快楽の街、その159~報復⑫~
「人はおろか、無機物に変身できる敵に四六時中命を狙われる。ダートが座った椅子がそうかもしれないし、手に取ったカップがそうかも。ひょっとしたら飲み干したお茶がアルマスの三番なのかもしれないわね」
「液体にも変身できると?」
「可能性の問題よ。だって、その能力の本質までわからないのでしょう? そんな事態を確実に避けるには、三番を殺すか、あるいは依頼主を殺すか。だけど本人を探すのは難しいでしょう。依頼主に心当たりは?」
「・・・昨日霧の出た夜に殺した女。あの女がどこの娼館で働いていたのか。気にも留めていませんでしたが、調べる必要がありそうですね。逃がした娘を探す必要があります」
「探せるの?」
「私は魔術士ですよ。愚問ですね」
「そう。なら早くした方がいいかもね」
「どうしてです?」
エネーマはカップの中身を飲み干すと席を立った。
「外のオーク共の陣形が少しずつ変わっているわ。自警団の奇襲にも全く反応がないから静観することに決めたようだけど、今夜にでも仕掛けてくるつもりなんじゃない? 総勢4万、対してターラムの自警団は総動員しても2千。全方位から仕掛けられれば、先のように上手くは撃滅できない。昨晩みたいに浮浪者を使っても、自警団と連携させるなんて無理。バンドラスの手勢を使っても、数の暴力には勝てないわ。
策士とゼムスには何か考えがあるようだけど、いつものように街にかなりの被害を受けてからでないと動かないでしょうね。ゼムスが動けば私たちもついていくことになるけど、おそらくはそこでターラムを離れることになるわ。
オークが攻めてくれば、色々なことが有耶無耶になるでしょう。依頼主が死ぬかもしれないし、アルマスの三番が街の外に出てしまうかもしれない。そうなるとこれから先、大陸のどこにいても身の安全が得られなくなる。依頼が有効な限り、アルマスは追ってくるわ。暗殺する側は時間も場所も好きなように選べて、狙われる方は常にその影におびえ続ける。それが狙う側の強みだわ。だからアルマスの三番を殺すのであれば、今晩までが刻限ってことよ。狙ってくる側が一定の範囲に確実にいるなんて、そうそうある機会じゃないわ。
いかにあなたの魔術が迎撃に向いているとしても、向こうも一流よ。ここでなんとかするのが最も有効で、最後の機会かもしれないわ」
「・・・わかっていますよ、そんなことは。でも、貴女は協力してくれないんでしょう?」
「条件にもよるかしら。あなたが土下座して、『助けてくださいエネーマ様』って言えば、考えてあげるわよ?」
「どうせ考えるだけでしょう? 馬鹿馬鹿しい」
ダートはふんっ、と鼻を鳴らすとエネーマを置いて部屋に戻ったが、少しすると着替えだけして再び姿を現し、宿の主人から外出用の軽食を受け取ると、速足で出ていった。どうやらダートなりに相手に脅威を覚えているのだろう。
エネーマはそんな姿を見て意地悪そうに笑ったが、夕方までやることもないので、自分もまた杖を取るとダートの後をこっそりと追いかけたのである。
***
朝が来て、静かになった薄暗い路地をレイヤーとバンドラスが歩いていた。正確にはレイヤーの後をバンドラスが付いてきたのだが、レイヤーもまたそれを気に留めず、バンドラスはレイヤーの言葉を辛抱強く待っていた。
この少年は頑固で慎重だ。バンドラスはレイヤーの性格をそう分析すると、必要な時以外は声をかけないこととした。そうでなければ、レイヤーの信用を得られないと思ったのだ。
そしてレイヤーの足がぴたりと止まると、バンドラスも足を止めた。
「・・・どうしたらいい?」
背を向けたままのレイヤーだったが、その声から伝わる苦悩は、表情を見るまでもなかった。
「ヒョヒョ、それを決めるのは小僧じゃよ。どうしたらよいかはわからずとも、どうしたいかは決まっておるのではないかね?」
「奴らを殺す。あんたには悪いけど」
「いや、別に罪悪感を感じる必要はない。儂らは常に強者を狩ることでその地位と名声を保ってきたが、逆に狙われる立場でもある。儂のことを義賊と言う者もおるが、盗まれた当人たちにしてみれば悪党以外の何者でもないだろう。勇者などそんなものさ。大多数にとって都合のよいことをしているから支持されるだけで、どのような善人でも剣をとるかぎり恨まれるのは必定よ。
儂らはそれぞれの欲望と利益のためにつるんでおるのであって、途中で死ねばそれまでの関係じゃ。本当の勇者など、世界が滅ぶ直前にでもなければ現れまいよ。『英雄』なる特性持ちはおるが、英雄などそれこそ一歩間違えれば大量虐殺者じゃからな。
まあ素行はさておき、ダートとアナーセスは面白い二人ではあるから可能な限り味方をしていたかったが、しょうがあるまい。ここで死ぬならそれもまた運命よ」
「それは、僕に協力してくれるってこと?」
「まあ、そうなるな」
「なぜ」
レイヤーの問いに、バンドラスは素直に答えた。
「儂の楽しみはな、『特性持ち』と呼ばれる連中の人生の蒐集よ。特性持ちは様々な能力があるが、その能力ゆえに特異な人生を送る者が多い。知っておるか、歴史に名を遺した者たちは、その多くが特性持ちじゃ。画家、政治家、戦士――数えればきりがないが、鍛錬以外でどうにもならぬ力を発揮する特殊な人間。それが特性持ちよ。
儂は一目見れば、その人間が特性持ちかどうかわかるでな。それが儂の能力者と伝えておこう」
「うちの団長とか?」
「残念ながらアルフィリースとやらは違うようじゃが――」
その先をバンドラスは言うべきか迷った。確かにアルフィリースは見た目では才能を感じなかった。だがそれがなぜ短期間であれほどの力を持つに至ったのか、不思議でしょうがない。そこには自分のあずかり知らぬ力が働いているのかもしれないが、自分で憶測すらできぬことを言葉にしてもしょうがないと考えた。少なくとも特性持ちでないことはほぼ確実なはずだが、後天的に特性持ちになることもありえないはずだ。それこそ、別人にでもならない限り。
それよりも。
「儂らのゼムスはかなり珍しい特性持ちじゃ。『英雄』の特性持ち。奴の行動はあらゆる人間に支持されうる。奴が善行を行おうが、悪行を行おうがな。最強の運と言い換えても良いが、戦場において奴の力は最大限に常時発揮されるのよ。必ず勝つことを約束された、ある意味では呪われた戦士がゼムスじゃ」
「反則じゃないか、それ」
「然り。だからこそ儂も奴も求めておる。ゼムスを打倒しうる存在を。少なくとも、互角に渡り合える存在を。そうでなくては、誰も奴を止められないじゃろうて。奴の特性は、それだけではないのも厄介じゃ」
「1つの特性じゃない?」
「然り。でなければ個人があそこまでの力を持つよかよ。それは別として、お主たちの中に特殊な力を持つ者が何人かおった。数多の特性持ちを見た儂でも知らぬ、稀有な能力よ。それが何なのか、儂は知りたい。ダートとアナーセスの顛末よりもな。それが儂がお主に協力する理由じゃ。いかんかね?」
レイヤーは唸ったが、まだしっくりこなかった。あまりに話が飛躍した気がして、頭がついていかない。
続く
次回投稿は、9/24(土)12:00です。