快楽の街、その197~果てなき欲望④~
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「これは!」
バンドラスが自らの拠点――第4街区に戻った時に見たものは、燃え盛る炎と立ち込める煙、それに第四街区の外に追いやられた住人たちだった。第四街区の住人達は呆然自失といった表情で燃え盛る住処の方向を見ていたが、元々感情の乏しい住人たちだ。その表情から読み取れることは少ない。だが、それでも住んでいた場所が燃えることへの恐怖と困惑の色で、その表情は塗りつぶされているようだった。
バンドラスは避難している住人の顔を一通り見渡したが、そこに知っている顔は一つもない。どうやら盗賊団の団員は中にまだいるようだ。バンドラスは迷いなく、煙の充満する第四街区に飛びこんでいった。
木造の密集住居は燃え移るのも早い。だが火は奥の場所では燻っているものが多く、煙が充満しているのは入り口付近だけとわかった。火をつけたのは入り口付近からなのか、そして誰かが奥から消火活動を行っているのか。
消火活動が追いついていることを考えると、燃やしているのは数人、消しているのが多数というところまではバンドラスに想像がついた。団内の諍いかと見当をつけてみるが、今の団員はおとなしくて従順な者が多く、揉めるような兆候もなかった。こんな時になんということが起きるのかと考えながら奥へと走っていると、途中には明らかに争った痕のある死体が数体転がっていた。切り口はほぼ同じ、死体の中には予備の団員だけでなく、正規の団員までもがいた。これほどのことができるとなると、裏切り者は想像がつく。
「なるほど・・・お前か、ギャス」
バンドラスが奥の方にたどり着くと、ギャスが数人の盗賊団を相手に立ち回っているところだった。片手には松明、腰には火種を入れたであろう袋を多数用意し、ナイフが閃くたびにバンドラスの部下が命を散らしていった。鮮やかな殺し口を見ながらギャスをここの責任者にしたのは間違いないと思う一方で、どうしてこうなったのかという疑問が素直にバンドラスの胸中に浮かんだ。ギャスは忠実な部下だったはずだ。それがどうして。
ギャスが最後の一人を仕留めると同時に、バンドラスは即座にギャスに襲い掛かった。気付いたギャスがナイフを反射的に突きだすが、あっさりとバンドラスはギャスを組み伏せた。バンドラスは子どものような体躯だったが、ギャスを力づくで捻りあげると後ろ手にしてギャスを地面に叩きつけた。下からにらみつけるギャスの憤怒の視線を見て、バンドラスは首を傾げる。
「ギャス、どうしたか? お前は儂の忠実な部下だと思っていたが」
「一刻前はそうだったさ! だがお前は信頼できないどころか、とんでもない怪物だ。お前の方がよっぽど裏切り者だ!」
「なぜだ、儂はお前を信頼していた。だからこそここの警備も任せ、もうすぐここを出る暁には、一財産をくれてやろうと思っていたのに。お前の才覚なら、店を持とうが儂の正規の団員として働こうが、十分にやっていけただろう。何が不満だったのか?」
「十分にやっていけるって? それでやっていけた団員が、何人いたんだ!」
ギャスの全身からありえないほどの力が迸ると、バンドラスの拘束が一瞬弱まった。ギャスはその隙に体を捻ったが、バンドラスはわざと拘束を解いて自由にしてやった。さらに組み伏せることもできたが、ギャスの腕を折りかねないと思ったからだ。バンドラスは無為に部下を傷つけるようなことはしない主義だ。
一端距離を取ると、ギャスと周囲の様子をバンドラスは伺った。ギャスの背後に見えるのは、自分の秘密の部屋への入り口がわずかに開いている様子。バンドラスの目が大きく見開かれた。
「まさか・・・見たのか?」
「おお、見たぞ! お前がひた隠しにしていた、その財産とやらを! 俺は――」
「馬鹿な、ありえん」
ギャスが喚く内容をバンドラスはほとんど聞いていなかった。最初の仕掛けはともかく、中に仕掛けた罠は自分以外が解除できるはずがない。中には自分で仕掛けたことすら忘れて、時々発動させてしまうくらいなのだから。
そのくらい死に至る罠をいくつも仕掛けてあるのに、それをかいくぐって中を探索するなど、自分が討ち取られるのと同じくらいにありえなかった。もし解除するなら、それこそ数日がかりになる。
バンドラスの頭が急速に回転する。それほどのことができる相手、もしくは方法となると、バンドラスには思い当る節がなかった
「お前は――!」
「ギャス、一つ聞く。誰をここに通した?」
「お前こそ、俺の話を聞け!」
激昂したギャスが叫んだ瞬間、ギャスの左耳が落ちた。バンドラスが何をしたのか知らないが、バンドラスの右手が掻き消えたと思うと、ギャスの耳が地面に落ちたのである。ギャスは思わず耳を押さえたが、バンドラスは表情一つ変えず質問を続けた。
「もう一度聞くぞ、ギャス。『誰』を通した?」
「・・・神殿騎士団のジェイクとかいうガキだ。もうすぐ神殿騎士団の精鋭が押し寄せるぞ。そうなればお前も終わりだ!」
「ジェイクだと? そうか、そういうことか――儂もあの小僧の特性を見誤っていたのか。ならばあの小僧は・・・」
バンドラスはしばし考え込んでいたが、突如笑い始めていた。ギャスが呆気にとられたが、バンドラスは心底おかしくてしょうがない。まさかこんなところで、人生でみたこともない宝に二つも出会うとは。それにジェイクとリサなるものがもし本当に恋仲で、婚姻することになれば。20数年後の大陸は非常に面白いことになっていることが、手に取るようにわかるのだ。
「そうか、そうか! そういう仕掛けか! くっくっく・・・なんたる運命の皮肉。これではオーランゼブルも報われないであろうよ。まさか、何もしない方がよい可能性が出てくるとはな!」
「おい、何を言っている?」
「ギャス、自らの幸運に感謝しろ。儂は今気分が非常に良いお前は生かしてやる。こんな街区、どうでもよくなってきた。盗賊団も、もう必要ない」
「なにぃ!? 貴様――」
ギャスが再度飛びかかろうとして、バンドラスが手刀をギャスの後頚部に打ち落とした。ギャスは一瞬で昏倒し、その場に倒れ込む。そして周囲には、布で顔を覆った盗賊団が音もなく集結した。
続く
次回投稿は、12/8(木)22:00です。