快楽の街、その169~報復⑲~
「仕掛けを使うとはな。予想以上だったのか?」
「予想以上――そうね、予想以上に頑丈だったわ。もっと楽に仕留められると思っていたけど。
あの仕掛けは狼煙のつもりだったのよ。仕留めた後、あるいはとどめを譲るための」
「とどめを譲る?」
「アナーセスを殺した後、ゼムスに追われるのは御免ですからね。ゼムスの一行は少しずつ削っていくのが得策で、アナーセスはその手始めよ。最初でつまづくわけにはいかないわ。やったという責任と名声は、誰かに押し付けてしまえばいい」
「誰に押し付けるつもりだ?」
「手ごろな坊やがいたのよ」
ファンデーヌがくすりと笑ったが、その不幸な誰かをゲルゲダは聞かないことにした。
「だが本当にやるつもりか? 相手は最強の傭兵とその仲間だぞ?」
「私たちだってそうだわ。それにゼムスの仲間はこの10年で半数近くが入れ替わっている。決して死なないわけじゃないのよ」
「なんでそんなことを知ってるんだ?」
ゲルゲダの問いに、ファンデーヌは答えなかった。そして豪炎を遠巻きに眺めながらつぶやいた。
「さて、どうなるかしらね」
「どうなるって、何がどうなるんだ」
「言葉通りよ。あの炎を見た連中が、あの筋肉のけだものを仕留められるかどうかってこと」
「馬鹿な、死んだろ?」
「死んでないわよ。ゼムスの仲間は全員が特性持ちとは聞いたけど、なるほどね。魔王なんかよりもよっぽど厄介な人間だわ。でもこれでもうおしまい。これ以上は私たちも危険ですからね、去ることにしましょう。ああ、最後まで戦えなくて残念ね」
ファンデーヌは悔しそうな言葉を吐いていたが、それが本心ではないことをゲルゲダは知っていた。現に、ファンデーヌの口は面白い演劇を見るかのように歪んでいたのだから。
***
「こっちだ」
「よくわかるのう」
「一度匂いを覚えたら、絶対に忘れないよ。特徴的な匂いだしね」
「犬のようじゃな」
「犬と勝負したことはないけど」
レイヤーとバンドラスは、アナーセスの後を追いかけていた。バンドラスがレイヤーに教えたのは、目を閉じた状態での訓練。アナーセスの攻撃は絶対に防ぐことができない。そんなことをすれば、剣ごと両断されるのが関の山だからだ。気配と予兆を感じ、確実に避ける。コツを教えながら、そんな訓練をした。
バンドラスはレイヤーが戦士の類の特性持ちだと思っている。種類にもよるが、予想が当たっていれば短期間の訓練でそれなりにものにできると考えた。果たして予想以上だったが、目をつぶっていようがいまいが、レイヤーの行動は変わりないのではないかと思えるくらいの修得ぶりだった。これはバンドラスでさえも空恐ろしくなった。
おそらくは似たようなことを教えた人間がいるとバンドラスは気付いたが、それにしてもこれほどまでに修得が早いのは天性の才能だろう。そうなるとますますもってその才能の正体が知りたいと思ったが、ひょっとするとこれから見れるかもしれないと密かに期待しているのだった。
一通りの戦い方の検討を行い、わずかな睡眠をとった後、二人はアナーセスの追撃を開始した。レイヤーの能力でほどなくしてアナーセスの行き先はわかったが、男娼館を出た後が問題だった。追跡するレイヤーの足がぴたりと止まったのだ。
「どうした?」
「・・・僕たちよりも先にアナーセスに近寄った奴がいる」
「ヒョ? そんな者がおるのかね」
「女だ。しかもこの匂いは――」
昨日の戦いで会った女だ、と言おうとして戸惑った。レイヤーはふと考える。昨日出会った女とバンドラスはどういった関係なのだろうか。仲間なのか、ただの協力者なのか、それともたまたま同時にいただけなのか。昨日の鞭を持った女は、一瞬だけレイヤーと目を合わせたが、その時に憎しみに満ちた色をしていたことをはっきりと確認した。相当目立つ容姿だし、その独特な雰囲気を一度見たら忘れるわけがないのだが、レイヤーには心当たりがなかった。強いて言えば憎しみ。同じような憎しみをどこかで感じた記憶があるのだが、それがどこかを思い出すまでに至らなかった。
ともかく、レイヤーはバンドラスを全く信用していない。弱みは一瞬たりともみせるわけにはいかなかった。
「――鞭使いの女に似ている。心当たりは?」
「鞭使い、のぅ・・・心当たりといえば、なくもないが」
バンドラスとしても不思議な感覚を覚えていた。バンドラスにとって、鞭使いとは特別な意味を持つ。長らく傭兵をして、鞭を武器とする者は非常に少ない。魔獣使いなどでは確かにいるが、実際に戦う時の獲物としては少々確実性に欠ける。広い場所でないと使えないし、サディスティックな武器として持っていることはあっても、本当の意味で一流に到達した者を知らない。
ただ一つ、ターラムにおいては別の意味があった。昔から耳に時々入る、鞭使いの調教師の話。反抗した傭兵、あるいは権力者でもそうだが、立場や身分にかかわらず排除したいときに頼む始末屋だ。バンドラスも一度始末を頼んでみようかとしたが、客を選ぶのか会うことすらできなかった。
残念だと思ったものだが、別の可能性も耳にしたことがある。その調教師は、始末屋ではなく、自らが始末したい相手を連れてこさせているのではないかということ。また妙なことに、自分と同じく百年以上も前からその噂を聞くことだ。これはターラムという街に人間以上に長くいる者でなければ気付かない事実だろう。
果たして、この間合いでその武器を聞くのは偶然だろうか。バンドラスは何やら嫌な予感に囚われていた。
続く
次回投稿は、10/14(金)10:00です。