快楽の街、その157~報復⑩~
「なるほど、ただのかわいらしい刺客さんではないわけですか」
「死ね」
レイヤーの剣がダートを深々と貫いたが、手ごたえがおかしい。レイヤーが見ると、ダートのローブが地虫のように一部変形し、レイヤーの剣に齧りついている。慌てたレイヤーが剣を横に引き抜くとシェンペェスは無事だったが、驚いて飛びのいた先で足に激痛が走る。レイヤーのつま先は、いつの間にか地面から突き出た細い釘に貫かれていた。
偶然飛び出たものではあるまい。それに先ほどまではこんなものはなかったはず。
「これは・・・魔術?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれません。どっちにしても、戦う相手に本当のことを言いはしませんよ。それより、そちらの大男から目を離してよいのですか? あの男はしつこいですよ?」
忠告されたレイヤーがアナーセスの方を見ると、アナーセスが猛然と突貫してくるところだった。レイヤーは強引に足を引き抜き逃げようとしたが、アナーセスの腕が少し早くレイヤーの足を捕まえた。
そんな馬鹿な、とレイヤーは目を疑った。常人なら首がもぎ取れんばかりの勢いで蹴ったはずだ。いかに屈強な戦士でも、先ほどの衝撃に無防備で耐えられるはずがない。そうであるなら、人間の限界を超えている。
だが目の前のアナーセスは肩こりが取れた、などとダートと話していた。まるで傷を受けた様子もない。レイヤーは宙ぶらりんにされながらも、もう一つの開いた足でアナーセスの眉間を蹴ったが、それもあっさりと受け止められた。そしてもう一つの足もつかまれ、完全にアナーセスにつかまってしまった。
「なんだこいつ? 急所への攻撃がどうして効かない?」
「この男に有効な打撃を加えられるのは、『格闘家』くらいのものですよ。これの筋力は病気です。生まれつき、彼は大地の祝福を与えられたがごとき怪力と打たれ強さを持っている。ギガンテスも巨人族も絞め殺す膂力ですよ? 同じような人間は何人もいますし少年も同類のようですが、桁が違う。いまだこれほどの力と打たれ強さをもった人間を私は見たことがありません。それが『戦士』としての特性なのでしょうね。その分、こちらの男は頭の方が少々残念ですが」
「ガハハ、褒めるな」
「いえ、褒めていません」
ダートとアナーセスのいつものやりとりだったが、それは驚愕の事実だった。レイヤーは自分より力が勝る人間を初めて見た。しかもそれだけはない。掴まれた掌の形からわかる、手抜かりのない鍛え方。真っ向勝負で勝つことは不可能だと、レイヤーは悟っていた。
怒りに任せて突っ走った挙句がこれだ。報復などという言葉は、既に頭から消え失せていた。正面から戦ったのではどうにもならない。冷静になって下調べをし、不意をつかなければならない相手だった。サイレンスや北の大地で戦った魔王など比較にならないほど、危険な相手。まさか人間にここまで強い相手がいるとは、微塵も思っていなかった。
なんとか脱出しなくてはいけないが、それすら困難なことをレイヤーは悟った。最悪、足の一本でも犠牲にして逃げる必要がある。そうレイヤーが覚悟した時、目の端にちらりと映る人物がいた。その人物が、金属で光の反射を利用してレイヤーに合図を送る。
信用できる相手だとは思わなかったが、今のままではどうにもならない。レイヤーは藁にもすがる気持ちで賭けに出た。
「さて、どうしますかね。危険な少年であることに変わりはありませんが」
「俺にしたら子猫みたいなもんだ。遊んでいいか?」
「猫でも牙と爪はありますよ? 余計な怪我を負いませんよう」
「グハハ、任せろ」
「そりゃ任せますよ、私に男色の気はありませんから。さて、どうしますかね。アナーセスは獲物を捕まえたが、私には何もない。何をして時間を潰しますか」
ダートがそう言いかけた時、腰をかけたはずの木箱がぐにゃりと変化した。体勢を崩して後ろにのけ反るダートに、箱からにゅるりと出てきたナイフが突き立てられる。だがそのナイフもレイヤーの剣と同じようにマントにぐるりと取り込まれると、代わりに何本もの槍が出てきて箱を串刺しにした。だが箱は液体のように槍を避けると、変形してアルマスの三番の姿になった。
その変形に、ダートも驚きを隠せなかった。
「これはこれは、珍しいものを見ました。あなたも特性持ちでいらっしゃる」
「あなたも――ということは、お前もなのね」
「はい、もちろんです。我々の仲間は全員が特性持ち。私もそこのアナーセスも特性がありますよ」
「おしゃべりね。いいのかしら、ぺらぺら話して」
「互いに見られてはまずい立場。それを承知で仕掛けてきた――ならば、どちらかが死なねばならないでしょう」
「それもそうか――だ、そうよ」
ダートの注意が三番に引きつけられた時、街路の間から黒くて長い物体が勢いよく伸びてきた。それを鞭だとアナーセスが認識する時には、鞭はアナーセスの右腕を何度も打ち据え、その握力を奪った。するりとレイヤーの足が片方抜けると、レイヤーは体を捩じってもう片方の足を蹴り飛ばし、脱出に成功した。レイヤーが地面に付くと同時に、全力で地面を蹴ってレイヤーは街路まで飛びのいた。
その傍に佇む女とレイヤーの視線が交錯すると、レイヤーには不思議な既視感が湧いた。確かに一度見れば忘れないほど完璧な造詣の美女だったが、女は一瞬凄まじい殺気でレイヤーを睨みつけた。レイヤーは驚いたが、問いただす暇もなく憎悪は一瞬で美しい造形の奥に隠れてしまった。
レイヤーの注意が女に引かれると、レイヤーの背後からすうっと伸びた手がレイヤーの口を塞ぐ。
続く
次回投稿は、9/20(火)12:00です。