快楽の街、その150~報復③~
***
ラーナを乗せたシルフィードはまさに風のごとく走った。ターラムに人影はなかったが、曲がりくねった街路では速度が出ないとの理由で、エアリアルは段差や置いてある荷物を踏み台にして建物の屋根に飛び乗り、建物の屋根を使って黄金の純潔館まで走った。普通なら酔ったり青ざめたりするくらいの曲芸乗馬だが、ラーナの心中はそれどころではなく、おそらくは通った場所さえ覚えていないだろう。エアリアルはそのことがよくわかっていたので、黙って手綱を取っていた。
そして黄金の純潔館につくやいなや、ラーナはシルフィードから飛び降りると小走りに玄関に向かった。守衛が身分確認をしようとしたが、その彼らを魔術で意識を逸らし、ラーナは乱暴に館の扉を開いてそのまま進んでいた。扉を開けたところにはルヴェールがいたが、彼女には目もくれずラーナはずんずんと館の中を進む。その勢いを見てルヴェールは面喰ったが、背後からあえて小さく声をかけた。
「ラーナ殿、目的の場所はおわかりになって?」
「・・・案内していただけるかしら?」
「それがよろしいでしょう。慌てて他の客の閨にでも入られると私どもも困りますから。それに娼婦たちも今はほとんどが寝ていますしね。館は眠ることがないので営業しておりますが、理由が理由だけに館の者もほとんどがまだ事情を知りませんわ」
「どうして貴女は知っているのです? ただの案内でしょう?」
「こう見えて結構年配ですのよ? 館の内情に詳しくなければ案内などできませんわ。グリフ、フォルミネー殿に連絡を」
「かしこまりました」
ルヴェールの傍にいたグリフは一礼をして階上に向かうと、ルヴェールはラーナを伴って歩き出した。二つの足取りが静かに向かうのは、館の最も奥の部屋。そこは通常客間としては使用しておらず、娼婦たちの憩いの間となっている。そこには何人かの娼婦が静かに休憩していたが、ラーナの姿を見ると全員が目を伏せて小さく一礼をした。彼女たちは全員事情を知っているのだろう。
さらにその場所を抜けると、黄金の純潔館に似合わぬほどの質素な部屋が立ち並ぶ場所へと進んだ。ラーナは少し驚いたが、その様子を察したルヴェールが前を向いたまま声を発する。
「ここは我々の居住区画です。黄金の純潔館に務める者は、全員がこの場所で暮らしています。一番の売れっ子であるフォルミネーも例外ではありません。彼女たちの安全を憂える意味もありますが、我々は商品であることを自覚してもらうためでもあります。我々は様々な形で非日常を提供しますが、一度演出の場から離れれば一人の人間。非日常に役者自身が囚われぬために、あえてこういった質素な暮らしを提供しています」
「・・・母もここに?」
「もちろん。やがて独り立ちする資金を貯めるか、あるいは娼婦という職業を辞めるまでここで暮らしていただくこととなっています。私は娼婦の稼ぎ、貯蓄なども一括して管理していますが、ラニリさんはもうすぐ旅に出る予定でした。数年の路銀にはなるだけの蓄えはあったと思います。彼女はここに来てから、全くと言っていいほど浪費をしていないですから」
「・・・」
「ラニリさんのこと、聞きたいですか?」
ラーナは何も言わなかったが、ルヴェールは沈黙を肯定と理解した。
「ラニリさんがターラムに来たのは、雨の日の夜でした。ここに自力でたどり着いた以上、常人とは違うことはわかりました。ここは誰でも招いた客以外は来れないように魔術で人除けが施されていますからね。そうでもしないと、美姫を狙った不審者や侵入者が絶えません。
その時、ラニリさんは男の人を抱えていました。たまたま訪れたターラムの中で、乱暴者に襲われたとのことでした。外傷はそれほどでもありませんでしたが、打ちどころが悪かったのか、大きな鼾をかいていました。
いったん寝たが、ゆすっても叩いても眼を覚まさないとラニリさんは訴え、近くの医者に見せようとしたが、金品の類は全て奪われて文無しになったと。それで縋りつくようにたどり着いたのが、たまたまここだったようです。魔術で守られた館なら、医術の心得のある魔術士がいると踏んだのでしょう。もう少し処置が早ければなんとかなったかもしれませんが、既に旦那様は手遅れで、目を覚ますことはありませんでした。
ですがそこからかなりの間もちこたえたのです。眠ったような旦那様をかいがいしく世話をし、我々の魔術や処置もあってなんとか生きながらえました。息を引き取ったのはつい数ヶ月前のことです。ただ我々も慈善事業ではありませんから、代金はいただかないといけません。その費用と彼女は働いて返していたのです。もっとも、最近の稼ぎは路銀様にと伺っていましたが」
「そのお金のために身をひさいだと? 自らの夫のために、他の男に?」
ラーナは理解できないような表情をしたが、ルヴェールは静かに説明した。
「どこまでの行為を客に許すかはそれぞれの娼婦に任せており、我々は強制も何もしていません。中には触れさせるのはご法度といった娼婦もいます。彼女は純粋な人間ではありませんし、魔術の心得もありました。どのような方法で客をもてなしていたかは知りませんが、少なくとも決められた支払いを滞らせたことは一度もありませんし、客からも不満や文句がついたことはありません。
ただ彼女の振る舞いは堂々としたものでした。身にやましいことがあれば、ああはならないでしょう。ただ娘である貴女が突然現れたことで、少なからず動揺したようです。何も話せず、どうやってこの状況を弁明したものかと相談されました。ゆえにこうやって彼女の代わりに弁明しています」
「そんなこと――今さら」
再び二人は無言に戻ると、しばらくしてルヴェールの足が止まった。そこは何ら変哲のない部屋の一つ。その先に数名の気配があった。その部屋の戸に手をかける前に、ルヴェールが躊躇いがちにラーナに向き直った。
「ラーナ殿、一つだけお約束が」
「何?」
「死に顔を見ることは叶いません。それがお約束できるならラニリさんにお会いできます。いかがされますか?」
「・・・わかったわ」
ラーナは怪訝そうにルヴェールの顔を見たが、ルヴェールは念を押すようにラーナをじっと見据え、やがてそっと扉を叩いた。
続く
次回投稿は、9/6(火)13:00です。