だけで部屋が明るくなるかと錯覚するほどだ。レイヤーの感覚は研ぎ澄まされていた。剣の強度が互角以上になったことで、存分に剣技が発揮できる。ラインに学ぶ騎士剣は防御が中心。剣や小手での防御術が役に立つ。
一方でバンドラスの剣はどこかの正規の剣技をうかがわせる太刀筋だが、やはり我流の剣術が中心だ。剣を可能な限り合わせることなくレイヤーの隙を伺う戦い方は、先ほどの戦いとは真逆だった。違うのは、バンドラス太刀筋の鋭さと動きの速さ。それでも常人離れしたレイヤーの動きと動体視力を凌駕するほどではなかったし、レイヤーは手ごたえを感じていた。
「(いけるか? 仮に奴が特性で疲れないとしても、徐々に動きには慣れてきた。もう少しで攻勢に転じられそうだけど、油断は禁物だ。隙を作ったら、ジェイクと同時に攻め込んだ方がいいだろう。問題はジェイクがこの速度についてこれるかどうかだけど)」
レイヤーとバンドラスの打ち合いにジェイクは加勢してこない。先ほどの口調から相当頭に血が上っているかと考えていたのだが、実に冷静な目で戦いの趨勢を見守っていた。レイヤーとしてはその方が助かったので、とどめを確信できる時だけ参加してくれればよかったの。
あっという間に100合以上も打ち合ったが、バンドラスが一向に攻め手を強めないことにレイヤーは違和感を覚えて自ら一度距離を取った。それを見てバンドラスも一度構えを緩め、同時にレイヤーは自らに起こった異常に気付いた。
接近戦を行う以上、ある程度の傷は仕方ない。元々怪我は治りやすい体質だったが、アナーセスの戦い以降さらに治癒力が強まっていることも知っていた。それこそ、戦いの最中にできた軽い傷なら、半刻も待たずして治るほどに。だが、バンドラスに付けられた傷は全く治る気配がない。それどころか血も止まらず、流れ続けるではないか。これでは普通の人間よりもひどい。
レイヤーはそれがバンドラスの魔剣の効果だと瞬時に判断する。ジェイクの直感はこれだったのだ。
「血が止まらない。それが赤い魔剣の能力か」
「その通り。傷つけたら最後、相手が死ぬまで血が止まることはない。呪いの類の傷だからお主の魔剣では中和できんし、特殊な魔術を使わん限り解除は出来ん。どれだけ再生能力に優れた相手でも、血が止まらなければ必ず倒れる。本来ならある程度傷つけたうえで一度撤退するんじゃがのぅ。今回ばかりはそうもいかんが、かすり傷でも積もれば致命傷になるじゃろう」
「恐ろしい剣だけど、タネがわかれば対応のしようはあるさ」
「臆してくれると楽なのじゃがな、そんな虫の良い話はないか。じゃがわかっていても対応できんのが技術じゃよ」
バンドラスが再度地を蹴る。一歩で間合いを詰めるその動きはたいしたものだが、剣は大振り。レイヤーは銀のハルパーを軽く受け止めるはずだった。だがぎょっとしたのは、ハルパーが振り下ろされる瞬間、いくつにも分裂したのだ。しかも振り下ろされる角度や刀身の長さまで変わっている。さしものレイヤーも全てに反応するのは無理だった。
「うあっ!」
レイヤーの頭部をかすめた一撃で、レイヤーの額が斬り裂かれる。流れ出る血はレイヤーの右目を塞いだが、残った視界でレイヤーは赤のハルパーの動きを追った。バンドラスは左手で斬りつけてきた。ならば赤のハルパーは右手に――そのはずなのに、右手は空だった。その瞬間、背中に熱い痛みが走る。投げ剣よろしく、赤のハルパーがレイヤーの背中を深く斬り裂いた痛みだった。
ハルパーは回転しながらバンドラスの手元に再度戻っていった。
「いかに才能が優れてようが、こちらは百戦錬磨よ。致命傷を与えるには苦労するが、痛めつける程度ならいくらでも手はあるのじゃよ。曲刀を見たら曲がると思え。
その出血、100も数えれば動きに支障が出よう。早いところ治療せんと、命に関わるじゃろう。ただターラムにいるアルネリアの巡礼に、赤いハルパーの解呪ができるような高位の司祭がいるかのぅ?」
「この程度っ!」
「虚勢を張るのはよせ」
バンドラスが赤のハルパーを再度振るう。単純に振るわれたはずの剣を防ごうとして、袈裟切りにされたことに、レイヤーは驚きを隠せない。肩口からは背中よりもひどく血が噴き出していた。バンドラスの剣速が急激に上がったのだ。
「儂がさっきから全力で剣を振るっていると思っていたのか? まだまだ儂の動きは速くなる。アナーセスとダート倒したくらいでいい気になるなよ。あれは我々の仲間で最も力の劣る二人にすぎん。あの程度では本来、勇者の仲間は務まらんのだ」
「――だからといって、負けるわけにはいかない!」
「気合で実力差が縮まれば苦労はいらん」
なお立ち上がろうとしたレイヤーを薙ぎ払うと、レイヤーは壁まで吹き飛んだ。どうやら膂力も制限していたらしい。レイヤーは凄まじい衝撃に悶絶したが、なおも体勢を立て直そうとする。ジェイクとの連携が途切れたら、一気に押し切られると思ったからだ。
予想通り、バンドラスはジェイクに向き直った。今のうちにジェイクを無力化するつもりだった。実はそれほどバンドラスとレイヤーとに、力の差はない。バンドラスがそのように見せているだけで、アナーセスの時のようにこれ以上戦いの中で成長されたらバンドラスにもレイヤーを押さえられる確証はなかった。バンドラスにとっても、これが最後かもしれない好機なのだ。獲物をしとめる時に、最後まで油断をしてはならない。二人の少年はそれほど甘い相手ではないことをバンドラス自身が承知していた。
だから、振り返った時にはジェイクが自分から斬りかかってくることも十分に想定していたのだ。だがまさか、振り返った瞬間に再度深く斬りつけられるとは思ってもいなかった。
続く
次回投稿は、1/11(水)20:00です。