快楽の街、その174~報復㉔~
「(レイヤー、お前その傷は!)」
「・・・ああ、そういえばそうか。このままじゃ不便だね」
「(そうではなく、このままでは死ぬぞ!)」
悲痛までのシェンペェスの叫び。だが、レイヤーは何事もなかったかのように平然としていた。
死ぬ? どうして? こんなところで、僕が死ぬわけがないだろう。そんな確信だけがレイヤーの頭を支配する。そして見る間に修復されるレイヤーの傷。腹の傷は塞がり、千切れかけ、折れた手足は鈍い音と共に元に戻る。右足に刺さった鉄杭を抜くと、その傷もみるみる塞がった。体に満ちるのは充実感。ややふらつきを覚えるのは、失われた血のせいか。なるほど、これはこれ以上の失血は敗北につながりそうだとレイヤーは考えた。加減する余裕はない、全力で即座に終わらせる。そのためには――
「(レイヤー、お前!?)」
「シェンペェス、体術の戦闘経験はあるか?」
「(何? もちろんそういった主もいたが・・・)」
「あるだけでいいから、今すぐ知識をくれ」
レイヤーがシェンペェスの刃を握り込んだ。当然のごとく傷口から血が流れ、シェンペェスが非難を上げる前にレイヤーの目がアナーセスを捕えていた。レイヤーが欲しかったのは体術の他に、人体の構造についての知識。幸い、シェンペェスの前の持ち主に、そういった知識に詳しい者がいたようだ。
「・・・ん、これだけあればなんとかなるだろう」
「(お前、何を言って――)」
レイヤーは不満を告げるシェンペェスを黙らせるように鞘に納め、素手のままつかつかとアナーセスに近寄った。狂戦士と化したアナーセスも一瞬驚くが、即座にレイヤーを破壊すべくその腕が伸ばされた。その腕をレイヤーは正面から受け止めると、アナーセスを睨み据えて告げた。
「お前みたいな雑魚に、手こずっている場合じゃないんだ。どけよ」
レイヤーの腕に、今までにない力が沸き上がる。太さにして半分もないはずのレイヤーの両腕は、力任せにレイヤーを制圧しようとしたアナーセスの両腕を強引に捩じり、あべこべに破壊した。雑巾でも絞るように念入りにレイヤーはアナーセスの両腕を破壊すると、次に膝を蹴りぬき、その流れで回転をつけながら、崩れたアナーセスの顎めがけて蹴りを放った。
骨の砕ける音と共にアナーセスの膝と顎を破壊した感触があったが、狂戦士と化したアナーセスの瞳には力がまだ残されている。残った一本の足で飛びかかろうとするアナーセスを、押し戻すかのようなレイヤーの拳の連打。間に関節技も交えながら、顔面のみならず一つ一つの骨を的確に、丁寧に破壊していく様は、肉屋が肉を叩いてほぐすやり方にも似ていた。
アナーセスがレイヤーに触れる前に上半身の骨を破壊しつくし、頭蓋骨を破壊して脳味噌を殴る手ごたえが感じられる頃、レイヤーは素早くアナーセスの背後に回り首を締め上げた。もはや首の骨も砕けて手ごたえはなく、毛布をくるんだような柔らかい感覚しかない。かろうじてアナーセスが生きているのは、まだ内臓を破壊されていないから。
アナーセスの首を極めたレイヤーに、一瞬だけ殺意の炎がともった。
「後悔しろ。これでもう誰も殺せない」
レイヤーは勢いよくアナーセスの首をねじ切ると、シェンペェスを抜いてアナーセスの体を細かく切断し、炎の中に投げ入れた。淡々とその残酷な作業を行う少年にシェンペェスも絶句したが、アナーセスが超常的な再生能力を持っていることを考えれば、これくらいが適切なやり方かもしれなかった。
レイヤーは全てが終えると、糸の切れた人形のようにふらふらする足取りでその場を離れようとした。その目前に、インパルスが突如として現れる。その表情は驚きに満ちていたが、それ以上にレイヤーを心配していた。レイヤーは疲労のあまり驚く表情すら出せずに問いかけた。
「見たの?」
「いや、キミを見守るつもりが恥ずかしい話、途中でキミを見失ったんだ。ボクはたった今来たところだ。人払いの結界でも敷かれていたのかもしれないが、とんだ間抜けだったようだ」
「そう・・・ところで少し任せてもいいかな?」
「何が?」
「あと一人目標がいるけど・・・少し休憩したいから」
その言葉と共にレイヤーがインパルスに向けて倒れ込んだ。慌ててインパルスはレイヤーを支えたが、このまま運ぶにはあまりに目立ちすぎる。腕力的には問題ないとはいえ、少女の姿をしたインパルスがレイヤーを抱えて動くのは、少々問題があるだろう。人払いの結界が消えたせいか、周囲には住人たちの気配が感じ取れ始めた。インパルスは彼らに頼んで、レイヤーを近くの安全な場所にまで運ぶことにした。
その様子を見ていたバンドラスは、愕然としていた。炎の中に飛びこみアナーセスの一部を回収したものの、あまりに衝撃的な結末だった。確かにレイヤーは何らかの特性を発揮した。そうでなければ、致命傷が治るはずなどない。だが、いまだバンドラスはレイヤーの特性に対する回答を得ない。特性持ちを長く観察していれば、その性質に合致する言葉が脳裏に浮かぶ時もあるのだが、レイヤーにはまだ浮かばなかった。こんなことはバンドラスにとっても初めての経験だった。ゼムスですら、一度見ればわかったというのに。
バンドラスにとって、もはやアナーセスの生死などはどうでもよくなっていた。
「観察時間が足りないかということか。ならば、もっと少年を追い込むしかないのぅ」
バンドラスは運ばれていくレイヤーを見ながら、ふっと姿を消していた。バンドラスは完全にレイヤーに興味を持ってしまったのだ。
続く
次回投稿は、10/24(月)9:00です。