快楽の街、その192~ターラムの支配者についての考察②~
「私は文字を読む速度が一定だから、読んだ本の頁数でおおよその時間がわかるわ。それに太陽が確認できない場所では、入り口からの歩数と経過時間を数えるようにしているの。冒険者の基本ね」
「いや、それにしても正確だ」
「洞窟に潜る時は何日も経過する時があるでしょう。そのために、一定時間で必ず覚醒するような訓練もさせられたことがあるわ。ただ疲れもあまり取れないし、集中していないとできないけどね。師匠譲りのね冒険者の心得ってやつね。それより、何か見つかった?」
「いや、まだだ。私は貴女ほど本を読むのが早くなくてな。まだ数冊にしか目を通していない」
「じゃあこれをどうぞ」
アルフィリースは数冊の本の塊をマルドゥークに渡した。マルドゥークは本を受け取ると、題名を確認した。一番上の本の表紙には、ターラムの出納記録と書かれている。年代は今から30年以上前のものだった。
「これは?」
「たまたま見たのだけど、ターラムから新興事業への助成金として、アルネリアの慈善事業なる項目があるわね。その慈善事業の創設者がヴォルギウスって人で、相当な額をもらっているわ。下の資料は、その慈善事業の結果。彼の慈善事業はアルネリアの活動とは別の範疇でやっているし、教会とは住所も違うわね。記録を信じれば、年間数十人の孤児を救済し、社会に送り出したと書いてあるわ。
出資期間は20年間。今では出資はされていないでしょうけど、彼の育てた人間には社会で成功していて、このターラムで商会などを運営している人もいるわ。今では彼らの出資で慈善事業は運営されているみたいね」
「なんと・・・」
「おそらくだけど、そのヴォルギウスって人はアルネリアの出資に頼らずできる何かを探したみたい。結果だけ見れば上手くいったみたい。書類の上では立派な人だと思ったけど、実際はどうなのかしら?」
「いや、それは――」
立派な人だろうと言いたかったが、マルドゥークもそれほどヴォルギウスを知っているわけではない。意見は出さないことが正しいと思った。
戸惑うマルドゥークを前に、アルフィリースはもう一つ気になる資料を出した。
「そしてこれがターラム側に残る、慈善事業の出納記録。与えた資金の運用方法まで記録するなんて、相当この年の金融部門は優秀ね。殺されたコルセンスも、相当優秀な人材だったでしょうに。その記録を見て、おかしなところに気付くかしら?」
「おかしなところ?」
マルドゥークは書類をぱらぱらとめくった。数字に弱いわけではないが、こうまで数字の羅列だと眩暈がしそうである。それでもしばし眺めるうちに、おかしな点に気付いた。
「調査費、人件費、雑費・・・額は大したことがないが、妙に項目が多くないか?」
「私もそう思うわ。書類上で処理しただけならさして違和感がないかもしれないけど、途中から妙に出費の項目が増えている。項目を増やしながら少しずつ出費して、何かに使っていた。何に使っていたのかしらね?」
「さて、な。だがかの司教は優秀である割に――」
優秀である割に、妙に功績がなさすぎるのではないかと思った。近隣の討伐依頼もそれほど行うわけではなく、アルネリアに無許可であれだけの戦力を抱えながら、それを何に運用していたのか。ターラムで何かを相手にしていた? マルドゥークの頭に色々な可能性が浮かんでは消える。ヴォルギウスは言っていた、今日で全て一掃できると。その中に盗賊団も入ってはいなかったか。
「――まさか、バンドラスを始末するつもりなのか」
「何か言った?」
「いえ、やることができました。この資料は借りていくこととしましょう。私はこれで一端失礼します」
「いいけど・・・ターラムの支配者のことはいいのかしら?」
微笑んだアルフィリースに、背筋がぞわりとしたマルドゥークである。この女傭兵はどこまでこちらの事情を知っているのか。かまをかけられたのかもしれないが、隠し通せない気もした。
「そちらは貴女にお任せします。何かあれば教えてくれれば嬉しいのですが」
「私はもう少し調べてから行くわ。何かあれば報告するわね。それから一つだけ。ターラムの支配者は一人ではないのかもしれない」
「どういうことです?」
「ターラムの支配者が善人とは限らないわけよね? 悪党だと仮定して調べてみたわけだけど、ターラムには陰惨な事件も多い。それら事件の中に出てくる言葉が気になるの。『仮面』『拷問師』。この二つの言葉が何年にもわたって出現するわ。それこそ200年以上にわたって。明らかにターラムの裏に、ターラムそのものを混乱に陥れようとする者がいるわ。それを食い止めようとする勢力も。
光と影――まあどっちも影のようにターラムの裏にいるわけだけど、私はターラムの支配者は複数いて、それらが戦っているのではないかと考えているわ」
「なるほど、興味深い――ですが今は時間がない。後でゆっくりと検討するとしましょう。失礼!」
マルドゥークは踵を返すと足早に去っていった。バンドラスを始末することには、かつてギルドもアルネリアも失敗している。そんな難物相手に早々勝てるはずがないとマルドゥークは考えた。勝てないだけならよいが、ゼムスはミリアザールですら静観を決め込んだ相手。その仲間に迂闊に手を出すとなれば、相応の準備がなければ無理だと考えたのだ。ヴォルギウスに思いとどまらせねばならないのではないか。その思いがマルドゥークの足を速めている。
そんなことを考えているとは知らず、ただ足早に去っていく後ろ姿を、目を丸くして見送るアルフィリース。
「現場の人ね、あの人は。本来指揮官は向いていなさそう。となると、誰か監視役がアルネリアから派遣されていたのかしら? それとも、わざとミランダは彼を指揮官に据えて動きを見たかった? まぁ帰ったらミランダに聞いてみましょうか。
それにしても支配者の物証がないとね・・・文字の中にないとすれば、後は」
アルフィリースは本の山から飛び降りると、閲覧する棚を変えた。行ったのは絵画の棚。そこにはターラム初の美術品の目録などが並んでいる。
「実物はまた別の場所、というか、大陸各地に売られているかもね。現物で見えるものは――あれ?」
アルフィリースが目にとめたのは、絵本。子供に読み聞かせるものとして都市部では流行が始まっているが、年代を見れば250年以上前である。その時代から存在したとすれば、大陸最古の一つではなかろうか。市民の教育という概念が、その当時のターラムには既にあったことになる。これだけ見れば、メイヤーよりも先んじた功績ではなかろうか。
これ一つだけで歴史的価値があると考え、アルフィリースは単純に興味を惹かれて絵本を手に取った。
続く
次回投稿は、11/29(火)7:00です。