快楽の街、その208~果てなき欲望⑮~
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「ふう、危ない危ない」
バンドラスは自らの拠点の中に引き上げていた。炎に紛れてアジトに飛びこみ、入り口は自らの能力で消したのだ。入り口の設置はバンドラスの能力で自由であるからこそ、彼の拠点は誰にも見つからなかった。密集し、増設するように建て増された建物。隠れるように作られた第四街区だからこそ、外からでは気付くことはできない。バンドラスの拠点は彼がターラムに根を下ろしてからずっとあるのだが、一度も気付かれたことはなかった。
今回も入り口を消しておけばよかったのだが、レイヤーの追跡や協力をしたため、不覚を取ったのだ。いかに隠そうとも、意識の隙までもは完全に埋めることはできないということか。それでも奥まで侵入されるばずはなかったのだが、ジェイクの能力を見誤ったせいでこんなこととなった。
バンドラスが拠点の罠を確認すると、一つ漏らさず壊されていることに気付く。
「儂が自分で仕掛けておいて忘れるのもあるくらいの罠を、こうも見事に解除するとは。シーフマスターと呼ばれるほどの熟練者でもこうはいかん。一体何の能力なのだ。しかし中を見られた以上、しばし身を隠さねばならんじゃろう。
そしてほとぼりが冷めた頃には、この拠点ごと移動させる必要がある。オークが押し寄せるまでの短時間で見つかることはないだろうが、さすがにアルネリアが大挙して押し寄せれば発見されるだろう。面倒なことよ」
バンドラスがふーっと溜め息をついたとき、部屋の片隅に誰かの気配を感じた。灯りのほとんどない場所だが、それでも気配を完璧に消せるなど早々いない。バンドラスは脅威を覚えるよりもむしろ感嘆して、侵入者と相対した。
「何者か」
「ようやく誰もいなくなった」
侵入者はレイヤー。既に剣を抜き放った状態でバンドラスを待ち受けていたレイヤーは、認識されると同時に殺気を解放した。地上で見た、やや呆けたくらいの無感情な少年はそこにはいない。あるのは、魔獣すらその殺気で退けかねないくらいの、獰猛な殺気を備えた狩人だった。
バンドラスがそれで恐れるわけではないが、既に威厳すら身にまといつつあるこの小さな戦士を見て、思わず身震いした。
「どうやって入った?」
「入ったのは正面からだ。お前と他の人たちが戦い始めた瞬間、気配を消してこちらに侵入した。お前なら必ずここに戻るだろうと信じて」
「拠点を捨てるとは思わなかったのか?」
「盗賊が溜めこんだ宝を捨てるくらいなら、心中するだろ?」
「まこと。お前はやはりこっちよりの生き物よなぁ。で、どうするかね?」
「決まっている」
バンドラスに剣を突きつけるレイヤー。バンドラスはそんなレイヤーを見て、嬉しそうに顔をほころばせた。
「儂を殺すかね? やはりアナーセスとダートの件で、儂がちょっかいを出したことが気に喰わんか?」
「それはどちらかというと、もういいんだ。お前のせいで死にかけたけど、そんなの戦場で流れ矢に当たるのとそこまで変わらない。むしろお前の情報がなければ、あそこまで早く二人を仕留められなかったかもしれないと思うと、感謝さえしている。だけどそれとこれとは別だ。お前は危険だ。ダートよりも、アナーセスよりも。今ここで斬って捨てた方がいい」
「そこまで危険かのぅ、儂」
「ぬかせ、奥の陳列物を見たぞ。あんなことをできる奴が、正気のはずがない」
「同感だ」
バンドラスの背後から、ジェイクが現れた。彼もまた剣を抜き、殺気を隠そうともせずにバンドラスを睨みつけていた。レイヤーはまだしも、ジェイクの登場にはバンドラスも驚いていた。入り口は消去し、下に降りる入り口すらもう消したはず。厚みでいえば馬3頭分はあるのだ。掘削するにしても相当の時間と労力がいるだろうし、そんな振動があればさすがに気付く。少なくとも、音もなしに侵入することは不可能だった。
バンドラスの表情に、初めて不快感が浮かんでいた。
「小僧、どうやって侵入した? 入り口はもうなかったはずだ」
「壁の一部を切ったら、黒い空間が出現した。もしかしたらと思い飛びこんだらここに出た。それだけだ」
「・・・ありえない。なんだ、その能力は」
そう、そんな能力はありえない。そもそも、どこをどう切ったらそんな穴が出現する理屈も不明なのに、出現した怪しげな黒い穴に飛びこむなど、どうしてそんなことができるのか。飛びこんだら最後だとは思わないのか。まるで見えない何かに導かれるように現れた少年。それが正しいと信じていなければそんなことはできはすまい。レイヤーよりも余程、危険な匂いがする。
レイヤーよりもよほど危険な匂いがする少年を見て、バンドラスは一つの可能性に思い至る。
「小僧、お前の能力はまさか――」
「ここで死んでもらうぞ、バンドラス。お前は生かしておけない。ターラムの悪霊なんかより、お前の方がよっぽど害悪だ」
「だ、そうだ。2対1が卑怯などとは思わない。確実に仕留める」
「――そうか、そうか。まさかこれほど稀少な能力に出会うとは。儂は歴史の転換点を見ているのかもしれんなぁ。重畳、まことに重畳」
ぶわり、とバンドラスから不気味な威圧感が漂った。思わず身を竦めるジェイクとレイヤーだが、その気配をなんと表現してよいのかわからなかった。もし、自分が籠の中にいる動物で、残酷な趣味を持つ人間に飼われたらこんな感じだろうかと、レイヤーは想像する。
バンドラスの気配は、先ほどの戦いでも見せなかったほど変化を始めた。
続く
次回投稿は、12/30(金)21:00です。